林真理子さんが50年目に突入した『徹子の部屋』に登場「理事長職に忙殺され、このまま書けなくなってしまうのでは…と思った時、選んだテーマは大好きな〈皇室〉」

2025年2月28日(金)10時0分 婦人公論.jp


(撮影◎本社 武田裕介)

林真理子さんが50年目に突入した『徹子の部屋』に登場。古希を迎えるのは嫌だったが、サプライズパーティーで受け入れざるを得なくなったという。70代になって良かったこと、終活で始めた「新タケノコ生活」についても楽しく語る。36歳の時、お見合いで結婚した夫とは今年、35年の“珊瑚婚式”。夫婦関係についても明かす。2年ぶりの新作刊行を語ったインタビューを再配信します。
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作家の林真理子さんが、待望の新刊『皇后は闘うことにした』(文藝春秋)を上梓。各方面から注目を浴びている。表題のほか、「綸言汗の如し」「徳川慶喜家の嫁」「兄弟の花嫁たち」「母より」と全部で5編が収められた単行本出版は、前作『李王家の縁談』から2年ぶりだという。
日本大学に初の女性理事長として就任したのは2022年7月。限られた連載を残し、大幅に仕事を絞った。「あまりの忙しさに全く小説を書けていなかった」という林さんに、この作品への思いを聴いた。
(構成◎吉田明美 撮影◎本社 武田裕介)

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主人公は、大正天皇のお后、貞明皇后


———『皇后は闘うことにした』は、やや意味深なタイトルだが、主人公は、大正天皇のお后、貞明皇后。ハンセン病の予防など多くの福祉事業や、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力したとして知られている。

「闘う皇后」とか「皇后の決断」じゃつまんないし、『成瀬は天下を取りにいく』も受けてるから、そのへんを狙ってみたタイトルです(笑)。 おや?と思ってもらえるとうれしいです。

貞明皇后、もとは九条節子(さだこ)というお名前ですが、資料を読んでいるうちにどんどんのめりこんでいきました。知れば知るほど面白いんですよ。

明治天皇には側室が何人もいらして、お子様は15人もお生まれになったんだけど、成人した男子はきゃしゃでひ弱な第3皇子の嘉仁さまだけだったんです。それだけにお后選びは、大変だったと思う。美しいだけではだめ、ちゃんとお子さんをお産みになる方でなければ、という思いから選ばれたのが節子だったんです。

節子は、生まれてすぐ、今の高円寺あたりの豪農に預けられて、4歳まで伸び伸びと野山を駆け回りながら育ちます。その後九条家に戻って15歳で皇太子に嫁ぐわけです。活発で賢い方だったようではありますが、「九条の黒姫さま」と呼ばれるほど色黒だったという記録もあり、当時の日本の「色白の卵に目鼻」という美人の基準からは外れていたかもしれません。

登場人物たちが勝手にしゃべり始める


———節子妃は、政府や宮中の思惑どおり4人の皇子を出産、皇統を盤石にした。しかし、どの子も生まれてすぐに節子妃のもとを離され、親子で生活することはできなかった。新婚生活も必ずしも円満ではなかったようで、そのあたりの人間くさい節子妃の姿が、林さんの手によって生き生きと詰めこまれている。

お輿入れしてすぐの冬に、東京に雪が降り、赤坂の東宮御所も真っ白の雪景色になったんです。そこで、節子は女官たちを相手に雪合戦をする様子を描きました。まだ15歳。しかも4歳までは広々とした大地を駆け回っていた節子ですから、きっと無邪気に楽しんだと思うのです。

私たち作家には、資料を読み込んでいく中で、できるだけ面白そうな事実を拾い出して、そこからどんどん広げていくという役割があります。だから「豪農に預けられた」という事実から、想像力で膨らませていく。そうすると、登場人物たちが勝手にしゃべり始めてくれます。このシーンの節子はまさにそうです。

また節子は、ほかの華族と違って、幼いころに預けられた家庭で愛情をたっぷり注いでもらって育ったので、人に対しても愛情深く、おおらかだったと思われます。

そんな節子が夫である皇太子と心が通わないという苦悩を抱く…。さぞかし心細かったことでしょう。生まれたばかりの息子とも次々に引き離されて暮らすことを余儀なくされた節子は少しずつ病んでいくのですが、いったいどうやって自分を取り戻していくのか。そこに登場するのが下田歌子なんです。

———下田歌子は、林さんの1990年の小説『ミカドの淑女(おんな)』の主人公。幼いころから神童の誉れ高く、明治から大正にかけて活躍した女子教育の先駆者で、明治天皇や昭憲皇后のおぼえめでたく、学習院の教授にも就任していた。 後に、その美しさと行動力からスキャンダルの標的となり「妖婦」のレッテルを貼られ、人間関係の乱れをセンセーショナルに報じられるが、女子教育の現場には立ち続けた人物である。


明治の宮廷を襲った一大スキャンダルの真相を暴く、著者初の歴史小説『ミカドの淑女』(著:林真理子/KADOKAWA)

『ミカドの淑女』で描いた下田歌子は、いわば私の「よく知ってる人」。資料から、歌子が何度も貞明皇后と会っていることは知っていました。だから今回、よく知っている下田歌子と貞明皇后の会話を中心に書けばいいんじゃないかと思いついたんです。

でも、たぶん節子は最初は下田歌子を嫌ってたと思いますよ。だって婚礼の日に歌子は新聞に「ことさら美しい方ではないけれど、未来の国母としていささかも欠点がない」つまり「子どもを産むには申し分ない」などという記事を寄せていたんです。失礼ですよね。今なら許されないでしょう。(笑)

しかも、歌子は明治天皇の后である昭憲皇后と仲がいいわけです。姑と仲がいい人なんて、嫁としては煙たい存在に決まってますよね。

でも、節子が自分を失いそうになったときに歌子がかけた言葉が、節子に強靭な心を取り戻させます。大正時代になってからの貞明皇后の活躍は、歴史が証明していますね。 

大正時代ってたった15年しかないけれど、とっても面白い時代なんですよ。明治から大正にかけては、和洋の文化が混在していました。日本が大きく変わって、西洋の影響を受けながら近代化への道をたどっていく、その先頭に立たざるを得ないのが皇室なんです。それまで「おすべらかし」だったのに、急に洋装になって、ヒールを履かなきゃならない。これは、かなりしんどいことですよ。西洋を礼賛していた明治天皇の后である昭憲皇后も本当にがんばったと思います。昨日まで着物ですべてを隠していたのに、急にノースリーブですよ! いきなりこの二の腕を出せと言われるなんて、私もいやです。(笑)

毎日が楽しくてしょうがなかった


この「皇后は闘うことにした」と「母より」の2編を加えて、今回の単行本が出版された。これは林さんにとって、ある意味、リハビリだったようである。

日大の理事長職を受けてから本当に忙しくて、小説を書く時間はまったくとれていませんでした。でもある時、ふと思ったんです。「このまま書けなくなっちゃうんじゃないか」「私は忘れられちゃうんじゃないか」って…。作家って、職人みたいなもんですから、書いてないと腕が鈍るんです。私はパソコンを使わず、文字通り右腕一本で書いてますから、腕が鈍ると本当に書けなくなるのではという恐怖が出てきました。 

そんなときに、2年前の『李王家の縁談』を書いたときのスピンオフとして何本か書いていて、塩漬けになっている作品があることがわかった。「そこにあと2本足せば本ができますよ」と編集者に発破をかけられて、おそるおそるとりかかってみたんです。


明治から昭和にかけて波瀾の生涯を送った女性皇族の視点で描かれた歴史小説『李王家の縁談』(著:林真理子/文藝春秋)

2年も書いていないから、勘を取り戻すのが大変だろうと思っていたんですが、書き始めてみたら筆がすいすい進む! これはうれしかったですね。 ゴールデンウィークと夏休みを使って書いたのですが、毎日が楽しくてしょうがなかった。「乗って書ける」という感覚を取り戻せたのはとても幸せなことです。いつの間にかこの時代の皇族たちが私に乗り移ってくる。お上品なふるまいだったり、けっこうぞんざいな口をきいてみたり、どんどん憑依してくるので、時には書く手が追い付かないほどでした。今回のこの一冊は、まだまだ小説を書いていていいんだ、と、改めて私に自信を与えてくれました。

———2022年7月、日本最大の規模を誇る日本大学の理事長に女性として初めて就任。前理事長の脱税事件や元理事らによる背任事件を受け、その動向に注目が集まった。

日大OBである私に「理事長に」とお声がかかったときに、面白そうだなとは思いましたよ。でも決して軽い気持ちで受けたわけじゃない。やるからには本気でやらないと、と覚悟を決めました。

とにかく大変なときに、古い体質の組織に入っていかなきゃならない。迎える側もおっかなびっくりだっただろうし、私も探り探りでしたね。やっぱり大変でした。派閥だのなんだのという、そんな単純なことじゃないんですよ。いろいろなことに好き勝手に手を付けることもできなかった。どう頑張ればいいんだろうと考えても、妙案なんてないんです。一人ひとりと地道に仲良くしていくしかない。みなさんと協力しながら、そして教えてもらいながら、いろいろなことを実行していかなきゃと思い、まずは、教育をテーマにした自分の作品『小説8050』を450冊買って、サインして手紙もつけて、全員に配りました。「皆さん私のことを知らないと思うから、読んでくださいね」ってお願いしたんです。

2年半経って、おかげさまで今は人事もうまくいって、意思が通じる組織になってきました。私は、どちらかというと調整型のリーダー。エンジン01(各分野のエキスパートが集まるボランティア集団)の、あの超個性的な250人を幹事長としてまとめてきた経験があるので、まだまだいけそうです。(笑)

皇室ものは書くのも読むのも大好き


———今回の作品が「皇室もの」だったというのも、林さんのモチベーションを上げる一因だったという。

皇室ものは書くのも読むのも大好きです。今回、すいすい書けたのも大好きなテーマだったからかもしれません。

昔から皇室は好きでした。婦人公論の読者の方々と同じです(笑)。私たちの年代だと、子どものころの「ミッチーブーム」も一因ですね。あんなに美しい方がこの世に存在するなんて!と感動したものです。

今回書き足した「母より」という作品では、秩父宮妃勢津子さまを主人公にしました。あの美智子妃をいじめた怖いおばさまというイメージもあったのですが、実はとても聡明で素晴らしい方。ご夫婦仲もとてもよかったんです。「皇后は闘うことにした」のヒロイン、節子が今度は母としてどうふるまうのか? 秩父宮殿下のすばらしさ、そして勢津子妃の魅力も併せて、たくさんの方々に知っていただきたいです。

本来は、皇室ものはノンフィクションが得意とするところなんだと思います。でも、私はそれを小説にして、ハードルを下げて多くの人に読んでいただきたいんです。当時の皇室の方々は雲の上の存在なので、神秘的でベールに包まれていて、よけい想像力をかきたてられますよね。でも、やんごとなき方々の孤独も身につまされます。ノンフィクションには嘘は書けないけれど、小説なら史実に基づいていくらでも膨らますことができる。とはいえ、どこを書けば面白いかというのをピックするのは作家の勘であり、広げていくのは腕の見せ所です。今回の作品も「読み物」として楽しんくださるとうれしいですね。

そういえば、今回は皇室ものだったから「登場人物の名前を考える」という作業はありませんでしたが、いつもはけっこう悩みます。『婦人公論』に投稿していらっしゃる方のお名前からヒントをいただくこともけっこうありましたよ。
自分の小説の中で、一番好きな主人公ですか…?難しいですが、けっこう意地悪な女性が好きなので、『不機嫌な果実』のヒロインの「麻也子」とか、その名前を娘につけようとしたら、夫から「どうせろくでもない小説なんだろうからイヤだ」と言われたことがありましたが…。(笑)

でも、これほど皇族が大好きな私ですが、戦後の皇室にはほとんど興味がありません。いろいろなことがわかりすぎてしまっているので、作家としての想像力をかきたてられないのかもしれません。

情報化社会のせいで今の皇族の方々は不自由を強いられ、ストレスがたまる一方ですよね。私たちみたいに居酒屋で飲んだくれて憂さ晴らしするわけにもいかないし、狭いところから出られないのはお気の毒としかいいようがない。そしてこのところのSNSなどを使った様々なバッシングは、不愉快なだけ。誰かを悪役に仕立てるようなやり方には、憤懣やるかたない気持ちでいっぱいです。そんな中で愛子さまのご様子を拝見すると心がなごみます。本当に気品にあふれていて、おごそかな雰囲気をまとっていらっしゃる。皇室の底力を見せつけられているような気がいたします。

昔の皇族の方々がどのように暮らしていたのか、ぜひ小説の世界で覗き見て楽しんでいただければ幸いです。


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