「ドクメンタ15」(後編)

2023年2月19日(日)11時0分 ソトコト

不確かで危うい自分


人類の歴史上、最古級の芸術の痕跡は洞窟の中で見つかっていて、そこで人類がどのようなことをしていたのかは分からないけれど、何らかの宗教的儀式や、成人儀礼が行れていた可能性があるということを、これまでの連載の中で述べてきました。一見、盤石とも思える現在の社会だが、そのはじまりはずいぶん不確かで危ういものだったのではないか。もしかしたら、その不確かな危うさというのは今でも克服なんてされていないのかもしれない……僕が「ドクメンタ15」でドイツの穴に籠ったことは、そんな不確かで危うい場所に接近する実験の意味もありました。
15回目の開催になる芸術祭、「ドクメンタ」では、イスラエルのアーティストが選ばれていなかったり、展示された作品の中にユダヤ人を揶揄したような図像が見つかるなどして、ユダヤ人差別なのではないかと、連日メディアで報道され、その批判は会期中、激しくなる一方でした。
「ドクメンタ」に参加することになったとき、ハンナ・アーレントという人物のことが頭に思い浮かびました。1906年生まれの、ドイツ系ユダヤ人であり、ナチスからの迫害を逃れ、アメリカに亡命した哲学者です。
アーレントはナチスやファシズム、全体主義を解き明かそうと1951年に『全体主義の起源』を発表しました。19世紀のヨーロッパでは絶対王政に基づく同一性を持った国民国家が存在していたとし、やがて資本主義や人種主義などに影響され帝国主義が現れ、帝国主義が植民地を生み、膨張していくなかで、かつての国家を構成していた階級社会から落伍していった人たちがいたとして、経済不況の中で不安や不満にまみれる、その“根無し草”となった人たちを、自国民を神聖化するなど架空の神話をつくり上げ、動員していったのが全体主義であるとします。
この連載の中でも、拡散する性質を持つ近代文明を受け入れていく中で、自然や土地、ふるさとの文化とのつながりが希薄になっていったことを述べてきました。アーレントは、そうした“根無し草”となった人たちが、狂気に走っていった様子を描き出したのでした。
また、逃亡先のアルゼンチンで拘束された、数百万のユダヤ人を収容所に送る責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、戦争犯罪を犯した人物が、凶悪な人物ではなく、どこにでもいるような平凡な人物であったことを『エルサレムのアイヒマン』で描き、それが発表されると多くの批判を受け、アーレントは多くの友人を失ったとされます。
アイヒマン裁判の翌年、「ごく平凡な人物であっても、ある状況下のもとでは残虐な行いをしてしまうかもしれない」という疑問から、「ミルグラム実験」、または「アイヒマンテスト」と呼ばれた実験が行われました。


新聞広告の募集で集まった人たちが「先生役」と「生徒役」に分かれ、出された問題に間違えると、先生役の人は生徒役の人に電圧が流れるスイッチを押すという内容です。スイッチは15〜450ボルトまで9段階あり、電圧が上がるたびに生徒は悲鳴を上げ、絶叫し、実験の中止を訴え、やがて無反応になります。これは録音された声が流されているだけで、実は生徒役の人には電気が流されることはありませんでした。しかし、苦痛の声を聞いて先生役の人がスイッチを押すことをためらうと、権威のある博士然とした人物が現れ、実験の続行を説得します。その結果、被験者のうち65パーセントの人が最大の電圧のスイッチまで押したのだそうです。
普通の人物であっても、残虐な行いをしてしまうかもしれない。正しいと思っていても、後になって考えてみれば間違っているかもしれない。アーレントの著作を読んで感じたことです。やはり人間というのは洞窟の中で儀礼を行っていた頃と変わらず、不確かで危うい存在なのではないだろうか、そんな風に自分には思えてくるのです。


膨張・拡散する社会の恩恵


ところで、アーレントの著作は「資本主義批判の材料」とされることもあります。膨張する資本主義が原因で全体主義が生まれたのだから、資本主義と親和性のある政治は危険だという主張になるでしょうか。しかし僕自身は、簡単に答えが出せる問題ではないように感じています。アーレントが生きた時代とは状況も異なり、当時には見えなかった資本主義によって自分たちが受けている恩恵も出てきています。例えば、『世界銀行』は1日1.91ドル程度で生きる人たちを絶対貧困状態と定義します。1820年には世界の人口の90パーセントが絶対貧困下での暮らしを余儀なくされていたものが、2017年には10パーセント以下に低下しています。そのおかげで、かつて30歳だった平均寿命が72歳まで延びてもいます。
かつて一部の人が独占していた情報発信能力を、今ではオンラインを活用して多くの人が手にしているのも、5パーセントの人に向けられていたアートが多くの人に開かれるようになったのも、膨張、拡散する文明や社会の恩恵であると自分は考えています。
そんな社会の中において、自分自身を見失わない方法、人間性を確保できる方法はないだろうか、それが自分の関心となっているのですが、ドイツに滞在した1か月間はそんなことばかり考えていました。自分の考えが完全に正しいとは思えないからこそ、考え続けなければと思うのです。





文・題字・絵 坂本大三郎
さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。
記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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