20世紀初めの修復は間違いだらけ?ギリシャ・アテネのアクロポリスが50年経っても復元できない理由とは
2025年1月13日(月)6時0分 JBpress
(髙城千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
TBSの人気番組「世界遺産」の放送開始時よりディレクターとして、2005年からはプロデューサーとして、20年以上制作に携わった髙城千昭氏。世界遺産を知り尽くした著者ならではのセレクト、意外と知られていない裏側をお届けします。
復元によって破壊されたパルテノン神殿
古代ギリシャの都市国家アテネ。夕暮れ時、その街を見晴るかすリカヴィトスの丘に登って、ほの紅く染まるエーゲ海を背にして断崖にそそり立つパルテノン神殿を目にすると、2500年の昔が胸に忍びよる。ここで、哲学者アリストテレスやプラトンが暮らし、民主主義や選挙がはじまり、数学や医学が芽生えた。世界遺産「アテネのアクロポリス」とは、そんな都市の心臓部だ。
高さ70mの小高い丘の上は、神殿群がそびえる聖なる地であるとともに、敵の侵入をはばむ自然の要害でもあった。なかでも紀元前447年に建設が着手されたパルテノン神殿は、街の守護神・女神アテナに捧げられたもの。白亜の大理石をふんだんに使い、周囲にぐるりと46本の円柱が配され、三角屋根の破風(ペディメント)や梁上(メトープ)には、リアルな肌触りさえ感じる神像や高浮き彫りがはめ込まれた。まさに建築と彫刻が一体化した美の極致! それが建築の原点として、ヨーロッパから世界へと広がっていった。
アメリカの最高裁判所や大英博物館の玄関口を見ると、いかにギリシャ建築に人類があこがれを抱いたのかが伝わってくる。
世界遺産条約の生みの親・ユネスコは、このパルテノン神殿の正面に「UNESCO」の6文字を配したデザインをエンブレムに採用した。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」(ユネスコ憲章前文)。世界遺産は、こうした理念の表れだ。古代ギリシャ文明の建築は、今ではユネスコによって「英知のシンボル」にもなっている。
しかし、この未来に遺すべき宝は、修復プロジェクトが1975年に開始されたものの50年以上経っても一向に終わらない。原因は、20世紀初めに行われた復元にあった。修復という作業は、時に破壊さえもたらす諸刃の剣なのだ。
20世紀の鉄は錆び、セメントは崩れる
17世紀、アクロポリスはオスマン帝国(トルコ)の支配下にあった。地中海の覇権をめぐって争うヴェネツィア軍が大砲をパルテノン神殿に撃ち込み、モスクに改造され弾薬庫があった神殿は、大爆発を起こし吹っ飛んだ。円柱はかなりの数が倒壊、辺り一面に大理石のかけらが散乱したという。
現在のような姿に戻ったのは、20世紀の初頭。廃墟から素材を拾い集めて積み上げたのだが、復元したピースの位置がかなり間違っていた。
また、古代ギリシャ人は、いかに美しく見えるかということをトコトン極めた。実は、神殿には直線がない。床は中央に向かって盛り上がり、円柱はエンタシスと呼ばれる微妙なふくらみを持つ。柱全体も内側に傾いている。このように設計しないと、錯覚から人間の目は凹んだり歪んだように見え、美しく感じないのだ。
その上、円柱は1本の石材でなく、ダルマ落としの駒のようにドラム状の大理石を重ねただけである。中心軸を削って四角い木の箱(ダボ)を置き、そこに筒状の木片を挿している。地震が多いギリシャでは、これが倒れるのを防ぐ免震装置でもあった。
全てのピースがジクソーパズルと同じで、決まった1点以外には組み立てようがないパルテノン神殿。コンピューターで割り出した正確なポジションに戻す“復原”は、新しい神殿を造ったほうがずっと手っ取り早いという、遥かな道のりだ。
さらに梁のブロックをつなぐ創建時の「古代の鉄」は問題ないのに、20世紀に使った鉄のかすがい(H型)が錆びて膨張し、大理石がヒビ割れ始めた。ハンマーで鑿を叩き少しずつ鉄を削っているが、1日に1個外せるかどうか……。
大理石の失われた部分を、現代セメントで補ったのも杜撰な仕事だった。円柱からコンクリートがボロボロと崩れている。この継ぎ足した箇所もとり除いて、昔通りにペンテリコン山から切り出した大理石を寸分たがわぬ形にくりぬき、組み合わせなければいけない。100年以上前の修復には、その時代ゆえの“限界”があったのだ。
かつては極彩色だった白い神殿
修復責任者の案内で、パルテノン神殿の内部を歩くことができた。黄金と象牙を張りつめた女神アテナの12mの像があった祭壇の付近に、場違いならせん階段が現れる。オスマン帝国がミナレットに改造した名残りで、その階段を昇ると、梁の壁面に残された青い塗料の跡を目にする。かつて神殿は、あざやかに彩色されていたのだ。
近年の調査・研究により、円柱は純白なものの、梁から上部は極彩色にいろどられていたと考えられる。殊に彫刻群は、カラフルの極みだった。
今、人類の至宝といわれ、理想の肉体美をとらえた彫刻の数々は海を渡り、大英博物館に収蔵(エルギン・マーブルと呼ばれ、ギリシャは返還を要求)されている。それらが白く輝くのは、1930年代に大英博物館によって表面の色がはぎ取られ、真っ白く磨かれたからだった。ヨーロッパの原点・古代ギリシャは、白=純潔のイメージこそ相応しいとされた。歴史的遺物は、人々が見たい姿・形に当てはめられてきたのだ。
アテネのアクロポリスを訪ねる喜びとは、空想の翼を羽ばたかせ、2500年におよぶ物語を読み解くことだろう。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:髙城 千昭