『透析を止めた日』の作家・堀川惠子×医師・森建文 進化した腹膜透析。「東日本大震災では避難所や自宅で腹膜透析をした人も。災害時に強くセルフケアできるので高齢者に向いている」
2025年5月16日(金)12時59分 婦人公論.jp
(イラスト:赤池佳江子)
腎臓の機能が低下した患者を生かすための治療、人工透析。堀川惠子さんは、「血液透析」を受け病と闘う夫に寄り添い続けました。しかし病状の悪化により命綱であるはずの透析は耐えがたい苦痛を伴うようになり、夫は透析中止を決断。苦しみながら他界しました。それから7年、透析医療のあるべき姿を求めて取材を重ねた堀川さんの著書『透析を止めた日』が、話題を呼んでいます。取材で出会った森建文さんは「腹膜透析」を推進する医師。その治療法のメリットとは。(構成:菊池亜希子)
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<前編よりつづく>
情報がアップデートされていない!?
堀川 夫の闘病中、私たちは透析といえば血液透析一択だと思っていました。医師から腹膜透析を提示されたことは一度もなかった。腹膜透析は「危ない治療法」とも聞いていましたし。
森 腹膜透析は40年以上前からある方法ですが、1990年代までは腹腔内に注入する透析液に腹膜を劣化させる糖代謝産物を含む酸性液が使われていて、これが原因で感染症やひどい腸閉塞を引き起こすこと(腹膜硬化症)が多かったのです。
その後、改良が進み、感染症も腹膜硬化症も劇的に減りました。私が腹膜透析を本格的に取り入れたのは2011年で、改良後です。これまで約500人の腹膜透析患者さんを診ていますが、昔のようなひどい腸閉塞を起こした人は一人もいません。たとえ起きても比較的軽度で、2〜3週間の抗生剤注射や内服で乗り越えられています。
堀川 それほど腹膜透析も進化していることが、実は医療現場に周知されていない。医療者側の情報がアップデートされていないのでしょうか?
森 そうですね。医療者が過去の合併症を引きずっている側面はあると思います。また、腹膜透析は浸透圧を利用して、ブドウ糖液(透析液)に体内の水分や老廃物を移動させて排出する仕組みです。
ブドウ糖液の濃度を調節して一人ひとりの患者さんに合う除水力を引き出すのですが、日本の医療は高濃度ブドウ糖液を使いたがらない傾向があるようです。適正な濃度に調節しないと十分な除水ができず、むくみが起きて、結果、「腹膜透析は除水できない」となってしまうのです。
堀川 医師に「除水できない」と説明されたら、患者はあえてやろうとは思えないですよね。全国を取材していて思ったのですが、森先生をはじめ、腹膜透析に取り組んでおられる医師は地方に多い。都市部に普及していないのはなぜでしょうか。
森 ニーズの違いだと思います。昔は日本にも医療が行き渡らない地域がたくさんありました。東北地方もそうでしたが、とくに高齢者は週3回、血液透析できる施設に通うことが物理的に難しかったのです。
やむをえず透析は諦めて、腎機能を守るための保存的腎臓療法で対応していた。つまり、医療が届きにくい地域には腹膜透析のニーズがありました。一方、都市部には早くから血液透析の施設が豊富にあり、必要な患者さんはすぐ透析を始められたのです。
堀川 現在、全国の透析患者およそ34万人のうち、腹膜透析の人は3.1%だそうです。つまり血液透析が圧倒的多数。一方、欧州やカナダでは20〜30%は腹膜透析だといいます。森先生が腹膜透析を本格的に始められたきっかけは何だったのですか?
災害に強い医療は高齢者にも向いている
森 11年の東日本大震災です。あの時、宮城県では停電と断水でほとんどの血液透析施設が止まってしまいました。限られた施設をフル稼働し、1回の時間を短縮しながら凌ぎましたが、非常に厳しい状況で。県内のある地域では約160名の患者さんを透析することが困難になってしまい、半数の方に自衛隊機で北海道の病院に移っていただいたのです。
その時に高齢の患者さんが、「まだ家族と連絡もとれないのに、自分だけ安全な場所に行くのはつらい」と訴えました。「災害に強い腎不全医療を作らなければ」と強く感じたのはその時です。
しばらくして、震災後の混乱状態のなかでも、腹膜透析の患者さんは、自宅や避難所で透析液のバッグを吊り下げながら自身で透析できていたことを知りました。セルフケアができる腹膜透析こそが災害に強い医療になると感じて、すぐに行動を起こしました。
腹膜透析とは
自宅や外出先、高齢者施設などで、自分で、それが難しい場合は家族もしくは訪問看護師の助けを借りて行います。自身の腹膜をフィルターとして、腹腔に注入した透析液に体内の余分な水分や老廃物を移動させて体外に排出する透析法。治療開始にあたり、カテーテルを腹部に埋め込む手術を受けます。
毎日、自身でカテーテルから透析液を腹腔に注入・排出します。透析中の痛みはほとんどありません。腹膜透析には以下の2つがあります。
CAPD(連続携行式腹膜灌流透析)
CAPD(連続携行式腹膜灌流透析)
高いところに置いたバッグから高低差を利用して透析液を腹部に注入。一定時間、体内に滞留させた後に下に置いたバッグに排出することを1日2〜3回(個人差あり)繰り返します。1回30分程度。
APD(自動腹膜灌流透析)
APD(自動腹膜灌流透析)
専用の機器を使い、透析液の注入、滞留、排出を自動で数時間かけて行います。夜の睡眠中に行えば、生活リズムを変えずにすむ。インターネットでデータを医師に送信できる最新機器もあります。
腹膜透析の患者さんと、訪問診療の際に(写真提供:森さん)
堀川 大がかりな機器は不要、自分で透析ができるから災害時に強い。それは、平常時であっても、高齢で週3回の透析通院が難しいとか、持病や加齢、終末期の衰弱などで血液透析すること自体がつらい人たちにも同じことが言えますね。
森 そうなんです。当時勤めていた東北大学病院で腹膜透析を取り入れた1年目は、血液透析の施設がない地域の病院に拠点を置かせてもらいました。
いざ始めてみると、患者さんはほとんど高齢者。透析のために遠い道のりを週に3日通うのをためらっておられましたので、自宅で腹膜透析ができるようになって喜ばれました。しかも、高齢の血液透析患者さんより元気なように見受けられたのです。
堀川 除水しすぎないから?
森 はい。活動量も水や食事の摂取量も少ない高齢者は、水分も老廃物も血液透析のようにたくさん抜く必要がない。若者が腹膜透析する場合、1日に1.5Lの透析液バッグ3〜4つ分を腹腔内に注入しますが、高齢者は1つで十分な場合があり、かかる時間も短くてすみます。
堀川 高齢者は、10年先、20年先まで生きるための透析ではなく、日々の生活の質を落とさず、家族にもできるだけ負担をかけずに過ごせる形で透析を続けたいと思う人も多いでしょう。その思いを理解して、そっと背中を押してくれる医療者の存在が、やはり必要なんです。
森 私自身、そういう存在でありたいと思っています。その半面、ジレンマもあるのです。高齢患者さんや終末期の患者さんの場合、日々のセルフケアが難しくなると、周囲の手助けが必要になります。
私が患者さんに腹膜透析を勧めることで、ご家族に負担を強いてしまうかもしれない。そのことを忘れないように気をつけています。
<後編につづく>
【参考】日本腎臓学会・日本透析医学会・日本移植学会・日本臨床腎移植学会・日本腹膜透析医学会「腎不全 治療選択とその実際」
https://jsn.or.jp/jsn_new/iryou/kaiin/free/primers/pdf/2024allpage.pdf
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