ジェーン・スー 大雪が降ると私は必ず、当時付き合っていた男を思い出す。転ばないように手をつなぎ、大はしゃぎしながら大雪の東京を2人で見た夜、私は底抜けに幸せだった
2024年4月24日(水)12時30分 婦人公論.jp
イラスト=川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「大雪の夜」について。大雪が降った10年前のある一夜は、スーさんにとっていつまでも特別なものだそうでーー。
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10年前の大雪の夜
東京に久しぶりの大雪が降った。べちゃ雪ながら、まあまあ積もったほうだ。山下達郎の歌と反対に、夜更け過ぎには雨へと変わってしまったけれど。10年前に2週続けて降った雪は、もっと湿度が低かった。
大雪が降ると私は必ず、当時付き合っていた男を思い出す。
聞き分けのよい女なので、不要不急の外出を避けるように言われたら、私はじっと家に留まるタイプだ。しかし、彼は違った。どうってことないという風情で「外に遊びに行こう」と私を誘い、戸惑いながらも私はありったけの冬服を重ね着し、完全防備で電車に乗った。目的地は、夜の浅草だ。やってはいけないことをやっているみたいでドキドキした。
積雪で道路は壊滅的だったが、地下鉄はなんの問題もなく動いており、私たちはほどなくして浅草駅に到着した。地上に出ると、そこは雪国だった。私の知っている浅草ではなかった。
普段は観光客でごった返す仲見世通りがシンと静まり返っている。ヨチヨチ歩きで浅草寺にたどり着くと、屋根瓦には見たこともないほどこんもりと雪が積もっていた。まぼろしみたいだった。
しんしんと雪は降り続いた。商店街を歩くと、ベテラン芸人の写真が印刷された街灯に、ふかふかと雪が乗っている。綿あめみたい。この人と一緒にいなければ見られない風景だと胸が熱くなった。
嬌声をあげて騒ぐ私とは対照的に、彼はなんてことはない顔でサクサク歩く。雪国出身だからだろうか。雪国出身だからへっちゃらだと、私に見せたかったのかもしれない。愛情表現が得意なタイプではなかったけれど、とても愛情深い人だった。頼りがいがあるのに、頼りにさせてもらえないときもままある人だった。
ずっと一緒にいると思っていた。実際、それから何年も何年も一緒にいた。だが少しずついろいろなことがうまくいかなくなり、騙し騙しやっていたが、ある日突然、この関係はもうダメなのだと悟った。特別なことがあったわけではない。ただ、私はもうできることはすべてやった、これ以上は無理だと肚落(はらお)ちした瞬間があった。ひとりで一晩中大泣きして、「ずっと一緒にいたかったのに」なんて恥ずかしげもなく声にも出して、そこから別れを切り出すのに半年かかった。
あの夜、私は底抜けに幸せだった
あの肚落ちはなんだったのか、我がことながらいまだによくわからない。好きで好きで仕方がなかった。いま考えれば綺麗事だが、世界中が彼の敵になっても私だけは味方だと自惚れてもいた。と同時に、これ以上一緒にいることはできないとも思った。我ながら支離滅裂だ。「愛情を注いであげられなかったことは申し訳なく思う」と、別れ話で彼が言った。ふざけやがってと憤った。馬鹿みたいに好きだったからね。お互い愛も情もあるが幸せではない状態が存在することを、私は知った。
別れてから3年以上経つが、SNSのせいで彼の動向は自ずと目に入ってくる。元気に暮らしているようで嬉しい。だが、そんなふうに思われていると知ったら顔をしかめるだろう。逆の立場だったら、私は「どの口が!」と腹を立てるに違いないから。
それでも、あの雪の夜はいつまでも私にとって特別なのだ。転ばないように手をつなぎ、大はしゃぎしながら大雪の東京を2人で見た夜が。あの夜、私は底抜けに幸せだった。
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