「文字を読んだり書いたりできない」今の日本では理解しにくい。笑福亭鶴瓶と原田知世が紡ぐ夫婦愛

2025年4月3日(木)10時30分 婦人公論.jp


(C)2025「35年目のラブレター」製作委員会

1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!(写真・イラスト:筆者)

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ハガキで届いた試写会の案内状


「この映画気になるけど、泣かされそうでやだな」。

ちょっと天邪鬼な私は、試写会の案内を見て興味を持ったけれど、躊躇した。とてもきれいな試写会の案内状。ネットの案内が一般化した最近では珍しく、ハガキできて…。

素敵な大人の女性となった原田知世が出演。その夫役が笑福亭鶴瓶。この2人が夫婦として出るなんて、まずすてき。しかも笑福亭鶴瓶が演じるのは、戦後のどさくさで教育を受けられず、字が読めないままに成長した青年・西畑保。その彼を受け入れて長年連れ添い2人の子どもをもうける妻・皎子(きょうこ)を、原田が演ずる。

主人公の妻である皎子の名前が珍しい漢字なのは、この映画が実在する夫婦の物語に基づいているからだ。原作の本があるわけではないが、字が読めなかった西畑保さんが、60歳の定年を折に「妻へのラブレターを書きたい」と奮起して夜間中学校に通い、数年かけ卒業。読み書きができるまでを映画は描く。

この実話は様々な媒体で取り上げられ、落語にもなったそうだがよくわかる。そして『時効警察』や『ドラゴン桜』等のテレビドラマを作り続けてきた監督・塚本連平が「映画化したい」と言うことで実現した。しかし、「この設定、最初から泣いちゃうの、決まりじゃん。ずるい!!」と思わずにいられなかった。暫く悩んでいたが、バインダーに挟んだ試写案内状が捨てられない。そして私は遂に試写会場に足を運んだ。


写真提供:さかもとさん(C)2025「35年目のラブレター」製作委員会

『35年目のラブレター』試写会


試写会は満杯。途中、何度も啜り泣きが聞こえ、「ずるい」と思いながら私も泣いた。素直に見ると、なかなかいい映画なのである。

とはいえ、ちょっと気になったところはある。「映像が少しテレビっぽいなあ」とか、鶴瓶の若い時を演じる重岡大毅さんが格好良すぎて、「この人が年をとっても鶴瓶には、絶対ならない!」と突っ込みたくなったり。でもすてきな青年なので、配役したくなる気持ちもわかる。原田知世の若い頃を演じた上白石萌音は、檀ふみの若い頃のように清楚。

欲を言えば、もう少し昭和の出来事を盛り込んでほしかった。が、逆に言えばそんなことを言いたくなるくらい素材がよく、俳優も構成もよい映画なのだ。どの登場人物にも共感しやすく、私たちが属する「普通」の階級の生活と結婚がよく描かれている。


イラスト:さかもとさん

「文字を読んだり書いたりできない」というのは、今の日本ではなかなか理解できない感覚だが、海外に行ったときに言葉が通じず、メニューが読めない、電車に乗れない…などということは、沢山の日本人が経験しているだろう。一人旅なら、かなり絶望的な孤独の中、途方に暮れるしかない。西畑氏が社会に出てから感じた孤独と無力感は、其れに似ているだろう、しかもそれは旅のように帰国すれば終わる事でなく、ずっと続くのだ。子どものころに読み書きを習得しなかった彼にとって、成人後に読み書きを習得することは、外国語の習得よりも困難だったはずだ。

喋り言葉は理解でき、引き受けてくれる寿司屋の親方に出会って就職は出来たものの、出前を頼まれて出かけた時、町内案内を見ても漢字が読めない。暫く悶々とした後に保が叫び声をあげるシーンは、胸が痛くなる。「俺、字が読めないんで」とは、職場ではなかなか公言出来なかったのだろう。

保はそのことを、結婚相手の皎子にも暫く隠していた(婚姻届けは、親方が代筆してくれたのかもしれない)。惚れて結婚した、美しい妻だからこそ、「自分は字が読めないんです」とは言いたくなかったろう。

しかし、「回覧板のサイン」を後回しにし続ける夫に遂に妻がたずねる。「あなた、もしかしたら、字が書けない?」。そして、うなだれる夫に妻は言う。「私がこれからあなたの手になります」。

これだけでも十分泣けるのだが、更に泣ける展開が続く。それが嫌みに感じないのは、夫婦それぞれが不器用だが懸命に生き、相手を思っていることを丁寧に描いているからだろう。何よりも原田知世と笑福亭鶴瓶、重岡大毅と上白石萌音という配役がはまっている。


イラスト:さかもとさん

「夫婦の幸福」


さて、私達はどんな理由で結婚し、夫婦になっていくのだろう? 学校選びのように偏差値を競い、「よりステージアップするため」にする結婚も時にあるだろう。しかし、大抵はもっと身近な、例えば「自分にできないことを助けてもらえる」とか、「自分が相手の役に立てることが嬉しい」「自分の悲しみをわかってくれる」といった理由なのではないだろうか?

私自身、難病に罹患して、仕事、収入、人間関係がほとんど失われた時に結婚した。主人だけが私に優しくしてくれ、すがるしかなかったというのが本当のところだ。でも、そんなきっかけで結婚できたことを、感謝している。あのまま病気もせず、収入もしっかりあったら、結婚はしないままだったろう。

主人は家事もできず、あとは死ぬのを待つだけの私と結婚してくれた。彼には何の得もない結婚。でも主人は「役に立てるのが嬉しい」と言った。最初は恋愛とは違い、依存だったと思うが、長い時間を共にする間、夫に対して「愛しさ」を確信するようになった。

夫婦の生活は、どんな金持ちでも有名でも、あるいは貧しくても、「平凡な繰り返し」の連続だと思う。朝起きて、どちらかあるいは両方が仕事に行き、子どもがいれば世話をして、食事をし、ともに寝る、其れだけだ。自営業でなければ共にする時間は、職場の同僚の方が多いだろう。性生活などは日本の場合、子どもが出来たら大抵はなくなる。

しかし年を取ってくると、この単調さが心地よくなってくる。色んな時間を分け合った相手が帰ってきて、いつもと同じことを話して眠るのが、楽しみに感じるようになる。夫婦のよさは、おそらくそんなところにある。

そういう「夫婦の幸福」が、この映画ではとてもよく描かれている。孫を連れた子どもの訪問、おしゃべり好きで人のいい近所の主婦との世間話、原田知世が半纏を纏い、こたつで手紙を書いたり、旅行パンフレットを見るシーンは何とも素敵である。

人生を沢山過ごしても、「旅行にもっといきたかった」「もっと優しくすればよかった」「相手にもらった心のこもったプレゼントを失くしてしまった」などという後悔があるのも夫婦だろう。そんな平凡で当たり前だった毎日もいつか終わるのだ。

自分にとっての「相方」


実は、この原稿を抱えていた時、2月4日に実父が死去。3月4日、父を追うように母が急逝した。生前は諍いばかり、母は殴られどおし。最後の20年は縁を絶っていたので詳しくはわからないが、私の知っている母は毎日のように、「離婚したい」と言っていた。

離婚しなかったのは単に、母が生活費をどう稼いでいいかわからなかったからだろう。

そんな後ろ向きの理由で一緒にいてさえ、相手が死ぬなり自分も命が尽きてしまうほど、父と母は、何か深いもので繋がっていたのだと思わずにいられなかった。何か縁があって人は繋がり、愛が生まれるときもあれ、恨みになる場合もある。ただ、家族とか結婚とか親子とかを結ぶのは、損得では決してないということだ。親子関係もそうだ。子どもがもし障害を持って生まれても、何かで障害を背負っても、面倒を見るから家族なのである。

この映画が素晴らしいのは、「字が読めない」というハンディをものともせずに、皎子さんが夫を愛し抜いた姿を、照れることなく描いたからだ。その愛に報いるため、保さんは「何をしたら妻に一番のプレゼントになるか」を、真剣に考えたに違いない、そして、自分の一番不得手なこと、つまり「字が書けない」ことを乗り越え、自分の妻にラブレターを書きたいと考えた。これはどう考えても最高のプレゼントだ。私も自分に手紙を書くため、60歳を過ぎて夜間中学に通ってくれる夫をもったら、どれだけ幸せに思うだろうか。

しかし、突然に「平凡な幸せ」が終わるのだ。保が送りたかったラブレターは遂に未完のまま。そして思いがけない手紙を、残された側が読むことになる。このシーンを見た時、私ははっきり言うが泣いた。原田知世、そして笑福亭鶴瓶というのは、大した俳優だ。華やかで技術も資金も潤沢なハリウッド映画もいいが、日本映画も捨てたもんじゃない。


届かなかった手紙

素直に泣いてもいいと思ったら、ぜひ映画館に足を運んでほしい。きっとあなたはちょっとだけ、ご主人や奥さんとの関係を是正したくなる。いつか来る別れの時に、後悔をしなくていいように。自分にとっての「相方」は、互いしかない。其れが夫婦なのだ。

実は私は親の葬式に行かなかった。そのくらい関係の悪い親子だった。それでも色んな連絡が絶えず体調も崩し、この原稿が遅れてしまったことをお詫びする。でも、夫婦について考えるきっかけを通り過ぎてからこの原稿を書けて、良かったと思っている。

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