「母の日」を日本に広めたのはあのお菓子メーカーだった!?
2025年5月1日(木)12時39分 マイナビニュース
毎年5月の第2日曜日は「母の日」とされており、2025年は5月11日がその日にあたる。日頃の感謝の気持ちを母親に伝える日として広く親しまれている中、森永製菓が自社の取り組みを通じて「母の日」が日本に広まったとされる歴史を紹介している。
○「母の日」のはじまり
もともと「母の日」は1912年頃(大正初期)に米国で始まった行事だった。日本に伝わった当初は、キリスト教会や婦人団体などが細々と行っていたという。森永製菓はこの心温まる行事を全国的に普及したいとの思いから、積極的に諸団体に働きかけ、1936(昭和11)年全国統一の「母の日中央委員会」が組織された。
翌1937(昭和12)年5月8日・9日には、同委員会の協賛を得て、東京豊島園で「森永母の日大会」が開催された。森永製菓の直営店や小売店で招待券が無料配布され、20万人もの母親を招待して盛大に行われた。この招待券には、電車の乗車券、豊島園の入場券の引換券、お菓子の引換券、牛乳などが当たる福引券が付いていたという。そして、母を讃える歌の発表や歌や踊りのショー、菓子や飲み物の模擬店などの催しが実施された。この催しは、全国各地で開催され、新聞や雑誌に大々的に取り上げられ話題となり、多くの人から賛同を得た。
この「母の日大会」に先駆けて、同社は同年春に、母を讃える歌(歌詞)の懸賞募集も行った。反響は予想をはるかに超え、15,000通以上もの応募があり、西条八十さんなど著名人の審査によって選ばれた作品は、古関裕而さんにより曲が作られ、レコード化され、市販もされた。
さらに、1940(昭和15)年には、「私のお母さん」をテーマにした図画や作文の募集を開始。全国の幼稚園に呼びかけた図画の応募は1万1,000点以上、小学校に呼びかけた作文の部には1万点以上の応募があったという。こうした様々な取り組みにより、日本に「母の日」が定着したとされる。
○「母の日」に向けた商品展開
「ディア<メープルバター味>」は、バタ—のコクとやさしいメープルの味わいが特徴のビスケット。ビスケットには「THANK YOU☆」などのメッセージ絵柄が4種類デザインされている。「ディアガレットサンド<チーズケーキ仕立て>」は、サクほろ食感のガレットで爽やかな味わいのチーズクリームをサンドした。
「2025年5月11日の母の日に向けて、日頃の感謝の気持ちを伝えるのにふさわしい菓子の発売により、お客様に笑顔を届けます」(同社)。