世界遺産は“登録”から“消える”時代へ…「ドレスデンのエルベ渓谷」が世界遺産リストから削除された理由

2025年4月1日(火)6時0分 JBpress

(髙城千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)


世界遺産リストから“消える時代”へ突入!

「世界遺産は、どのように選ばれるのだろうか?」

 こんな疑問が湧くことがあるだろう。手続き的には年に一度、7月頃に開催される世界遺産委員会(地域に偏りがない21カ国で構成)で、原則として全会一致の合意によって決まる。そのためには、世界遺産は“自薦”なので、先ずは自国を代表する物件になりユネスコに向けて立候補をしなければならない。

 日本を例にとると、次の候補は「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県橿原市、桜井市、明日香村)で2026年登録を目指している。6世紀終わりからの約120年間に、初めて国を形づくった飛鳥宮跡や石舞台・高松塚古墳など19の資産で構成したもの。それは文化庁の審議会で選ばれ、閣議の了解を経て、正式な推薦書が1月にユネスコに提出された。

 世界遺産は国際条約に基づくので仕方がないとはいえ、申請上にこうして各国政府が関与している。ゆえに政治的ではないかと危惧されるケースが増えてきた。登録されれば観光地として人気が高まり、経済効果は高い。国の名誉にもなるという発想だ。

 世界遺産リストへの登録は、1978年にわずか12件から始まった。以来、毎年数十件ずつ加えられ、現在は1223件(文化遺産952、自然遺産231、複合40)に達している。今年7月には、さらに20件前後が増えるだろう。そんな増えすぎ状況から審査は厳格化したといわれる。2007年には、リストから“抹消”される初の事例まで生じた。中東オマーンの「アラビアオリックス保護区」(登録1994年、自然遺産)である。

 オリックスとはV字型の2本の角が、横からはピンと張った1本角に見えるため、伝説のユニコーンのモデルともされた草食獣。オマーン政府は、この絶滅の惧れがあるオリックスの聖域を、石油資源を開発するために面積を10分の1に縮小する方針を発表した。そして当事国みずからが世界遺産の取り消しを求めたのだ。

 世界遺産をもつ国は、登録を抹消されるどころか、危機遺産リストに加えられることさえ嫌がる傾向が強い。本来は、危機にさらされた物件を国際協力で守っていくのが世界遺産の意義なのだが、国のメンツを傷つけられ不名誉に感じるらしい。ところがオマーンの意向は、自然保護よりも開発による経済利益を優先した。これが口火を切り、世界遺産は増えるだけでなく、リストから削除される“消える時代”に突入した。

 2年後の2009年、地元の住民投票によって、抹消を選んだのがドイツ東部ザクセン州の州都ドレスデンである。ベルリンから特急列車に乗って2時間弱、ヨーロッパの舟運を支えた大動脈の一つ・エルベ川の畔にたたずむ古都に着く。そこに、消えた世界遺産「ドレスデンのエルベ渓谷」(登録2004年、文化遺産)がある。住民は美しい景観よりも、橋の建設による暮らしの利便性を優先したのだ。


ユネスコの警告も聞かず近代的な橋を建設

 世界遺産は“科学”である。世界遺産が、時を超え、国境を越え、人類すべてにとっての「かえがえのない地球の宝」である以上、明確な定義がなされている。

 それは——“顕著な普遍的価値(OUV:Outstanding Universal Valueの和訳)をもつ遺産”であるということ。ならば必然的に、このOUV(顕著な普遍的価値)を失った時には、登録を抹消されても仕方がない。

「ドレスデンのエルベ渓谷」の場合、バロックの宮殿や庭園群とエルベ川の自然が溶けあう調和のとれた“文化的景観”を、普遍的価値にしたことが不幸だった。19世紀の蒸気船が今も運航していて、岸辺の森やブドウ畑とハーモニーを奏でる宮殿が、川の流れとともに眺められる。それは一幅の絵を想わせ、「バロックの真珠」と讃えられてきた。

 そんな渓谷に橋の建設計画が持ち上がったのだ。ドレスデン市街の交通渋滞を緩和する目的であるが、ユネスコは4車線もある近代的な橋は古い街並みにそぐわないと、危機遺産リストに加えた。「もし橋が着工されるなら、登録を抹消する」との警告だった。

 そして地元で橋の建設の是非を問う住民投票がおこなわれ、建設に賛成する票が68%に達したため、予定通りに工事が開始された。これが、世界遺産が一つ消えた経緯である。

 2013年に全長636メートルのヴァルトシュレスヒェン橋が完成。その開通式典には6万5千人もの市民が集まり、お祭り騒ぎだったという。ドレスデン市長は、「橋が完成しても、エルベ渓谷は世界遺産にふさわしい」と悪びれる風もない。

 1本の真っ直ぐにのびる橋桁と半円形のアーチが交差するだけの鉄骨の橋は、シンプルな弧を描き、軽やかな印象を与える。建設当初は非難を浴びたエッフェル塔のように、近代的な橋も100年後には街のシンボルになる可能性だってある。そもそも普遍的価値が「ドレスデン市街」であれば、さほど問題にならなかったかも? 世界遺産は地元コミュニティが歓迎しないのなら、もはや迷惑な代物に過ぎないだろう。

 第二次世界大戦末期の1945年2月、ドレスデンは連合国軍の無差別爆撃により2万5千人の命ともども街が壊滅していた。しかし旧東ドイツに属していたため復興が進まず、ドイツ・バロックの最高傑作「聖母教会」は瓦礫のまま放置されていた。崩れ落ちた石材を拾い集め、かつてあった箇所に正確にはめ込み、復元されたのは2005年。平和のシンボルとして教会の復興を呼びかけると、世界中から反響があり140億円もの寄付が集まった。

 世界遺産が1223件にまで膨れ上がった今、金科玉条の如くその理念に殉じるよりも、古きを留め新しきを知る“ドレスデン遺産”は、注目に値するかも知れない。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:髙城 千昭

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