【死後の世界】意識は死んだ後も残るか「重要ポイント11」を公開!体は粒子で意識は波、非局所…最先端研究!

2020年9月27日(日)12時0分 tocana

画像は、GettyImagesより引用

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 はたして死後の世界はあるのか。あるとすればどんな世界なのか——。この古くて新しい問題についてわずかずつではあるが理解が進んできているようだ。


■最新NDE研究の11の知見


 古来より宗教などによって死後の世界が説明されてきたが、現実的な研究の対象になったのは「臨死体験(Near-Death Experience、NDE)」の分析が本格化してからである。これまでにも数々の臨死体験談が収集、分析されており、国際的な臨死体験研究機関「Near Death Experience Research Foundation(NDERF)」には4700もの臨死体験談が登録されている。


 臨死体験研究が本格化したのは1970年代後半から1990年代にかけてのことだとされているが、しかし残念ながらその後は新たな視点をもたらす画期的な知見は示されず、状況は停滞したまま今日を迎えている。


 全体としては行き詰まりを見せている臨死体験研究だが、それでも量子物理学や理論物理学の知見を導入するなどの試みもあり、わずかずつではあるが死後の世界についての思考実験が進められている。


 心停止後の臨死体験の研究において第一人者の1人である元心臓専門医のヴァン・ロンメル氏の著作『Consciousness Beyond Life』(2007年刊)は、臨死体験について深く切り込んだ内容の最先端を行く一冊だ。同著に触発された仏・ポー大学の英文学教授で作家のジョン・バトラー氏が、オルタナティブメディア「Collective Evolution」に寄稿した記事で、今後の臨死体験研究において新たな議論の礎となる視点を解説している。そのポイントは11にも上るということだ。



1:私たちは死後にあり得る人生についてナイーブであってはなりません。特に、臨終やNDEやチャネリングの最中に亡くなった親族が現れるとして、例えば祖母が多かれ少なかれ以前のように彼女の古い人生を続けているとは限りません。 別の「次元」での生活は、思考、私たちの願い、そして正確には外観の問題である可能性があります。


2:量子力学と臨死体験者のこれまでのやや弱い関係は、知的に尊敬される世界で足場を固めたように見えます。「非局所性(non-locality)」は量子力学でのみ使われる用語ですが、「スピリチュアル」という古い用語の適切な代替物になる可能性があります。物理学も止まることはなく、19世紀のアバターのようにはなりません。言い換えれば、それはより奇妙で、緩く、ありえない、意識とより密接に関連付けられ、より“非局所”であり、単純に「物質主義」はなくなります。


3:死後の人生は、私たちが知っている“生”でも死後の“あの世”でもありません。“非局所”は常に私たちと一緒にいて、私たちの世界と私たちの生活を支えています。または“すべての非時間”など、考えが及ばなかった表現を使用する必要があるかもしれません。



4:NDEはネガティブな脳活動の間に間違いなく発生します。ほかの要素が何であれ、意識を説明するときに脳がすべてではないという明確な証拠を構成することを意味します。ヴァン・ロンメルの研究は状況を少し変えましたが、それが長いプロセスの始まりに過ぎず、少なくとも私たちが知っているように、単純な唯物論である可能性は少なくなっています。


5:臨死体験談について、私たちは“すべて”を期待し多くを求めないようにする必要があります。“すべて”とは、臨死体験者が普遍的または“無限”の意識と結びついており、他のすべてのものが何らかの形の幻想であるという見方からくるものです。“多くを求めない”ことによって、意識が肉体から解放されるときに、当人の“個性”の1つが透けて見える場合があるでしょう。


6:「エネルギー」はおそらく、非局所(またはトランスパーソナル、あるいはスピリチュアル)の世界と物理学の世界を最もよく結びつける比喩です。非局所にエネルギーがどのように存在することができるかはまだ定義されていませんが、その“次元”には時間も空間も存在しないため、物理学的定義による運動を含むエネルギーは存在しません。しかし、そこにいくらかのエネルギーがあること(ダークマターまたはおそらくダークエネルギー)は、私たちがここにいるという事実から明らかです。ビッグバンを引き起こしたのはある種のエネルギーであり、それ以前には定義上、局所はありませんでした。



7:ここ、そしてこれからも、私たちは個人の意識を通して私たち自身の世界を創造しているようです。“ザ・グレート”、または普遍的な意識が宇宙を創造するものかもしれません。私たち自身の“世界”と“命”を作成するのは小さな仕事かもしれません。言葉はすべてを作りますが、それを行うプロセスを適切に説明することはできません。


8:仏教徒、ヒンズー教徒、およびすべての宗派の神秘主義者は、正しいアプローチを持っています。あまり多くのアカデミックな哲学を参照するのではなく、アンゲルス・シレジウスを読む必要があります。私たち、または私たちの一部は、一時的に生まれ変わります。死後しばらくの間、おそらく私たちが認識している場所に“住む”必要があるかもしれません(おそらくそれを作成するのはそれほど難しいことではありません)。しかしそこから文字通り何とも表現できない領域へと移行するでしょう。


9:体は粒子であり、意識は波です。 死んだ粒子は別のものに変化します。意識の波は、科学者がすべてのエネルギー形態が永遠に持続することを私たちに言うのと同じように持続します。しかし、私たちが現在考えている“私たち”として、私たちは無限に続くわけではありません。もし“私たち”が限りなく偉大なものとして振る舞えば、そのような存在として存続します。



10:これはすべて多くの宗教の命題と恥ずかしいほど似ています。 しかしこのこと自体はまったく宗教ではありません。


11:これらを表現するエリアでは、引用符が必要です。“人生”、“あの世”、“死”と、私たちは、これらすべてについて本当に“知る”ことはできません。一般的な科学が知識を蓄積したにしても、ましてやなければ特に“知る”ことはできません。


 どうやら今後の臨死体験研究は実に宗教的なものになるのかもしれない。しかし誤解してはいけないのは、臨死体験研究は宗教ではないことだ。


 専門家の中には“宇宙意識”という概念を持ち出す見解も少なくない。誕生は“形”の誕生であり、死は“形”の解消であるというのだ。生きている間は個体の中に閉じ込められている意識だが、死後にはその境界が解消され、宇宙意識の一部に組み込まれるというのである。


 それを暗に示すものとして、臨死体験者は自分の特有の“個性”にこだわらなくなるというのである。自分の枠を超えた壮大なスケールの“宇宙意識”に触れることで、ちっぽけな自分の“個性”などというものには興味がなくなるのかもしれない。


 そしてヴァン・ロンメル氏は、臨死体験の生存者が自分たちの体験を適切に説明するための言葉を見つけられないと訴えていることを明かしている。当然ながら我々の言語は、空間と時間を解釈するためのツールであり、時間と空間を超える内容を説明することはきわめて困難であることを指摘している。


 今後の臨死体験研究は前途多難ということになりそうだが、今後の量子力学や天体物理学、理論物理学の進展も大きなファクターになるのだろう。いずれにしても死後の世界について今後画期的な知見がもたらされることを期待したい。


参考:「Collective Evolution」ほか

tocana

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