“フェアプレーが勝利”した24年前…イングランド・FAカップで実現した異例の“再試合”

2023年10月5日(木)19時19分 サッカーキング

1999年2月に開催されたFAカップ5回戦アーセナルvsシェフィールド・ユナイテッド [写真]=Getty Images

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 再試合なんて不可能だ。誰もがそう感じているだろう。現地時間9月30日に行われたプレミアリーグ第7節のトッテナムvsリヴァプールの試合は、VARの重大な人為的ミスにより物議をかもしている。

 カーティス・ジョーンズの一発退場によって10人となったリヴァプールは34分、スルーパスに抜け出したルイス・ディアスがネットを揺らしたものの、ピッチ上の審判団はオフサイドと判定。VARによる確認の結果、当該のプレーがオンサイドだったと判明したものの、担当のダレン・イングランド氏が主審の判定を勘違いしていたことから当初の判定は覆らず。先制弾が“幻”となったリヴァプールは、後半にディオゴ・ジョッタが退場した影響もあり、最終盤の失点により1−2で敗れた。


 誤審が原因で正当なゴールが認められなかったリヴァプールのユルゲン・クロップ監督は「リヴァプールの監督としてというよりも、サッカー人として言うが、この問題の解決策は再試合しかないと思う」と語った。同指揮官は「恐らく認められないが」とも口にしたが、イングランドでは過去に「再試合」が認められたケースがある。当然、今とは全く状況が異なるのでそれほど参考にはならないが、前例のない「再試合」が起きた24年前の事件を振り返ろう。

[写真]=Getty Images

 英国フットボール界で最も有名な「再試合」が認められたのは1999年2月13日、FAカップ5回戦のアーセナル対シェフィールド・ユナイテッドの試合だ。1997−98シーズンにプレミアリーグとFAカップの二冠を達成したアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルが、FAカップ連覇を目指して当時2部リーグに所属していたシェフィールド・ユナイテッドをホームに迎えた一戦でアクシデントが発生したのである。

 地力で勝るアーセナルは前半のうちにパトリック・ヴィエラのヘディングシュートで先制するも、後半の立ち上がりに追いつかれて試合は振り出しに。1−1で迎えた76分、アーセナルに勝ち越しゴールが生まれるのだが、これが大事件を引き起こすのだった。

 問題のゴールはスローンインから生まれた。チームメイトが怪我で倒れているのに気付いたシェフィールド・ユナイテッドのGKがボールを外に蹴りだしたため、当然アーセナルのスローインで試合は再開。レイ・パーラーが会場の雰囲気を読み取りフェアプレー精神でボールを相手に返そうと、敵陣深くにスローインを投げたのだが、ピッチ上には空気を読めていない選手がいた。アーセナルのヌワンコ・カヌである。ナイジェリア出身のFWは、パーラーのスローインを自らへのパスだと勘違いし、ボールを追いかけ拾った。すると、それにつられてマルク・オーフェルマルスもゴール前に走り出し、カヌからのパスを受けてゴールに流し込んだのだ。


 スローインを投げたパーラーは、問題のシーンについて「私は相手選手がボールを拾うと思って、敵陣の奥に投げた。規則には記されていない“暗黙のルール”に従ったのだが、カヌが現れてボールを拾ったのさ。恐らく、彼は普通のスローインと勘違いしたのだろう」と語っている。

 いずれにせよ、シェフィールド・ユナイテッド側は憤慨した。主審を取り囲んで猛抗議をする選手もいれば、直接カヌやオーフェルマルスに文句を言いに行く選手もいた。当事者のカヌは状況を呑み込めておらず「誤解だった」と説明したという。

「みんなから叫ばれたが、それでも何が問題なのか分からなかった。(チームメイトの)スティーヴ・ボールドから説明を受けて、初めて自分が原因だと気づき、申し訳なく思った」

 カヌが状況を把握できなかったのも無理はない。実は、この試合はカヌにとってアーセナルでのデビュー戦だったのだ。心臓疾患によりイタリアのインテルでほとんど試合に出られなかったカヌは、1999年1月に450万ポンド(現在のレートで約8億円)でアーセナルに加入し、新たなスタートを切ろうと意気込んでいた。そして迎えたシェフィールド・ユナイテッド戦、当時22歳のカヌは64分に投入されて新天地デビューを飾ると、その10分後に自分の前方にスローインが投げ込まれたのである。あの問題のゴールは、様々な条件が重なって起きた“アクシデント”だったのだ。

 だが、シェフィールド・ユナイテッドからすると、そんな事情は関係ない。そもそも、彼らはカヌに対して試合前から怒りを覚えていたという。イギリスメディア『アスレティック』によると、アーセナルに加入したばかりのカヌはシェフィールド・ユナイテッドの選手団が宿泊したホテルに滞在しており、試合の前夜に大音量で音楽をかけて選手たちの睡眠を妨害してしまっていたのだ! そんな背景も重なり、シェフィールド・ユナイテッド側の怒りは収まらなかった。


 とはいえ、このゴールを取り締まる競技規則はなく、主審はゴールを認めざるを得なかった。これでアーセナルが2−1と勝ち越したのだが、そこでもう1つの事件が起きる。シェフィールド・ユナイテッド側が試合を途中でボイコットしたのである。怒りが収まらないスティーヴ・ブルース監督が、選手たちピッチを出るように指示したのだ。

 スティーヴ・ブルースと言えば、選手時代にマンチェスター・ユナイテッドで3度のリーグ制覇に貢献したプレミアリーグ史に残るセンターバック(CB)だ。様々な経験を積んできた名選手だが、実は監督としてはこのシーズンが1年目。しかも数カ月までは選手兼監督という立場であり、監督業に専念してから2カ月ほどしか経っていなかったのだ。だから、冷静な判断ができずに控え室に引き上げることを指示してしまったのも無理はない。

 その後、8分間の中断を経て、シェフィールド・ユナイテッド側が再開に応じたため、2−1というスコアで76分から試合が再び動き始めた。もちろんシェフィールド・ユナイテッドの中には怒りを抑えきれずに危険な行為に出ようとした者もいる。MFポール・デヴリンは後に「オーフェルマルスに“やってやろう”と思ったが無理だった。彼の足が速すぎて近寄れなかったのさ!」と冗談を交えながら当時を振り返っている。


 結局、試合が2−1のまま終わると、再びシェフィールド・ユナイテッド側の猛抗議が始まった。そんなカオスを止めたのは、アーセナルで長らく役員を務めていたデイヴィッド・ディーン副会長だ。ディーン氏はスタンドから試合を観戦しつつ、「不当」、「非紳士的」といった感情に苛まれていた。「アーセナルはこのような勝ち方をしてはいけない」と思い、会長に再試合の申し出を進言したそうだ。会長の了承を得たディーン氏は試合が終わると同時に選手通路へ向かい、ヴェンゲル監督と相談して再試合を決めたという。

 怒り狂うブルース監督に「スティーヴ、我々は再試合を申し出る」とディーン氏が伝えると、それまで叫び続けていたブルース監督も冷静になり、ディーン氏とハグをしたという。とはいえ、両チームが合意しても、再試合を実現させるのは難しかったはずだ。イングランドフットボール協会(FA)が前例のないことを簡単に認めるとは思えない。だが、意外にもあっさりと再試合は認められたという。ディーン氏が、試合を見に来ていたFAの役員にその場で掛け合うと理解を示してくれたそうで、「FAの歴史において、初めて30秒で決断が下された!」とディーン氏は当時を振り返っている。

 そして試合後、ヴェンゲル監督は記者たちに「我々の2点目は正しいとは思えない。我々は勝ちたい形で試合に勝った気がしない。我々にできるのは再試合を申し出ることだ」と伝えると、英紙『ガーディアン』は翌日の紙面にて「FAカップでフェアプレーが勝利した」と伝えた。そして前例のない試合の“やり直し”は10日後に行われ、オーフェルマルスが今度は正当なゴールを決めてアーセナルが2−1で勝利を収めたのである。


「フェアにプレーをしても勝てることを証明した」とヴェンゲル監督は試合後に語った。2部リーグに所属する格下とのFAカップの試合だったから再試合を申し出たのかもしれない。これがリーグ戦の優勝争いの大一番だったら話は違ったのかもしれない。アーセナルには大してリスクがなかった…そのように思われがちだが、決してそんなことはないだろう。アーセナルはベスト16の切符よりも、もっと大きなリスクを背負って再試合に臨んでいたのだ。

 ヴェンゲル監督は「(再試合は)このスポーツの精神を挽回する意味でも重要だった」と試合後に語ると、次のようなコメントも残した。

「それと同時に勝つことも重要だった。もし我々が負けていれば『フェアプレーを重んじたら試合に勝てない』と主張する者が出てきてしまう。だから我々にはかなりのプレッシャーがあったのさ」

 様々なアクシデントが重なって「フェアプレーが勝利」した24年前の再試合。果たして今回の問題はどんな決着を迎えるのだろうか?

(記事/Footmedia)

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