タイタニック号の知られざる感動秘話… 父親に誘拐された兄弟と運命のいたずら

2023年3月5日(日)17時0分 tocana

 今夜18時30分から「日本⇒インド洋27000km!巨大客船に乗せてもらいましたSP」(テレビ東京系列)が放送されるが、豪華客船といえば、1945年に1500名以上の犠牲者を出した”タイタニック号”を思い浮かべる人も少なくないだろう。この事故によって、わずか2歳と4歳で”生存者唯一の孤児”になった兄弟がいた。彼らはなぜ、タイタニック号で発見されたのか? その背景には、運命のいたずらとも思えるもうひとつの感動秘話があった。


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※こちらの記事は2015年10月19日の記事を再掲しています。


 1912年4月15日、かの豪華客船タイタニック号は北大西洋上にて氷山と衝突、乗員乗客あわせて1,500名以上の犠牲者を出す悲劇のクルーズとなってしまった。生存者771名のうち、最後の生存者であったミルビナ・ディーンさん(97)が2009年、イギリスはハンプシャーの養護施設で死去し、タイタニック号の生存者はゼロとなった。


 そんななか、生存者の中で唯一孤児になりながらも奇跡的に助かった、当時2歳と4歳のまだ幼い少年達の物語がいま世界中で感動を与えている。


正体不明のタイタニック孤児

 写真には一見女の子と見間違いそうな可愛らしい兄弟と、「Louis & Lola ?タイタニックの生存者」というメモだけが記されている。


 この写真を所蔵しているアメリカ議会図書館によれば、これは1912年の事故後すぐの4月に撮影されたもので、写っているのはフランス人の兄弟ミシェル・ナヴラティルと弟のエドモンドだということが後々わかった。
 
 撮影当時はまだ二人の身元がはっきり確定していなかったため、「Louis & Lola ?」と疑問符がつけられていた。しかも事件後、乗客名簿はぐちゃぐちゃになってしまい、ナヴラティルとエドモンドは救出後、すべての質問にただ「ウィ(はい)」と返事するだけだった。実のところ、彼らは英語が理解できなかったのである。


 当時マスコミは「タイタニックの双子」と名づけて記事のネタにしたが、フランスのニースに住むある女性がこの写真を新聞で見るまでは彼らがどこの誰なのかはわからずじまいだった。今と違ってネットもなければ情報手段も満足になかった時代の話である。


 この女性というのは彼らの実の母親、マルセルであった。マルセルは早速連絡をとり、兄弟の身元が確認された。そして、米国にいた息子たちに再会することが叶う。これは、事故から1カ月過ぎた5月16日のことであった。しかしなぜ、たった2歳と4歳の子どもがタイタニックで発見されることになったのであろうか? その答えは、彼らの父、ミシェル(長男と同名)がカギを握っていた。



幸せな生活を取り戻したくて

 実は、幼子の両親マルセルとミシェルは結婚生活がうまく行かず5年目にして別居、母親が親権を持つことになり、父のミシェルはイースターの週末だけ息子たちに会うことが許されていた。


 しかし、かつての幸せな生活をどうしても取り戻したいと願ったミシェルは、息子たちを誘拐し、そのまま失踪してしまったのだ。ミシェルは息子たちをつれてアメリカへ移住しようと計画、しばしモンテカルロに滞在の後、アメリカ行きの船にタイタニックを選んだのだ。


 4月10日、彼らはイギリスのサザンプトン港からタイタニック号の等船室に乗船した。計画がバレないよう、父親は「ルイ・M・ホフマン」というユダヤ系の偽名を名乗り、息子たちには「ロト」と「ルイ」の名義で船室の予約を行っていた。そして運命の15日を迎えるのであった。


 沈みゆく船——。ミシェルは我が子を救命ボートの乗せるも自身は力尽きてしまう。ただ、最後に幼き息子ナヴラティルに残した言葉は、当時まだ4歳であったにもかかわらず彼はいまだに覚えているという。


「我が子よ、お母さんが必ず来るからね。そして伝えておくれ、本当に愛していたと。そして今でも……」


 そしてこう続けたという。


「お母さんがいつの日か我々のもとに来てくれることを期待していたんだ。新しい土地で幸せに平和な暮らしを送りたかった」


 と。これがミシェルの最期の言葉となってしまった。


 息子のミシェルは後にタイタニックの事故に関してこう回想している。


「すごく豪華な船だった、今まで見たことがないくらいの。船を先頭から眺めていた光景を今でも覚えています。弟とデッキで遊んだんです。最高だった。あの日の朝は、父と3人で2等船客用のダイニングルームで卵を食べました。海は船の走行でものすごい音を立てていて、救命ボートに乗る直前まで怖いなんて気持ちは少しもなく、本当に幸せの中に包まれていました」


■3人のその後


 フランスに戻ってからは、兄のナヴラティルはタイタニックでの父親との経験に強く影響を受け、大学に進学して哲学の博士課程を終了、フランスの伝統的なモンペリエ大学で哲学の教授に就いた。


 一方弟のエドモンドは、室内装飾家として働き、後には建築家となった。だが彼は、第2次世界大戦中にフランス陸軍に従軍し、敵軍の捕虜となってしまう。幸いにも逃げ出すことにできるが、その後体調が思うように改善せず、1953年に43歳で死去している。


 ナヴラティルは余生をモンペリエで送り、2001年1月30日に92歳の生涯を終えた。タイタニック号生存者の最後の男性であった。


 彼らが幸せだったかどうかはわからない。父の思惑に翻弄され、悲劇のタイタニックから奇跡的に助かった。これは運命のいたずらなのであろうか。

tocana

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