悩みすぎて疲れてしまう人に『御上先生』監修・工藤勇一氏が贈る人生の授業。「つらい自分と向き合う時間を持たないと、心のひだは深くならない」

2025年3月2日(日)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

松坂桃李さんが主演を務める日曜劇場『御上先生』。「学校教育監修」としてクレジットされている教育者、横浜創英中学・高等学校前校長の工藤勇一先生は、子どもたちが自由に生きていくための学校改革を積極的に行ってきました。これからの時代を生きていく子どもたちを、大人はどのように見守っていけば良いのでしょうか?今回は、工藤先生が子どもたちに向けて書いた著書『考える。動く。自由になる。−15歳からの人生戦略』から、工藤先生の“人生の授業”を一部お届けします。

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悩んで疲れたとき、やめてみた方がいいこと


「みんなと仲良くして、誰のことも嫌いにならず、友達にウソをつかない人」を目指し、悩んでしまう人がいます。

まわりの人に合わせて自分をいつわって、疲れてしまう。

友達に合わせたふるまい方に悩んで、疲れてしまう。

本音を抑えてつくろう自分に、疲れてしまう。

校長室にいると、そんな生徒たちが「自分はこのままでいいんでしょうか……」と相談にやってきてくれます。

僕から伝えているのは、「悩んで疲れてしまう君は深く考えていて、すごい」というメッセージ。単に「自分らしく」「自分に正直に」と繰り返すだけの人よりも、人とのつながりを真剣に大切にしているからこそ、悩むんです。

でも、悩みすぎて疲れてしまったなら、「理想像を追いかけるのは一度やめてみたらどうだろう?」というのが、僕の考えです。

カッコいい生き方


悩む時間は、僕たちを成長させてくれます。

でも、疲れているとき、ムリにふんばらずに割り切ることも大切です。

人は、みんな、あちこちに気を遣いながら生きています。

それがカッコ悪いかと言えば、そんなことはありません。周囲を気遣いながらも自分のことを尊重し、素敵に生きている人はたくさんいます。

ただ、自分なりの心地いいバランスを見つけるまでには長い時間がかかります。

勉強が大変だったり、人間関係のトラブルが発生したり、親とぎくしゃくしたりすると、いつも通りの自分ではいられなくなります。そういうときは、バランスを取り直すための時間や人との距離が必要になります。

自分のことがわかった気になったり、やっぱりわからないな……と悩んだり、行ったり来たりしながら進んでいく。自分らしいバランスは、かんたんには見つからないものです。

人には力んでいるように見えても、自分の中では肩の力が抜けて自然体、そんな生き方が、僕の考えるカッコいい生き方です。

でも、それなりの歳になったいまでも、なかなかそんな自分にはなれていないように思います。でも、そうなれていない自分も、それはそれでけっこう気に入っています(笑)。

僕は、校長室まで来てくれた生徒たちに、こう伝えるようにしています。

「心の『ひだ』をつくるのが大事。そのひだが多ければ多いほど、深ければ深いほど、ものごとに対する感性が磨かれていくんだよ」

「悩む時間、つらい自分と向き合う時間を持たないと、心のひだは深くならないよ」って。

一人で自由に考えられる時間、大事にしてる?


僕は子どものころから運動が大好きだったので、友達とはいつもスポーツをして遊んでいました。

でも、じつはみんなと一緒にいる時間以上に、一人でいる時間も好きでした。だから、あえて一人で行動する時間を作るようにしていたのです。

一人での時間の過ごし方には、2つありました。

一つは、夕方の時間帯を楽しむこと。

夕焼けから暗くなるまでの空や雲の色の移ろいが、なんとも言えず好きでした。ときには自分の部屋の窓から、ときには学校帰りの道すがら、誰にも邪魔されることなく、真っ暗になっていくまでの時間と空間をただただ一人で楽しんでいました。

僕が育った山形県の鶴岡は城下町で、僕の通った高校のとなりには鶴岡公園という城址(じょうし)公園がありました。高校時代、天気のいい日は夕方から暗くなるまでの間、公園で一人たたずんで、よく考えごとをしていたものです。

わざと迷子になる


もう一つの遊びは、「わざと迷子になること」でした。小学生くらいのときの遊びなので、バカな遊びと笑わないでくださいね。

僕はいまもそうですが、子どものころからめちゃくちゃ方向音痴なんです。鶴岡は城下町ですから、町全体、そこらじゅうに袋小路があります。これは敵が攻めてきたとき、かんたんにお城へたどり着けないように考えられたしくみです。


(写真提供:Photo AC)

小学校の高学年になると、僕はよく自転車で生活範囲の外に出て行っていました。15分も走ると、まったく知らない街区に出ます。そこで思いつくまま自転車のハンドルを切っていると、袋小路にぶつかります。大きな通りに出ようにもなかなか出られなくなるんです。

方向音痴の僕は、そのうち東も西も、北も南も、いま通った道さえわからなくなってしまいます。いわゆる迷子ってやつです。こうなると家になかなか帰れなくなるわけですが、なぜかこれが気持ちよく、たびたびわざと迷子になる遊びをしていました。

ああでもない、こうでもないと考える


いまになって振り返ると、2つの遊びはどちらも「一人でものごとを考える時間」につながっていたと思います。

「一人であれこれ考える」という習慣は、いまでも続いています。さすがにいまはなかなか夕方の時間を楽しむゆとりはありませんが、僕は朝起きる時間が早く、だいたいは4時起きなので、それからの1時間半くらいは一人であれこれ考える時間にあてています。

前置きが長くなってしまいましたが、子どものころから「ああでもない、こうでもない」とたった一人で考えるという何気ない行動の繰り返しこそが、「ものごとを深く考えるクセ」を僕の脳に刻み込んでくれたのかもしれません。

※本稿は、『考える。動く。自由になる。−15歳からの人生戦略』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。

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