東大理三日本一、灘の現役教師が考える「国語力」の育み方

2024年4月22日(月)9時15分 リセマム

東大理三日本一、灘の現役教師に聞く「国語力」の伸ばし方

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日本の国語教育が大きな転換期を迎えている。学習指導要領の改訂をきっかけに入試では文章量が増え、論理的思考力が試されるなど、あらゆる教科で「国語力」が問われている。今なぜ「国語力」が重視されるのか。

 編集長・加藤紀子連載「今、会いたい人」第3回のゲストは、灘中学校・高等学校 国語科教諭の井上志音氏。国際バカロレア(IB)を踏まえた教科教育学を専門とし、大学でも教鞭をとるほか、NHK高校講座「現代の国語」(Eテレ)や「論理国語」(NHKラジオ第2) に出演するなど、精力的に国語教育に携わっている。

 3月には、井上氏と加藤が共著『親に知ってもらいたい国語の新常識』(時事通信社)を上梓。転換期の国語教育の現状や、国語力の育み方について対談を繰り広げた。

転換期の国語教育、何が変わったのか
加藤:今、日本の国語教育は大きな転換期だと言われていますが、世間ではまだその事実がほとんど知られていません。まずは国語教育の専門家である井上先生から、何が大きく変わっているのか、ご説明いただけますか。

井上氏:「転換した」と聞いてもピンとこない保護者は多いと思います。というのも、国語のテストは相変わらず「次の文章を読んで後の問いに答えなさい」から始まっていますし、教科書も『ごんぎつね』のような一見昔とあまり変わらないラインアップで、変化を体感しにくいからです。

 でも、実際には目に見える変化も起きている。それは、教科書が分厚くなっていることです。

 なぜ分厚くなっているのか。それは、教材を使って何かやってみようというページが増えているから。「読むこと」「書くこと」「話すこと/聞くこと」の言語活動を充実させるように学びが広がっているんです。

加藤:それは良い方向に向かっているように聞こえますね。

井上氏:これまでの国語教育が扱ってきた国語力の「狭さ」が露呈したからでしょう。与えた文章をただ読み込むだけでは社会で通用しない。社会で生かせる力を培いきれていなかったという反省から、扱う範囲が広がったのだと思います。

加藤:つまり学校が、社会からの要請を受ける形で、入試を突破するための力ではなく、生涯言語と向き合う学習者を育むという役割を担うようになった、ということでしょうか。

井上氏:おっしゃるとおりです。ただし、小中高12年間を通じて扱う範囲が広がった分だけ、国語という1教科に要求されるものも明らかに増えています。授業時間は増えていないのに、依然として入試にも対応しなければならず、教員が担うタスクはむしろ多くなっている。現場ではすべてに取り組もうとするとオーバーフローになるので、その分何かを削らざるをえないわけです。そこにひずみが出てきていて、悲鳴を上げている現場も少なくありません。今はまさに過渡期だなと感じます。

加藤:この転換期に実直に向き合おうとすればするほど、国語の先生方は大変なご苦労をされているわけですね。

「客観」「論理」「実用性」が重視されるように
加藤:先ほど井上先生がおっしゃったように、こうした教育の転換には、社会からの要請が関係していると言われます。改定された学習指導要領でも、OECDが実施しているPISA*型の学力、つまり論理的に考える力や客観的に捉える力が重視されている。これは、私たち親世代が受けてきた国語の授業とは具体的にどう違うのでしょうか。

 *PISA:読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野(実施年によって、中心分野を設定して重点的に調査)あわせて調査を実施。義務教育修了段階(15歳)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活のさまざまな場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る。

井上氏:客観・論理は万国共通、どこでも重視される力です。人間は言語を使って考えるので、母語で物事をしっかり考える力が大事で、考えたことを論理的・客観的に語ることができなければ世界で認められません。

 先ほども言ったように、私たち親世代が受けてきた国語は、文章を正確に読み取り、まとめることができれば良かった。けれど今の子供たちが学ぶ国語は、扱う領域が確実に広がっています。文章を分析して批判的に評価したり、複数の素材を比較読みして共通点を見出したりといった、より踏み込んだ力も求められるようになっているんです。

加藤:なるほど。確かに、大学受験ではすでにその傾向がありますし、最近は中学受験でもそうした力を試す問題が見られるようになってきましたね。入試の動向に詳しい塾や予備校の先生方を取材すると、「全教科国語力」とおっしゃる方もいます。

井上氏:そうなんです。言語を使った思考は全教科で行うので、「全教科国語力」という表現は間違いではないんです。

 ただし、読んでいく文章というのは、当然ながら学問領域ごとに大きく異なります。新課程では、国語で幅広い実用文を請け負うようになっていますが、やはり自然科学、社会科学共に、学問領域独自の叙述方法があり、そうした領域ごとの言語文化をすべて国語の授業で扱うというのは非常に難しいのが現状です。

 かといって、文章の内容を無視して、「論理的に読むためには」といった方法論だけで読ませても、生徒たちには肝心の内容に対する本質的な理解が抜け落ちてしまいます。

 文章を正しく読む、という行為を、国語だけに集約させるのではなく、全教科体制で育むことが必要なのではないでしょうか。

ここがヘンだよ、日本の国語


加藤:井上先生が今回出版された新著『親に知ってもらいたい国語の新常識』(時事通信社)をお手伝いしていちばん衝撃だったのは、海外では国語といえば基本的には「文学」を勉強するのに対し、日本の高校の新課程では「文学」をほとんど扱えなくなっているという事実でした。選択科目によっては、高校3年間で唯一、高1の時に芥川龍之介の『羅生門』を読むのが精一杯というのはショックでしたね。

 国語という1教科に、ありとあらゆるジャンルの文章に対応できる力を育むよう要求され続けていることが、まさに「ここがヘンだよ、日本の国語」です。

井上氏:私は国際バカロレア(以下IB)が専門でもありますが、IBでは基本的に国語にあたる教科ではまず文学を読むことが多いです。また、IBの特色として、言葉とデザインやアートを結びつけるなど、言語活動と他教科を繋いでいく点があげられます。

加藤:日本でも、科学技術に関する論説文は理科や情報の授業で扱うというふうに、今、国語で扱われているさまざまな分野の文章を、その専門分野の教科に任せる形にすれば、国語の授業が担う負担が減るのではないでしょうか。

井上氏:そう思います。日本では芸術、社会福祉、経済やAI など、何から何まで国語の時間で読みますが、そうしたものを国語という授業の外で読むからこそ、生徒の頭の中に広がっていく景色があるはずです。今は亡きスティーブ・ジョブズが、大学でカリグラフィを学んだことが、後にMacの美しいフォントデザインに繋がったという経験を、「Connecting the dots」(「点と点を繋ぐ」という意味)というフレーズで表現しました。一見関連がなさそうに見えるさまざまな経験を、思いもよらぬところで繋げ、新しい何かを作り出していくことこそ、学習の面白さではないでしょうか。

 ふとした瞬間に、生徒の頭の中で、点と点が繋がるような学校のカリキュラムをつくれたらなと思うものの、国語の教員があらゆる文章を網羅しなければいけない現状では、生徒たちも狭い理解に留まってしまわざるをえないでしょう。

「それってあなたの感想ですよね?」が子供の国語力に与える影響


井上氏:日本の学校は今とにかく時間がありません。国語教育の要求範囲が広くなっている上、現代人の病魔「役に立つ病」が根っこにある分、合理性を優先せざるを得ないような風土が学校にも醸成されている気がします。

加藤:「役に立つ病」とは、入試や社会で役に立つのか、実用性の有無で判断するということですか。

井上氏:はい。たとえば『羅生門』を読むにしても、それで何ができるようになるか、社会でどう生かすかを考える授業になってしまい、心で感じたことや物語の内容そのものが切り落とされてしまいがちです。今の国語の授業では、生徒が「入試や社会で役に立つものだけ伸ばしていけば良い」という誤ったメッセージに捉えてしまう危険をはらんでいるとも感じますね。

加藤:実用性を重んじると、子供たちの中で「自分の意見は言いたくない」「言う必要もない」という風潮になってしまいますよね。でも本当は、「自分がどう思うか」が出発点として大事だと思うんです。そこから、「相手はどう思っているんだろう」といった他者への関心が芽生え、客観的に捉える力や、相手を知るためのコミュニケーションを通じて論理的に考え、伝える力にもつながっていくのではないでしょうか。

 ただ、かくいう私も、自分の子供が中学受験をした時には、「自分の考えや気持ちを書いても点数はもらえない」と諭した経験があります。そういう指導だと、受験を突破するには合理的ですが、せっかく目の前の文章からその子なりに感じ取ったものを認めてあげにくい。点数を取る技術というのも、自分の意見を言おうとしない子供を量産してしまっている大きな要因かもしれないですね。

井上氏:入試対策として個人の意見がなおざりにされるというのは、学校や塾などで文章の読み方を教える際、文中の具体的なエピソードは価値がないものとして読み飛ばすような指導につながりかねません。具体的な体験を普遍的な理念や法則より下に見るようになってしまうと、ますます生徒は自分の体験を語りたがらなくなってしまいます。

加藤:子供たちの間で「それってあなたの感想ですよね」というフレーズが一時期流行しましたが、そうやって論破されると、言おうとしていたことも言えなくなりますよね。

灘の伝説教師が国語教育で大事にしていたこと


加藤:子供たちが、個人の体験や感情を話したがらなくなっている。一方、一歩世界に踏み出せば、そこは多様性の坩堝(るつぼ)。あなたはどんな人なのか、あなたはどう考えるのかが問われます。私がいちばん気がかりなのは、この大きな溝をどうしたら良いかということです。

井上氏:だからこそ、私としてはもっと授業に「体験」を入れたい。教室に閉じこもった授業では限界があります。

 灘には故・橋本武先生という伝説の国語科教師がいました。『銀の匙』という1冊の小説を3年かけて学ぶという授業で、作品中に凧揚げをするシーンがあればみんなで外に出て実際に凧を揚げてみたり、飴を舐めるシーンがあれば実際にみんなで飴を舐めてみたり。

 書かれたことさえわかれば良い、で学習が止まってしまうのではなく、教室を出て、体験と言葉を結びつける活動です。

加藤:それは「役に立つ病」の視点からだと、受験に遠回りではないかと批判を受けそうですね。

井上氏:そう思われがちなのですが、実は橋本先生の学年は成績が良かったんです。橋本先生の受けもつ学年は合格率が跳ね上がるんですよ。「体験」をきっかけに国語への関心や学習への意欲が高まることで、成績も上がったのだと私は思います。

 とはいえ、日本の教育がすべて悪いとは言いません。橋本先生も、体験をもとに自分で考える学習と、受験のための学習を両立されていました。

 これまでの日本で行われてきた、ベルトコンベア的に知識・技能を丁寧に詰め込みながら思考力にシフトしていくような合理的な教育は、非常にコスパと効率が良い仕組みです。

加藤:結局はバランスなんですよね。転換期だからこそ、その塩梅が難しい。

井上氏:ただ、本を読むとか、自分の感情を表現するといった言葉と向き合う態度は、小さいころから体験を積み重ねる事で原動力になって動いていくものです。ですから、ご家庭ではぜひ、お子さん個人の体験やものの見方をけして否定せず、大切にしてあげてほしいです。

加藤:小さいころに親子で読み聞かせを楽しんだり、本の世界を親子で旅してみたり、言葉を通じた原体験の積み重ねが効いてくるわけですね。

井上氏:そこでひとつ注意してもらいたいのは、「役に立つ病」に侵されないこと。実用性を目的にしないことです。

加藤:確かにそこはとても重要ですね。「将来の役に立つから」などと言われたら、むしろ子供はやる気を失ってしまいます。

井上氏:国語力のゴールは「あなたにしかできない考え方は?」という問いに答えられる力を身に付けることだと思うんです。自分を形づくっているのは、具体的な体験や言語活動の積み重ねです。自らの体験を大切にして、そこに思考の糸口があることに気付ける学習者を育まなければいけません。

 人それぞれ、考えの根底には、言葉を使って体験を紡いでいくことがあるので、そこは学校のみならず、家庭でも体験を言語化し、共有してほしいと思います。

加藤:大きな転換点だと言われようが、本質は変わらないと感じます。スマホを少しだけ脇に置き、親子でさまざまな体験を通じて関わり合いながら、言葉を通じたコミュニケーションがたくさんできると良いですね。 

井上氏:実用性は忘れて、まずは楽しんでほしいですね。ひとつだけアドバイスをすると、小学生以降、言葉の力がある程度ついてきたら、「事実」と「意見」を切り分けてあげること。どこまでが事実でどこからがあなたの意見なのか、と聞いてあげてください。

加藤:今日は貴重なお話をありがとうございました。 


人間活動を通して一生続く国語の学び
 国語の幅広さと重要性を痛感した対談だった。国語が言語を用いる活動すべてを網羅しているなら、人間活動そのものが国語であり、我々は一生国語と付き合い、学んでいくのだろう。「ことば力」ともいうべき「国語力」を育むために、家庭でも楽しみながら言語体験を積み重ねていきたい。


ライブ配信:2024年4月22日(月)20:00〜21:30

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