桜蔭→慶應医学部→モルガン・スタンレーを3カ月で退職…超エリート女性(24)が年収も地位も捨てて南房総で“年間100万円以下の生活”を始めたワケ《23歳でサイドFIRE》――2024年読まれた記事
2025年5月6日(火)7時0分 文春オンライン
2024年、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。インフルエンサー部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024/08/03)。
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桜蔭高校→慶應医学部→モルガン・スタンレー……。まさに“超エリート”といえる経歴を持ちながら、年収や地位を捨てて南房総に移住した くるみさん (24)の人生は、SNSでたびたび話題になっている。
「平均年収2000万」と言われる会社を辞め、20歳で結婚した夫と長男の家族3人で“年間100万円未満の生活”をするようになるまでに、一体何があったのか? 「毒親だった」という幼少期の家庭環境とは。(全3回の1回目/ 続きを読む )
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結婚はくるみさんから“超合理的”プロポーズ
——お二人とも結婚が早いですよね。
くるみさん(以降、くるみ) 2020年に出会って、その2年後に結婚してますね。私は20歳だったかな。
トマトさん(以降、トマト) 僕はまだ学生で、大学4年生でしたね。

——結婚に至った経緯は?
くるみ 慶應大学の医学部を中退した後、モルガン・スタンレーに入る前に不動産会社で働いていたんですけど、転職を考えて会社をやめていたので、名前を変えるんだったら今が合理的かなと思って。
——籍を入れない選択肢もあったと思うのですが、あえて結婚を選んだのはなぜ?
くるみ 結婚した方が日本の制度的にメリットが多いのと、私は苗字にこだわりがなかった一方で、トマトの方は苗字にアイデンティティがあったので、夫の方に合わせればいいかなって。
両親は学生結婚に反対
——プロポーズもくるみさんから?
くるみ プロポーズと言えるのかって感じですけど、「会社入ってから途中で名前変えるの面倒だから、今のタイミングで籍入れちゃわない?」みたいな、全然ロマンチックじゃないやつです(笑)。
——夫のトマトさんはプロポーズをどう受け止めたのでしょうか。
トマト そのときすでにくるみがうちの実家の近くに中古の戸建てを買ってて、もう逃げられないなっていう(笑)。両親も最初、学生結婚には反対だったんですけど、家を買ってしまったこともあって、最後は「まぁいいわ」みたいな感じになってました。
くるみ トマトの家族ってすっごくいい家族なんですよ。私の家庭環境があまり良くなかったこともあって、衝撃を受けましたね。
「成績が悪いと夜通し説教、人格否定」...くるみさんの“劣悪”な家庭環境
——くるみさんは桜蔭中学校・高等学校から慶應義塾大学医学部、そしてモルガン・スタンレーとエリートコースを歩んでこられて。教育熱心なご家庭だったのでしょうか。
くるみ 両親ともに教育熱心で、私の兄は3歳から「麻布(中学)に行く」と言ってたらしいです。
——3歳の子が自ら、男子御三家の一角を成す学校名を挙げていたんですね。
くるみ 兄は小学校に入る前から漢字の読み書きや計算をやっていたので、私は3歳下だったんですけど、自然と一緒に勉強をやっていました。教材は母の手作りで、ノートに問題を書いて、それを解くみたいなことをやっていて。
——ご両親とも高学歴?
くるみ 母は学習院大学卒で、父は東大を出た後、アメリカのスタンフォード大学に留学に行ってます。
ただ、父はちょっと変わった人で、これまで10回以上転職をしていて、飽き性なのか、続かないんですよ。私にもその気質は遺伝しているかなって思うんですけど、最初は商社に入って、外資の金融会社、マクドナルド、吉野家とか、いろんな企業を転々としていました。
小4でサピックスに入塾
——桜蔭中学校を受験したのはくるみさんの希望で?
くるみ 小4のときサピックスという進学塾に入ったんですけど、そのとき母親に中学校の偏差値表を見せられて、「どこの学校に行きたい?」って聞かれて。
でも、そんなの見てもよくわからないから適当に指さしたら、母親が、「いや、一番上の学校に行きなさい」と。それで、偏差値表の一番上にあった「桜蔭」を目指すことになったんです。
——桜蔭への進学はお母さんの希望だったんですね。
くるみ 学校に限らず、母親は“一番”を好むタイプの人なんです。
トマト “本物”とかね。
——“本物”とはブランド的なこと?
くるみ 食材はオーガニックで、東京に住むなら港区とか新宿区みたいな場所じゃないと嫌って感じなんです。なので、こっち(勝浦)にはほとんど来ないですね。
常に一番を求められた
——常に“一番”を求められるのは、子どもとしては大変ではなかったですか。
くるみ 大変だったんですけど、でも、当時はできちゃったんですよね。
——優秀だったんですね。
くるみ ただ、テストで一桁台の順位を取れなかったときはかなり怒られましたね。夜通し説教されて、人格否定までされる感じでした。
学費を「出す」と言った父から約束を反故にされ...「朝6時からバイト」で疲弊
——そんな中で、桜蔭中学校に見事合格されます。
くるみ 桜蔭合格はそんなに大変なことではなくて、受かるだろうなという感じでした。ただ、入ってみると、やっぱり桜蔭生は皆、上流階級の人たちでしたね。
家庭科で調理実習をやると、皆いいところのお嬢様なんで、家の手伝いもしてないから、野菜を切れないんです。だから、家庭科では無双してました(笑)。
——周りとの格差を感じた?
くるみ 中1のときに親が別居して、私は母方についていったのですが、母はずっと専業主婦だったので再就職が難しく、結局、学童保育のパートをしていて。
収入は月10万円とかのアルバイトレベルなので、当時は住民税非課税世帯だったんです。住民税非課税世帯の桜蔭生は、自分だけだったと思いますね。だから、将来は絶対お金に困らない生活をしようって思ってました。
大学の新歓会場は「叙々苑」
——その後、慶應義塾大学医学部に進学されます。こちらも、かなりお金のかかる学校だと思いますが。
くるみ 桜蔭よりさらに恵まれた子たちが集まっていました。新入生歓迎会が六本木のクラブだったり叙々苑だったりして、こういう世界もあるんだと思いました。
——お医者さんを目指していたのでしょうか?
くるみ 高3のときに側彎症という背骨が曲がってしまう病気になって、慶應義塾大学病院にお世話になったことがきっかけで、お医者さんもいいなと思ったんです。
それで馴染のあった慶應と東京医科歯科大を受けて、両方に受かって。そのとき父親に学費の相談をしたところ、当時は「出す」と言ってくれていたので、それを信用して慶應に進学することに決めてしまいました。
——実際には、学費は出してもらえなかった?
くるみ そうなんです。入学後に両親が離婚して、父からも約束を反故にされてしまったので、自分で学費を稼がなくちゃいけないことになって。ただ、合格後に特待合格だったことがわかったんですね。
特待合格で学費が年200万免除
——それって、めちゃくちゃすごいことですよね。
くるみ 合格すること自体は難しいことではなかったんですけど、特待合格はちょっと予想外でしたね。入試の成績が上位10位くらいに入ると特待生になるんですけど、それによって学費が年間200万円、免除になるんです。
もともとの学費が年間360万円だったので、特待生になったことで160万円になって、さらに奨学金が年間100万円ぐらいはもらえていたので、自分が働けばなんとかなるかなと思ったんですね。
——じゃあ、入学後からかなり働かれていた?
くるみ めっちゃ働いてました。朝6時から家庭教師のバイトを入れて、そのご家庭で朝ご飯をいただきつつ勉強を教えて、大学の授業が終わったらまた夕方から家庭教師のバイトを2件かけ持ちして、みたいな生活でした。
「幸せになるには一番にならないといけない」と思っていたくるみさんが、慶應医学部中退を決意した“普通のホームパーティ”
——家庭教師の時給ってどれくらいだったんですか。
くるみ 時給5000円とか、1万円とか。慶應の医学部を志願するようなご家庭だと、いくらでも出してくれるんですよ。
——朝食も豪華そうですね。
くるみ そうですね。良いものを出してくれました。ちょうど食費も浮くし、それで月30、40万円は稼げて。
——そんな中、慶應の医学部を1年半で中退されたのはなぜでしょうか。
くるみ その頃にトマトと出会ったんですけど、アルバイトをやり続けた結果、心身が疲れていて。
付き合ってすぐにトマトのお家のホームパーティに呼んでもらったんですけど、そのときの衝撃を今でも本当忘れられなくて。
「普通の家庭」が幸せそうに見えた
——そんなにすごいホームパーティが催されていた?
トマト うちにとってはいつもの飲み会というか、ごく普通のパーティだったんですけど(笑)。人を招くのが好きなんで、すぐパーティする家なんです。
くるみ 家族みんなで食卓を囲んで、お酒を飲んで楽しく喋るっていう風景に本当にびっくりしたんです。お母さんは料理上手で素敵な料理をたくさん出してくれて……。私の家庭環境との差もあって、余計に幸せそうに見えたんだと思います。
——トマトさん一家との出会いで、進路についての考え方が変わった?
くるみ 自分はずっと「一番にならなきゃ」っていう思想を植え込まれていたんですよね。それでずっと頑張り続けてたんですけど、でも、「一番」って目指し続けるとキリがなくって、疲れちゃうじゃないですか。
トマト 「ナンバーワン」じゃなくて、「オンリーワン」になることで楽しく暮らすことができる、っていう気づきだよね。
くるみ そう。「幸せになるには一番にならないといけない」「稼がなくちゃ」って強迫観念があったけど、トマトに会ったことで、幸せになるってそういうことじゃないんだって気づいたのが、すごいカルチャーショックでしたね。
「両親は毒親だったと思う」学歴を手放したくるみさんが選んだ“意外な職業”
——失礼ですが、ご両親はいわゆる「毒親」だったと思いますか?
くるみ 思いますね。今は実家を離れて新しい家庭を持って、適度な距離感で暮らしてます。
——慶應の医学部を中退し、学歴を手放した後は?
くるみ 不安だったので、とにかく行動するしかないと、思いついたことは何でもやってたんですけど、いろいろ考えた中で一番興味を持ったのが不動産だったんです。
それで、図書館で借りた不動産投資の本の最後に著者のメールアドレスが書いてあったので、メールを出したら返信をくれて、会ってくれたんですよね。そこで、「不動産投資がしたいならうちの会社で働きながら勉強するのが一番だ」と言ってもらえたので、そこで働くことにしたんです。
——すごい行動力ですね。
くるみ エリートコースから外れてしまったので、とにかく行動して自分で道を切り拓かないと何もなかったので。
3か月でモルガン・スタンレーを退職
——その後、今度はモルガン・スタンレーに転職をし、エリートコースに復帰します。
くるみ 短期的にガッと取り組んで、それが終わるとまた次ってなっちゃうんですよね。不動産は1年弱みっちりやって、宅建も取って、自分で物件も買って、もう満足したんです。
世間的に見ると短いと思われるかもしれないけど、自分的には1年弱で十分やりきったから、 次は証券を学ぼうと思って。
——それはFIRE(早期リタイア)を目指した上でのキャリア選択だったのでしょうか。
くるみ そうですね。不動産の方は勉強できたので、今度は投資によって働かずにお金を稼ぐ方法を学ぼうと思ってモルガン・スタンレーに入ったんですけど、3ヶ月で辞めてしまったんです。
写真=杉山拓也/文藝春秋
(小泉 なつみ)
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