GWに読みたい6冊、谷川俊太郎とブレイディみかこの往復書簡、アジア作家アンソロジー、話題のノンフィクションなど

2024年4月26日(金)8時0分 JBpress

遣り過ごしていた日常を俯瞰して見つめ直す。旅の空の下、非日常の世界に遊ぶ——。家族や友人との賑やかなひとときも愉しいけれど、本の世界に一人浸る贅沢な時間も長期休暇の醍醐味。今年のゴールデンウイークにおすすめの6冊を厳選。

選・文=温水ゆかり


「国民的詩人」と「地べたライター」のシンクロニシティ

著者:谷川俊太郎、ブレイディみかこ
絵:奥村門土(モンドくん)
出版社:岩波書店
発売日:2023年11月22日

【概要】

 いまここの向こうの「その世」に目を凝らす詩人と、「この世」の地べたから世界を見つめるライターが、1年半にわたり詩と手紙を交わした。東京とブライトン、老いや介護、各々の暮らしを背景に、言葉のほとりで文字を探る。奥村門土(モンドくん)描きおろしイラストを加えての、三世代異種表現コラボレーション。

 英国ブライトンを本拠地とする保育士にして作家のブレイディみかこさん。父谷川徹三(哲学者)・多喜子夫妻の没後も、生まれ育った杉並区南阿佐ヶ谷の家(お屋敷です)に住む詩人の谷川俊太郎さん。本書はブライトンと阿佐ヶ谷を飛び交った電子メールによる往復書簡である。

 インテリ家庭に育ち、常に詩の第一線に立ち続けてきた裕福なお坊ちゃま。ブルーカラーの家に生まれ、福岡最難関の名門高校に進みながらも、パンクミュージックにイカれて渡航費用のためのアルバイトと渡欧を繰り返し、英国に定住して四半世紀になる「地べたライター」。不思議な組み合わせだが、発案は岩波の『図書』編集部だったようだ。

 第一信はブライトンから。2022年「七面鳥のサンドウイッチを食べながら菊正宗を飲む」元旦に、「はじめまして。ブレイディみかこと申します」という書き出しで始まる。

 ブレイディさんは詩人がラジオ番組で「長い文章は書きたくないし、読みたくない」と呟いていたことに触れ、手紙は長い文章そのもの、「どうやって谷川さんと交信をはじめるなどということができるでしょう?」「不可能にしか思えません」と、怖じ気づく自分を素直にさらけ出す。

 詩の交換ができたらいいが、自分に詩作はとうてい無理。ではどうやって「不可能」と「無理」の間に隘路を通すのか。ビジネスシーンにおいても一般人の会話でも、コミュニケーションを成りたたせようと思ったら、誰でも必死で共通項を探すもの。ブレイディさんもそうした。

 彼女が捉えた徴(しるし)は、詩人の「あるとない」という詩だった。米国の作家ジャック・ロンドン(1876〜1916年)がロンドンの貧困地区イーストエンドに潜入して書いた『どん底の人びと』。それを読んだ詩人が「自分は貧困を書いたことがない」と気づき、うみ落とした詩だった。

『どん底の人びと』は奇しくもブレイディさんの「座右の書」でもあった。「わたしの人生はこの本に遠隔操作をされているのではないかと思うほど」。イーストエンド出身の男性と結婚したのも遠隔操作のなせるワザだったかもしれないし、貧困地域の託児所で働いた日々を描いた『子どもたちの階級闘争』は、『どん底の人びと』から直接的な影響を受けている、と。

 ちなみに私がブレイディみかこ本の追っかけになったのは、この『子どもたちの階級闘争ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(2017年みすず書房刊 同年新潮ドキュメント賞受賞)がきっかけである。留学記や滞在記がエリート層のものであったことに初めて、逆接的に気づかされた。

「私は貧困をかいたことがない」という一文で始まる「あるとない」は、ブレイディさんの要約によれば、難病、戦車、国際、棺桶、田植え、カネの貸し借りなど、ラップのように「ある」と「ない」で軽快に進み、最終部で自由と寂しさに言及して一瞬ヘビィになりかけるも、「私は警官に不審尋問されたことがある」というユーモラスな一文で終わるという。

 この場合のユーモラスは、ニヤッとするような「有邪気」の笑い。ブレイディさんはアイロニーと風刺でできたブリティッシュ・ユーモアの独特さにも触れ、こう書く。

「無邪気さは純粋さと結び付けられて最上のもののように思われがちです。が、何でも額面どおりに受けとってストレートに反応しなければならない世の中になれば」「殺菌された純白の真綿をみずから口と鼻に詰め込んで窒息するようなものです」

 国民的詩人との往復書簡に怖じ気づいていること、ジャック・ロンドンが結ぶ縁、谷川詩へのリスペクト、そして自分のテリトリーであるブリティッシュ・ユーモア。いくつものフックを作って出されたこの第一信は、長くて読んでもらえないかもしれないという危険をはらみながらも、敬愛する会ったことのない年長者に宛てて出す手紙のお手本のようだ。

 この手紙に対する谷川さんの返信がまたいい。「私は七十年以上詩の形で言語商売を続けてきましたので、アタマが詩頭になってしまっていて、散文に馴染めないんです」と前置きして、「萎れた花束」という詩を返信にする。こんな詩だ。

「道端に数本の萎れた野花が捨ててある/(中略)/スマホに保存された何気ない映像から/作家は物語の最初の一行を思い浮かべるが/詩はもうそこで完結しているのだ/と 彼は思う」

「根を実生活の土壌に下ろしたいのに/詩は無重力の宇宙に浮遊し/道端の萎れた花束に目を留めて/それをコトバにしようとするけれど」「人の役に立たないそのミクロな行動は/地球上の人類が直面している困難と/なんの関わりもない/と 彼は考える」

 この詩は、朽ちていく小さな花束と自分が同じ時空にあることに「ささやかな歓びを感じているのを否定できない」と締めくくられていて、この詩に、ブレイディさんは思わず「えっ」と息を呑む。そのことを第二信に書く。

 谷川さんの「萎れた花束」にはシンクロニシティがあった。というのもブレイディさんが福岡のティーンだった頃、愛や恋などからは遠く、UKの荒廃を写す路上のロックとして衝撃を受けたセックス・ピストルズ。ジョニー・ロットンが「俺たちは花々だ、ゴミ箱の中の」と歌った曲にちなんだ絵(プリント画)をネットで見て、買おうかどうか悩んでいたところだったのだ。

 この詩に背中を押され、ブレイディさんは購入を決意。黄色のバックに毒々しいまでのピンクの花束が置かれた強烈な色彩が今の仕事部屋には合わないが、カーテンを変えればいいと思い直す。この流れから、第三信へのフックは「谷川さんが執筆されるお部屋には絵や写真が飾られていますか?」という質問に。

 詩人はアンプやスピーカー、CDデッキにストリーミングで音楽を聴くPCが自分の必需品であると応答。そして「好きな音楽の数小節は好きな女性と並んで」「コスモスと直に触れ合うことのできる」「唯一のmedium」、「〈詩は音楽に恋をする〉というのが私が折に触れて口にする決まり文句の一つです」と答える。


あの世この世の「あわい」であるその世に遊ぶ

 この後、本書のタイトルに採られた「その世」という詩が添えられるのだが、短いので全文を引用する。

「この世とあの世のあわいに/その世はある/騒々しいこの世と違って/その世は静かだが」「あの世の沈黙に/与していない/風音や波音/雨音や秘かな睦言」「そして音楽が/この星の大気に恵まれて/耳を受胎し/その世を統べている」

「とどまることができない/その世のつかの間に/人はこの世を忘れ/知らないあの世を懐かしむ」「この世の記憶が/木霊のようにかすかに残るそこで/ヒトは見ない触らない ただ/聴くだけ」

「ブレイディさんの手紙」+「短い私信を頭に置いた谷川詩」という組み合わせで進むこの往復書簡で、ブレイディさんはなんという贅沢を味わっていることだろう。詩人の生まれたての詩の最初の読者で、しかも独占しているのだから。

 実はこのお二人の意外な組み合わせに、私は日英の教育事情が絡むのかなあと想像していた。ブレイディさんの名を一躍メジャーにした『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2019年刊 毎日出版文化賞特別賞、本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞)は、日英ハーフである子息の姿を通して英国の公教育が目指す多様性を描いていた。一方谷川さんには、日本の国語教育に対して異議申し立てが多かった時期があったと仄聞する。

 しかし小物のそんな予想など何の役にも立たず、今年93歳になる詩人は「とどまることができない」ゾーンであると知りつつ、あの世この世の「あわい」である「その世」にゆったりとたゆたう。

 父母の古い家の下駄箱から古いノートを取り出し、「空間的座標ばかり気にして、時間的な座標、つまり歴史の中の自分に考えがいかなかったのが現在の私にとっては、自分の感性の原点を見るようで面白い」と、当時19歳、50.2.23の日付けのある「夜明け」(デビュー詩集『二十億光年の孤独』収録)をブレイディさんに送る。

 第四信で詩人は「漱石調」という題名でこんな詩も書く。

「死に先立つものとして/詩がある/死に先立つものとして/生があると考えた」「生に先立つものは時だろう/時に先立つものはと考えて/(中略)」

 詩人は立ち止まる。そして思う。そんなものはない、ただの言葉遊びだ、と。詩はこう続く。

「言葉は便利なようで不便なものだと考えた」

 夏目漱石の『草枕』をパロった語調のリズムが、“ほんと漱石ですね”と笑ってしまったが、次行で空間的座標が転調する。

「宅急便が来てハンコを押した/空は青空だ」「急に嬉しくなった/自然の現場は無口だ/人間の尻の穴は小さい/吾輩は猫でないのが残念だ」

 自分のいる場所がズームアウトしてマクロな宇宙の一点になる「夜明け」から半世紀以上の時を経て、今度は逆回転でミクロな尻の穴にズームインしてしまう対比がお茶目で楽しい。


感受性を粒立たせて生きるしか現実を生き延びる方法はない

 ブレイディさんは第六信で、エリザベス女王の葬儀から幽霊に話を延ばし、ドロドロには気合いがいる、現代の我々は幽霊になれるほどの体力を持ち合わせていないと笑わせたあと、英国の若者世代に広がりつつある「人類は少しずつ体を失っていく途上にある」という思想(めいたもの)を伝える。

 脳をアップロードしてデータとして生きるようになれば、人種差別もジェンダーもルッキズムも、戦争や環境などあらゆる問題が消え、人間はいまよりずっと幸福になると、若者世代は真顔で言うのだとか。

 詩人はこれに深く感応する。「最近試乗中の電動椅子は自分のアンドロイド化の初歩的な段階だろうかと考えざるを得ません」。そして幽霊のドロドロにはこう反応する。「私は(足があると失格の)幽霊よりも(足の有無にこだわらない)お化けの方が性に合って」いるけれど、「私はどうやらアンドロイドよりも、幽霊に近づいているのかもしれません」。

 ホモソーシャル共同体の裏返しとして、男性は同朋の老いを近親憎悪しがちだから、あまり引用したくはないのだけれど、第八信で書く「これ」という詩が詩人の近況を伝える。

「これを身につけるのは/九十年ぶりだから/違和感があるかと思ったら/かえってそこはかとない/懐かしさが蘇ったのは意外だった」(中略)「二度童(にどわらし)という言葉が私は好きです」

 南阿佐ヶ谷に住んでいたことがある私は、ときどき詩人と佐野洋子(1938〜2010年)さんが青梅街道を歩く姿をお見かけすることがあって、胸ときめかせていた。最強のカップルだと憧れていた。

 詩人は終章となる第九信にこう書く。自分にとって女性との関係は「一人っ子と母親の関係」の繰り返しに過ぎず、恋人は母ではなく一人の赤の他人だという苦い事実を悟らざるを得なかった。「恋人との別れを通して私は初めて他人というものの存在を実感したのです」

 この後に添えられた「自分だけ」という詩から最後の3行だけを引用します。

「この世は他人だらけである/他人でないのは自分だけだと思うと/寂しい」

 谷川さん、いまいるそこは寂しいですか? でも新緑のように瑞々しかった『二十億光年の孤独』の寂しさが、腐葉土のように発酵していい匂いの寂しさになっていませんか?そう感じるのは私だけですか?

 ロシアによるウクライナ侵攻、女王の逝去、ブレイディさんの母の看取りなど、歴史的出来事から私的領域の変化、未来の人類の姿まで、いくつになっても感受性を粒立たせて生きるしか現実を生き延びる方法はないのだと、この往復書簡は教えてくれている気がする。


【さらにおすすめの5冊】


文学で巡るアジアの旅、若手作家9人によるアンソロジー

著者:村田沙耶香、アルフィアン・サアット、ハオ・ジンファン、ウィワット・ルートウィワットウォンサー、韓麗珠、ラシャムジャ、グエン・ゴック・トゥ、連明偉、チョン・セラン
訳者:藤井光、大久保洋子、福冨渉、及川茜、星泉、野平宗弘、吉川凪
出版社:小学館
発売日:2022年12月16日

【概要】

 韓中日+東南アジアの若手世代の作家9人によるアンソロジー。多くの作品が既存作品の翻訳ではなく書きおろしという前代未聞のプロジェクト。日韓同時刊行。突如若者に舞い降りた「無」ブーム。世界各地に「無街」が建設され——(村田沙耶香「無」)。夫がさりげなく口にした同級生の名前、妻は何かを感じとった(アルフィアン・サアット「妻」/藤井光・訳)。ポジティブシティでは、人間の感情とともに建物が色を変える(ハオ・ジンファン「ポジティブレンガ」/大久保洋子・訳)ほか。

【おすすめポイント】

 文学にも地政学があった!? 日本、韓国、香港、ベトナム、シンガポールなど、文化的背景の差異に魅せられるアジア文学のコスモス。


オカルト、宗教、デマ、フェイクニュース、SNS。あなたは何を信じていますか?

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出版社:新潮社
発売日:2024年2月29日

【概要】

 口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、今日をやり過ごすことが出来ないよ——。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。

【おすすめポイント】

 下部構造は上部構造を規定する? 昭和の“特異点”である専業主婦世代とバブル世代の男女を描き、戦争後遺症にまで降りる戦後通史のパノラマ。


結婚とは? 家族のかたちとは? 未来のあり方を考える

著者:阪井裕一郎 
出版社:筑摩書房(ちくま新書)
発売日:2024年4月8日

【概要】

「ふつうの結婚」なんてない。結婚の歴史を近代から振り返り、事実婚、パートナーシップなど、従来のモデルではとらえきれない家族のかたちを概観する。

【おすすめポイント】

 夫婦同一姓や異性婚など、明治を起点にしたエセ伝統主義者たちよ、もういい加減観念して、未来に目を向けましょうよ。


小型の判型、美しい装丁が嬉しい、大人の童話

著者:吉田篤弘
出版社:徳間書店
発売日:2024年2月28日

【概要】

 18刷、累計5万5千部突破、著者・吉田篤弘のロングセラー『月とコーヒー』から派生した〈インク三部作〉完結編。幻のインクを求めて旅をする十四歳の少年の奇妙な冒険は、謎が謎を呼ぶ仕掛けの全15話。それぞれの完成度の高さもさることながら、今回も夜の幻想に甘く酔う。

【おすすめポイント】

 夜の静けさと月明かりの優しさがハーモニーを奏でる吉田篤弘のファンタジー世界。手の平に乗る小型の造本も愛おしい。


大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、待望の文庫化

著者:石井妙子
出版社:文藝春秋(文春文庫)
発売日:2023年11月8日

【概要】

 キャスターから国会議員へ転身、大臣、さらには都知事へと、権力の階段を駆け上ってきた小池百合子。しかしその半生には、数多くの謎が存在する。「芦屋令嬢」時代、父親との複雑な関係、カイロ留学時代の重大疑惑——彼女は一体、何者なのか? 徹底した取材に基づき、権力とメディアの恐るべき共犯関係を暴いた、衝撃のノンフィクション!

 私は小池百合子という個人を恐ろしいとは思わない。だが、彼女に権力の階段を上らせた、日本社会の脆弱さを、陥穽を、心から恐ろしく思う。(「文庫版のためのあとがき」より)

【おすすめポイント】

 石井妙子さんの端正な文章にもご注目を。東野圭吾の出世作(私は名作だと思ってますが)『白夜行』のヒロインが、ノンフィクションの世界に本当にいたんだという驚きも。

※「概要」は出版社公式サイトを基に作成。

筆者:温水 ゆかり

JBpress

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