荻原博子「今の高齢者は投資教育を受けていない。<新NISA>が始まろうとも言いなりで手を出すのは危険」萩原博子×樋口恵子対談

2024年3月18日(月)12時30分 婦人公論.jp


評論家の樋口恵子さん(右)と経済ジャーナリストの荻原博子さん(左)(撮影:宮崎貢司)

老後の気がかりはあれこれ尽きぬもの。そんななかで「どう機嫌よく生きるか」を説いた新刊『老いの上機嫌』が話題の樋口恵子さん。お金の不安を和らげる発信を続けている荻原博子さんと、人生後半を機嫌よく生きるコツについて語り合いました(構成:篠藤ゆり 撮影:宮崎貢司)

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<前編よりつづく>

挫折も苦労も財産にして


樋口 ところで荻原さんは、何がきっかけで経済に関するお仕事を始められたんですか?

荻原 祖母が母子家庭で育ったので、母は家を支えるために師範学校に行って教師になって。当時、女性がずっと働ける職業は限られていて、教師くらいしかなかったんです。

樋口 お母さまは結婚してからもお仕事を続けられたのね。

荻原 はい。だから、女性が働くのは当たり前という家風でした。本当はシナリオライターになりたかったけど、夢みたいなことを言っているより、まずは経済的に自立しなければと思って。経済評論家の先生の事務所で働くようになり、「どんなことでもやりま〜す」と宣言して、振られる仕事はすべてやりました。

じつはルポライターを目指した時期もあるんです。旧満洲から引き揚げた方のお話をうかがって本にしました。でも、自分には重い事実を受け止める胆力がないと思い知らされ、続けるのを断念したんです。

樋口 私は30歳そこそこで亭主に死なれ、4歳の娘をなんとか育てなければと、必死で仕事をしました。女性の就労差別が当たり前の時代でしたし、女性はなんと大きなリスクを背負っているんだろうと痛感。その経験が女性問題に目覚めるきっかけになり、今に至るわけです。

荻原 挫折や苦労も、なにかしら財産になりますよね。

樋口 おっしゃる通り! 私も、「若くして亭主に死なれちゃって、かわいそうだよなぁ」なんて憐憫の情でみんなが許してくれて、ここまで甘やかされてきた次第です(笑)。まあ、必死にやってきましたけれど。

損する話に気をつけて。投資教育は必要


荻原 樋口さんに初めてお会いしたのは1996年。ある雑誌での対談でしたね。

樋口 わっ、もう28年も前!

萩原 住宅金融専門会社の不良債権処理のために、6850億円の公的資金の投入が国会で審議された。私たち、怒りながら語り合いました。

樋口 荻原さんは忌憚なく政府を批判するし、しかも、わかりやすい言葉で説明してくださるので、いい経済評論家が出てきたなと心強く思いました。

荻原 ありがとうございます。そもそも私の仕事の原点は、祖父母の人生にあります。祖父母は人生で2回、破綻を経験していて。1回目は1930年の昭和恐慌で銀行が倒産し、爪に火を灯すようにして貯めた全財産を失った。もう銀行は信じられない、国の事業なら大丈夫だろうと、今度は満鉄(南満洲鉄道)の株を買ったんです。

樋口 ありゃ〜。

荻原 祖父は96歳で亡くなりましたが、死ぬ間際に「俺にはすごい財産があるので、喧嘩にならないように」と言い残して。没後、祖父が大事にしていたをあけたら、山のように満鉄の株券が……。

樋口 キャッ!

荻原 戦争に翻弄されたうえに、祖父の全財産が紙くずになった。それを見たうちの父は、国は信じられない、と。その精神が叩き込まれたんでしょうね。

樋口 だまされないよう、しっかり見ていなければ、と思われたのね。

荻原 はい。住専の問題について樋口さんは、「つつましく暮らしている私たちの懐に手を突っ込んでお金を持っていくのが許せない」とおっしゃいました。

樋口 そういう政府のやり方は今も変わらない。格差はむしろひどくなり、私たちの税金の使い道も納得できない。

荻原 今は老人からも取ろうとしています。投資に誘い込んで。

樋口 貯金を引っ張り出したいんでしょうね。

荻原 でも、今の高齢者は投資教育を受けていません。今年は「新NISA」なども始まりましたが、言いなりで手を出すのは危険です。

樋口 そうやって情報を発信してくださる方がいるのは、とてもよいことだと思っています。やはり経済は大事ですから。とくに女性は男性より平均寿命が長いので、きちんと専門家の意見に耳を傾けて、損する話には引っかからないようにしないと。

そして、私たちは死ぬまで納税者ですから、国がどうお金を使うかに意見を言うのは当たり前のことなんです。


「《忘却力》は、ご機嫌に生きる秘訣ではないでしょうか」(荻原さん)

イヤなことは「棚上げ方式」で


荻原 樋口さんはいつも前向きですね。今日は、そのご機嫌の秘訣を教えてください。初対談のときの話が忘れられません。参議院の予算委員会で意見を述べられた際、公的投入した6850億円を、「責任者はローヤへゴー」と語呂合わせされた。素晴らしいユーモア感覚に感激しました。

樋口 予算委員会では笑いと拍手が起きました。一納税者としてせめてもの抵抗です。

荻原 エッセイを拝読しても、ユーモアたっぷり。たとえシリアスな話題でも楽しく読める。

樋口 笑いは人間関係の潤滑油。まわりも自分もハッピーになります。ですからユーモアは大事にしていますし、小さいころからラジオで落語を聞いていたせいか、駄洒落なんぞも得意です。荻原さんもいつも明るく前向き。もともと楽天家ですか?

荻原 私、ほぼいつも機嫌がいいんです(笑)。イヤなことは、すぐ忘れるし。

樋口 あらぁ、私と似てる!

荻原 《忘却力》は、ご機嫌に生きる秘訣ではないでしょうか。

樋口 その通り! 若い時は、人から言い負かされたり、いじめられたりすると、「うぬ〜っ」と思ったりもしました。でもあるころから、恨みつらみは「棚上げ方式」にしようと決めたんです。

残りの人生、ネガティブな感情に支配されてはもったいない。イヤなことは忘れなくてもいいけれど、いったん棚上げして、好きなこと、やりたいことを一所懸命やろう、と。

荻原 たいていのことは、時間が解決してくれますものね。

樋口 最近つくづく感じるのは、《人》はなによりの財産だし、ご機嫌の源。今日みたいな対談にしても、人間関係の賜物ですから。数年続いたコロナ禍の間、対面で人と会う機会が減り、人間はいかに人を恋しがるものかを痛感しました。

荻原 本当にそうですね。もちろん、生きていくにはお金も必要。でも、なんとか年金でやりくりして、「人が財産」という思いで人間関係を拠り所にしていけば、何歳になってもご機嫌でいられるのではないでしょうか。

樋口 だから私は、孤立老人が増えないよう、人口が減った日本においては、政府がきちんと地域社会の再編成を行わなくてはいけないと思っています。

荻原 そういえば私、「ピンピンコロリの村づくり」を目指している地域を訪れたことがあって。

樋口 どのあたり?

荻原 島根県の津和野町です。松江からバスで山間に入って。そこでは集落営農という方法で、みんなで少しずつ出資し、話し合いながら、生涯現役で働ける村づくりをしている。加えて、若い研修生を定住させて、後継者がいなくても農業を続けられる仕組みも実践しています。

樋口 過疎を防ぐシステムをつくったんですね。

荻原 とにかく70代も80代も、みんな元気。畑仕事をしながら、あぜ道を狭んで楽しそうに協議したり、イキイキしているんです。若い人は「歳をとったら無理をせずに」などと言いがち。でも、やるべきことがあると、何歳になっても元気でいられるものなのですね。

樋口 私はかねて、「70代は老いの働き盛り」と言ってきました。必ずしも仕事でなくてもかまいません。ボランティアなども含めて、70代は積極的に外に出たほうがいい。

荻原 働く意味というのは、お金目的以外にもありますね。ずっと専業主婦でこられた方は60過ぎて外で働くのは怖いかもしれないけれど、思い切って外に出たら新しい人間関係も生まれるし、どんどん世界が広がる。やり甲斐もある。そういったことが、高齢になってからもご機嫌でいるための財産になると思います。

樋口 まさに「人(ひと)財産」築けます。私も91歳にもなって笑顔でいられるのは、まわりの人のおかげと思っていますし、今まで出会った方に感謝の思いでいっぱいです。

荻原 せっかくの人生、楽しく過ごしたいですね。たとえお金があっても気分が暗い人もいるから、自分の気持ち次第ですよ。

樋口 老後はお金や健康などの不安のある年代。正直なところ、腰は痛むし、気も短くなって、イヤになる日も(笑)。でも、嘆いてもどうにもなりません。だったら、老いてもご機嫌な時間を延ばしたいと思います。

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