オペ室看護師2年目で直面した壁。自分は「できる」と思っていたはずが、先輩との実力差を知り愕然として…
2025年2月13日(木)12時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
厚生労働省が公表する「令和4年衛生行政報告例(就業医療関係者)の概況」によると、全国で就業する准看護師・看護師・助産師の数は、令和4年末時点で約160万人だったそう。「病院勤務ってどんな仕事?」「どうやって技術を磨いていくの?」など、看護師の仕事についてあまりよく知らない…という方もいるのではないでしょうか。医師で作家の松永正訓先生が看護師・千里さん(仮名)の実話を元に、仕事内容や舞台裏をまとめた書籍『看護師の正体-医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』から、看護師のリアルな舞台裏を一部お届けします。千里さんは20歳で「海が見える病院」の3階南病棟に配属された後、22歳で自治医大病院のオペ室に研修へ。「海が見える病院」の新病院が完成し、そこでオペ看護師2年目として働いていたところ——
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ライバル登場
オペ室勤務の2年目の4月に新しいスタッフがオペ室に加わった。遥香先輩。千里よりも2学年先輩だ。彼女は、元々は旧病院のオペ室で働いていた。そして千里の1年後に自治医大のオペ室に1年間研修に出たのである。その遥香先輩が帰ってきた。
千里は遥香先輩の評判を3南病棟にいたときから何度も聞いていた。「よくできる」「優秀」「若手のホープ」。医師も看護師も褒めていた。遥香先輩はオペ室勤務になると、さっそく器械出しや外回りとして活躍した。
でも数か月経っても、千里は、遥香先輩の器械出しを一度も見たことがなかった。二人は器械出し・外回りのペアを一回も組まされていなかったのである。師長はどういうふうに考えたのだろうか。確かにオペ室にはベテランのナースもいたが、千里と遥香先輩がすでにエースのような存在になっていた。師長からすると、この二人を組ませるのはもったいない。別々の手術室で働いた方が、それぞれ力を発揮できる。そう思ったのではないか。
だから、千里は遥香先輩がどういう器械の出し方をするのか知らなかった。ラウンジで一緒になってもほとんど話をしなかった。自分は後輩なので、なれなれしく話しかけることはできない。遥香先輩はみんなと打ち解けてよくお喋りしていたが、千里には話しかけてこなかった。
みんなで談笑しているときに、千里はふと遥香先輩の方に目をやった。すると彼女は周りの人間をしっかりと見ていることに気づいた。人の内面を観察するように。実力を値踏みするように。こんなに人のことを見るナースは初めてだと、ちょっと怖かった。
師長の一言から気が付いたこと
ある日の夕方。器械組みが終わって、これから帰ろうとしたとき、廊下で千里は師長から話しかけられた。二人きりで周りには誰もいない。
「千里さん、あなたを旧病院のオペ室で1年くらい働かせておけばよかったわ」
唐突だった。千里は何を言われているのか分からなかった。
「そのあとで自治医大に研修に出せばよかった」
「……」
これは遥香先輩と比べられている。愕然とした。そんなに自分は遥香先輩よりも劣っているのか。
千里はアパートに帰って考え込んだ。自分はけっこうできていると思っていた。思い上がりだったのだろうか。自分の何が足りないんだろう。一体何をすればいいのかな。オペ室の仕事は全部きちんとこなしているはずなのに。
(もしかして、自分は患者さんのことをよく分かっていないのかもしれない)
千里はふとそう考えた。新人のとき、3南病棟で、自分はわけも分からず患者にブロンプトン・カクテルを飲ませていた。あのとき自分は患者が余命幾ばくもない末期がんだと知らなかった。それと同じことかもしれない。
手術は何度も見たけど、それは自分の目で学んだものだ。ちゃんと系統的に外科学を勉強したわけではない。言ってみれば、先輩から後輩の自分へ、口頭で教えられただけかもしれない。自分に決定的に足りないのは、きちんとした勉強だ。
外科の副部長に直接学ぶ
次の日から千里は早朝に家を出た。図書室に行き、解剖学の教科書を開いた。胃に流入する血管はこれとこれ。肝臓にいく血管はこうなっている。乳がんの手術では大胸筋や小胸筋を取ることもある。筋肉の下にはこういう血管がある。
そうか、あの手術の手順にはそういう意味があったのか。外科学の教科書も開いた。外科学とは解剖学の応用である。解剖が分かっていないと、なぜその手順になるかが理解できない。図書室通いが続く中で、千里には今まで見えないものが見えてきた。
ただ、教科書だけでは理解しきれないこともあった。そこで千里は手術が終わると医師室に足を運び、外科の副部長に手術術式を教えてもらった。
外科はスタッフは7名。部長と副部長がチームを引っ張っている。この二人は年齢がやや離れているが、実力は二人ともピカイチだった。部長に聞くのははばかられたので、千里は副部長のところに行ったのである。
「いいですよ。何でも聞いてください」
「乳がんの手術はいろいろ術式があると思うんですけど、何がどう違うんですか?」
「ああ、マンマ(乳がん)ね」
副部長は絵を描いて説明してくれた。
「これがハルステッド。定型的乳房切除術。皮切(ひせつ)はこう。大胸筋も小胸筋も摘出します。こっちの絵はペイティ法。大胸筋は残しますから縮小手術です。それから、こっちの絵はスチュアート。拡大リンパ節郭清をします」
「どういうふうに使い分けるんですか?」
「がんの手術は拡大すればするほど根治の可能性が高まります。しかし同時に術後の後遺症が大きくなります。がんが広がっていれば、それだけ手術も拡大しないといけないわけですが、進行している患者は拡大手術をやっても結局、根治を得られないこともあります」
「難しいですね」
「難しいです。外科学って手術適応を決める医学なんです」
千里には、初めて聞くような話だった。
外科医が目で見て区別するもの
「先生は手術中に何を考えながら、手術をしているんですか? 手術で一番大事なことは何ですか?」
「……早く終えること。血を出さないこと」
千里は、それはそうだと思った。
「では、どうするか? 血管は縛ってから切る。そうすれば血は出ません。でも手術野に見える索状物が、血管なのか、神経なのか、結合織(線維成分や脂肪のスジ)なのか、それを見極めるって難しいんです。結合織なら、電気メスで焼き切ってしまえばいい。でも血管を切ると出血します。だから縛る。この判断を誤ると血が出ます。血が出れば手術が長引きます。縛る必要のない結合織をいちいち縛っていたら、これも手術が長引きます」
(そうか、手術ってそこまで考えてやるものなんだ)
千里はこれまで手術を一生懸命見てきたつもりだったけど、それでは足りないことに気づいた。外科医は切っていいものと、縛るものを目で見て区別している。自分も区別できなければ、適切な器械をすばやく出せない。
「ところで自治医大はどうでした?」
「はい。勉強になりました」
「あれはうちの部長があなたを推薦したんですよ」
「え、そうなんですか!」
なぜだろう。3南病棟で一緒に褥創の処置をしたときに、気に入られたのだろうか。自分をなぜ買ってくれたのか分からない。元気に「ハイ! ハイ!」と返事していたのがよかったのかもしれない。
遥香先輩の器械出し
千里は思い切って質問してみた。
「遥香先輩の器械出しってどんな感じなんですか?」
(写真提供:Photo AC)
「うまいですよ」
即答だった。
「自治医大に行ってさらにうまくなりました。帰るときは、向こうの師長に引き止められたそうです」
自分はそんなことはなかった。ワインばかり飲んでいないで、もっと学んでいればよかった。
「こういうことがありました。彼女が器械出しのとき、胃切除の手術で、ぼくは最初から最後まで器械の名前を一切言わなかったんです。ぼくの思っているものが出てこなかったのは3回だけでした」
千里はショックだった。自分は言われた器械をいかに早く渡すかが看護師の仕事と思っていた。でも遥香先輩は違う。自分で判断して器械を渡しているのだ。千里は根本的に考え方を改めないといけないと思った。
千里の変化とその後
千里はこれまで以上に手術野を見るようになった。看護師は男性の外科医たちに比べて背が低いので足台に乗って器械出しをすることが多い。でもこれでは不十分だ。外科医の指の先に何があるか、血管なのか、結合織なのか、切るのか、縛るのか、見極めようとした。
千里は胃がん全摘出の手術で、外回りの看護師に「足台、もう一つください」とお願いした。2段の足台に乗って術野を見る。だが、胃と食道の境目あたりになると深くてよく見えない。
「もう一つください。それから、下半身、不潔になるので、滅菌シートをください!」
外回りから滅菌シートを受け取ると、腰に一周巻いてコッヘル鉗子で止めた。腰巻きである。
千里は3段の足台に乗った。外科医が今何を欲しがっているのか、千里は言われる前に判断しようとした。
そして千里は外科医の手も今まで以上に見るようにした。針を持針器で挟み、糸を針に通して外科医に渡す。するとまれに外科医は、針を持針器で持ち直すことがある。針と持針器は90度の角度で持つのが標準だが、深くて縫いにくい場所では外科医は針を120度に持ち直したりする。
今までは器械を渡して終わりだった。だが、千里は外科医が針の角度を変えると、続けて出す針と持針器も同じ角度にして出した。外科医がそのまま縫ってくれれば(よし!)と思った。
外科医が深部を糸で縛るときも、千里は60センチの糸を出すか、75センチの糸を出すか咄嗟に判断した。長過ぎても、短過ぎても深部結紮(けっさつ)はうまくいかない。うまく結べないと大量出血につながることもある。外科医の縛り方を見ているうちに、ちょうどいい長さの糸を一発で選べるようになった。
3段の足台に乗り、千里は喰らいつくように術野を見て、外科医の手の先を見た。器械出しは見ることがすべてだと改めて悟った。
このあと、結局、千里は遥香先輩と一緒に仕事をすることはなかった。翌年、先輩は市立循環器病センターに異動していった。新しいチャレンジをしようと決めたのか。千里は、あの先輩ならそういう生き方をするだろうなと思った。
※本稿は、『看護師の正体-医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。