60歳、夢や憧れ、人生でやり残していることに向き合ってみる「喫茶店店主」「夫婦で信州に移住し革職人」「70歳で保育士免許を取得」
2025年4月16日(水)12時30分 婦人公論.jp
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健康寿命が延びる中、お金の不安を解決する唯一の方法は「働き続けること」。『とらばーゆ』元編集長であり、人生100年時代のライフシフトを研究する河野純子さんは、65歳までを年金の「待ち時間」とせず、「雇われる働き方」から「雇われない働き方」へとシフトする準備を始めるべきだと語ります。その目標は好きな分野で小さな仕事を立ち上げ、90歳まで続けていくこと。会社や家族のためではない、自分のための人生へ。ライフシフトするためのポイントを、河野さんの著書『60歳の迎え方 定年後の仕事と暮らし』より紹介します。
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やり残していることに向き合う
子どものころ、将来はこんな風になりたいと思い描いていた夢はありませんか?
もしくは就活のときにたまたま別な道を選んだために実現できなかったこと、経済的な事情や親の反対にあってあきらめざるを得なかったこと、なんとなく憧れていただけで真剣に考えてこなかったこと……。
今回紹介するのは「やりたいこと」を見つけるために、そんな「夢」や「憧れ」、「人生でやり残していること」にあらためて向き合ってみるというアプローチです。
私にとって「インテリア」はこのアプローチでたどり着いたテーマです。一度向き合っておかないと、一生後悔する。そう考えて学び始めました。
特に「夢」や「憧れ」、「人生でやり残していること」は思いつかないという人も、例えばいまあなたが高校生だったとしたら、将来、どんな職業に就きたいでしょうか。
大学でどんなことを学んでみたいですか? ゲーム感覚で自由に発想してみるのもよい方法。いまと同じ職業を目指しますか? 違う職業が思い浮かぶでしょうか。
もし違う職業が思い浮かんだら、その職業、いまから目指せませんか?
時間はたっぷりあるのです。いまさら無理と思ってしまうのはもったいない。実際にそんな夢や憧れを形にした方をご紹介します。
憧れは、商店街の喫茶店のおばあちゃんだった
「商店街の小さな喫茶店をきりもりする洒落たおばあちゃん」。Sさんが子どもの頃から憧れてきたのは、生涯現役で働くそんなおばあちゃんでした。
またファッション雑誌「Olive」を読んで育った《オリーブ少女》だったSさんは、「Olive」に登場するカフェなどのお店をやりながら自分らしく生きているおしゃれな女性に憧れて、「いつか私もお店屋さんをやりたい」という気持ちを持っていました。
けれども大学を出て選んだ就職先は、当時興味のあったインテリア業界。その後、アート関連に興味が行き、結婚・出産をはさみながら、美術館のミュージアムショップの運営や、科学館での幅広いプロジェクトにかかわります。
充実したキャリアを歩みながらも、42歳のときに家族の介護で離職。3年間で祖母、母、姉、父と4人を見送るという大変な時期を過ごします。
ようやく自分の次の仕事について考えられるようになったときに、思いをはせたのが子どもの頃からの夢でした。定年のある会社員には戻らず、店をやろうと決意します。
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何のお店をしようか。焼き菓子などのスイーツは極めるのに時間がかかり、長年やってきた人にかなわない。あれこれ悩みましたが、子どものためにジェラートを手作りしていて、それがとても美味しくできたのを思い出します。
そしてジェラートだけでは客単価が低いから、フルーツをのせてパフェのお店を作ればいいのではとひらめきます。自宅が、全国からフルーツが集まる大田市場の近くだということもプラス要素でした。
ここからのSさんの学び方はとても実践的で参考になります。まずパフェづくりを学ぶために老舗フルーツパーラーの求人を見つけて応募します。当時45歳でしたが、アルバイトなのですんなり採用になります。
ラッキーにも下積みなく初日からフルーツを切らせてもらえ、黙々と働くこと1年半。春夏秋冬の果物を経験し、パフェを作るために必要なことを習得します。
続いて地域とのつながりをつくるとともに、事業運営を学ぶために、地元のインキュベーション施設のアルバイトを見つけて応募。運営スタッフとして1年間、働きながら、たくさんのクリエイターと出会い、それがのちの店舗づくりに生きてきます。
また多くの個人事業主にも出会い、自分でもやっていけそうという自信につながったといいます。
こうしてSさんは、クリエイターに協力してもらいながら実家をリノベーションして、フルーツパフェ専門店「Safi」を開業。パフェ評論家が絶賛記事を書いてくれたこともあり、行列のできる人気店となっています。
「これからも自分のペースで、おばあちゃんになっても働き続けていきたいと思っています」と話しています。
本当はものづくりが好きだったことを思い出して、革職人に
私たち女性は、女性だという理由だけでチャンスを得られなかったり、「家事・育児は女性がすべきだ」といったアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)に悩まされたりしてきましたが、実は男性も同様に「男らしさ」に苦しめられることがあります。
外資系化学メーカーの日本法人で日本人トップを務めたKさんは、ずっと「男として強くあらねばならない」という強迫観念のようなものを持っていました。子どものころから、「男らしくあれ」という教育を受け、何事も正面から立ち向かい、結果を出すことを叩き込まれてきたのです。
その結果として会社員として大きな成功を収めてきましたが、仕事である「化学」を好きだと思ったことは一度もなく、仕事とは乗り越えるべき壁であり、いつもストレスをかかえ、健康診断の結果もボロボロだったといいます。
40代半ばになってこのままでは自分がもたないと思い、仕事100%の人生から抜け出そう、自分が好きだったことは何だろうと考え、思い浮かんだのがプラモデル作りでした。夢中になってプラモデルをつくっていると楽しかったけれど、両親から「男の子なんだから家の中にいないで外で遊んできなさい」と言われ続けてきたことを思い出したのです。
何かものづくりをしてみよう。Kさんは、DIYショップで半日コースの革細工講座を見つけて試しに行ってみます。そこでスタッフから腕を褒められ、高額なプロ用の道具を買ってしまいます。
うまく乗せられてしまったのかもしれませんが、買ったからには無駄にはできないと続けていくうちに病みつきになり、ついに自分のブランドを立ち上げるまでになりました。
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その後、Kさんに人生を見直す決定的な事件が起こります。奥歯に激痛が走り、バキッと真っ二つに割れてしまったのです。長い間、歯を食いしばって生きてきたので、歯がもたないほどの負荷がかかっていたことが原因でした。
さすがにショックを受け、Kさんは会社を辞め、夫婦で信州に移住することを決めます。Kさん夫婦にとって、信州は出会った場所であり、ことあるごとに訪れて癒されてきた場所。これからは信州に恩返しをしたいと考えたといいます。
公的な仕事をしたいと探してみると、安曇野の市の産業支援コーディネーターの募集があり、まさに自分の経営者としての経験が活かせて地域に貢献できると応募。その活動を出発点に、コンサルティング会社などを設立。
いまでは地元企業の課題解決に向き合いつつ、信州では害獣として駆除されている鹿の皮を使った作品をつくるなど、革職人としての活動も続けています。
「自分の人生」を取り戻したと話すKさん、ストレスからも解放され、健康診断の結果はすべて正常値だそうです。
人生でやり残したことは、子どもと向き合うこと
人生でやり残したこととして、子どもと向き合ってこなかったことを挙げる人にも出会います。70歳で保育士免許を取得したYさんも、そんなひとりです。
飲食業界、専門学校の責任者を経て、43歳のとき学生時代から馴染みのあった合気道の道で起業。30年近く、氣圧療法での治療と合気道の指導を続けてきましたが、コロナ禍で別の仕事をすることを考えるようになります。
そんなとき、たまたま定年退職後に保育士となった人のドキュメンタリー番組を見る機会があり、「自分が人生でやり残したことはこれかもしれない」という思いがわいてきたのです。
独身で子育ての経験がなく、合気道で子どもを教える機会があったものの納得のいく形で子どもたちの成長の助けができなかったという思いも持っていました。当時69歳でしたが、保育士試験には年齢制限は設けられていなかったことにも勇気づけられたといいます。
心の声に従って勉強を開始。無事に保育士免許を取得して就職活動を行いましたが、70歳という年齢がネックになり、採用には至りませんでした。
そこでもう少し専門的な資格を持てば道が開けるかもしれないと考え、興味を持ったモンテッソーリ教育を学ぶ決意をします。イタリア初の女性医師であったマリア・モンテッソーリが、子どもの発達を援助するために実践した教育で、表面的に見えているものではない、本来の姿を追求するところに合気道との共通点も感じたそうです。
そこから学校に通い、2年かけてディプロマ(3-6歳)を取得。学校の紹介で就職先が決まり、現在は73歳の新米保育士(モンテッソーリ教師)として、こども園に週3日勤務しています。
契約社員なので雇われる働き方ではありますが、自分のペースで働けて、多くの学びがあり、満たされた感覚を持ちながら充実した日々を過ごしています。
Yさんは少し就職で苦労しましたが、いま教育・保育の現場は人財不足。私たちのように人生経験を積んだ大人が貢献できる機会はたくさんあるようです。
例えば東京都の場合、常時、公立学校の時間講師を募集していて、教員免許を更新していなくても応募OK、年齢制限もありません。
子どもの頃から先生になることが夢で、教員免許も取ったけれど民間企業に就職をしたという人が、定年を機に時間講師として小学校の先生になったケースもあります。
※本稿は『60歳の迎え方 定年後の仕事と暮らし』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
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