6件すべて危機遺産の国シリア、IS(イスラム過激派組織)により破壊された古代シルクロードの隊商都市、悪夢の光景

2025年2月28日(金)6時0分 JBpress

(髙城千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)


ベル神殿は消え、円形劇場では25人を射殺

 遥か昔のシルクロードの夢に引き込まれる1枚の絵がある。日本画の巨匠・平山郁夫が、2006年に描いた「パルミラ遺跡を行く・朝」だ。オレンジ色に煙るシリア砂漠を、黒いベールをかぶった女性たちがラクダの隊商をつらねる。その背後に、幻のごとく聳え立つオアシス都市パルミラ。アーチ状の凱旋門と列柱がつづく美しさは、旅人の心をとらえ長旅を癒しただろう。

 現実の光景もまた、このイメージを裏切らない。アジアから地中海へと向かうキャラバンは、ユーフラテス川沿いの城塞を出ると、広大なシリア砂漠を横切ることになる。果てしない白茶けた荒れ地を、蜃気楼のかなたに向かう。すると200km進んだ砂漠の中間地点に突如、そこだけナツメヤシ林のあふれる緑に囲まれた小高い丘があり、ベル神殿が佇んでいた。まさに幻影を想わせる街が、中東のシリア・アラブ共和国にある世界遺産「パルミラ遺跡」(登録1980年、文化遺産)だ。

 パルミラという名は、ギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」に由来する。古来、栄養価が高いナツメヤシの実(デーツ)は、遊牧民の命を支えてきた。その上ここには、地下水がたっぷり湧き出す。シルクロードの拠点として古代都市パルミラは、紀元前1世紀から400年にわたり繁栄を謳歌したのだ。

 だが旅人たちが目を瞠り、息をのんだ光景はもう無い。2015年にIS(イスラム過激派組織、いわゆるイスラム国)によって爆薬がし掛けられ、パルミラは粉々に破壊された。跡形もないほど損傷したのは、平山郁夫が筆をとった凱旋門と2つの神殿(ベル、バール・シャミン)である。彼らは、異教の神々をまつる神殿はイスラム教が禁じる「偶像崇拝」を増長するものだと、破壊の名目をそう主張した。

 大地の神ベルに捧げられ、紀元32年に建立されたベル神殿。それは都市の中核であり、街の入口・凱旋門から1.3kmのメインストリートで結ばれている。道の両脇には、かつて750本もの列柱が立ち並んでいた。そんな神殿が、玉座もアラベスク風の文様もまるごと崩れ落ちた。が、わずかに門だけが残り……瓦礫の山からスックと立つ姿は、日本の鳥居にも似て、私には結界を張っているかのように見えた。

 ISは破壊にとどまらず円形劇場では、シリア政権軍兵士25人を横一列に座らせステージ上で処刑した。まだ10代とおぼしき戦闘員を一人ずつ後ろに立たせ、銃で射殺させたのだ。このとき残虐な大量処刑をカメラで撮って、動画を公開さえしている。数千人を収容する観客席があり、円柱で彩られた華麗な背景をもつ古代ローマ様式の円形劇場は、“血塗られた舞台”と化してしまった。悲痛で言葉もない。


危機遺産になってもことごとく荒廃

 シリアでは、親子2代にわたって50年以上も、アサド大統領による独裁政権が続いてきた。2011年の「アラブの春」を契機に、反体制派との内戦が始まるのだが、混乱の中でISが台頭、さらにクルド人勢力も蜂起する。ロシアやトルコ、イランなど周辺国の思惑がらみの介入もあり、一筋縄でいかない対立関係が生まれ泥沼に陥った。

 ユネスコは“治安の悪化”を憂慮して、2013年にパルミラだけでなく、シリア国内にある6件すべてを「危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リスト」に加えた。本来、世界遺産とは「不動産の保護制度」である。この危機遺産リストを公表することで、世界各国の協力を仰いで、危機的な状況からの脱却を試みる。それが第一義なのだ。

 そのために「明白な危機」と「潜在的な危機」の2つの登録基準をつくった。戦争や環境破壊などが起こる前の“潜在的”な時点で、いち早く人が関与し改善策を講じようとしている。なぜならユネスコには、保護・保全を怠った国に対する制裁措置がない。できるのは、世界遺産からの抹消という“警告”をチラつかせて、思い止まらせるだけ。

 しかしユネスコの願いも空しく、パルミラはISによって2年間近くも占領される。世界的な観光地は、むしろ彼らに注目を向けさせるプロパガンダの劇場になった。2017年にアサド政権軍によって奪還されるのだが、周辺に7000発もの地雷を埋めたという。

 他の5件の世界遺産も、ことごとく荒廃した。アラビア半島とメソポタミア、地中海をつなぐ中継地であるシリア一帯には、シルクロードの古代都市が多い。「古都ダマスカス」「アレッポ旧市街」「隊商都市ボスラ」は、政権軍と反体制派による戦闘の場となり、戦車からの砲撃がくり返された。なかでも甚大な損傷を受けたのが、十字軍の古城だった「クラック・デ・シュバリエ(騎士の砦)」である。

 両軍がともに軍事拠点にして、12世紀の遺跡を破壊したのは“敵軍”だと非難しあっている。最後の一つ「シリア北部の古代集落群」は、あろうことかトルコ軍機による空爆で、教会や修道院・墓地などが被害を受けたと報道されたが、トルコ政府はこれを否定。遺跡や公共施設へは攻撃していないと発表したが、事実は一切が闇の中でハッキリしない。

 パルミラが最も輝いたのは3世紀半ば、ローマ帝国の支配下にはあるものの“自由都市”の資格を与えられ発展を遂げた。実権を握った女王ゼノビアは、独立国家への道を選び、勢力拡大を図る。しかしローマ軍に敗退、略奪され破壊され尽くし廃墟と化したのだ。

 カール・マルクスの著書『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に、要約されて度々引用される一節がある。「歴史はくり返す。1度目は悲劇として、2度目は笑劇として」

 世界遺産「パルミラ」は、2度破壊された。けれど2度目も“美しい廃墟”として甦るだろう。そして、文化財が紛争を止める日が来るのを待ち続けるのだ。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:髙城 千昭

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