モテ男か、ダメ男か…大正ロマンの立役者・竹久夢二、モデルを愛し愛された恋多き男の49年の生涯

2024年6月19日(水)8時0分 JBpress

明治末期から昭和初期にかけて活躍した画家・竹久夢二。美人画で知られる夢二の生涯をたどる展覧会「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界」が東京都庭園美術館で開幕した。

文=川岸 徹 撮影/JBpress autograph編集部


一世を風靡した「夢二式美人」

 すらりとした手足にしなやかな体躯。表情は、はかなく、せつなく、やるせない。竹久夢二は「夢二式美人」と呼ばれる人物画で、大正ロマンを代表するスターアーティストになった。小説の挿絵、楽譜の表紙、新聞のイラストレーション、街張りのポスター、浴衣のデザイン。詩や童話にも才を発揮し、自作の詩《宵待草》にはメロディが付けられ大衆的なヒット曲になった。

 今で言うところの、マルチアーティスト。その創作の根源には、常に女性の姿があった。「女性はどのように描けば美しく見えるのか」。理想の女性像を追求し続けた夢二は、さまざまな女性と出会い、恋に落ち、その女性たちをモデルに試行錯誤を重ねた。

 23歳で結婚して3児をもうけた岸たまき、画学生で夢二のファンだった笠井彦乃、“お葉”の愛称で知られる人気モデルの佐々木カネヨ。ほかにも帝劇の女優・桜井八重子や作家・山田順子ら、夢二との恋愛関係が取り沙汰された女性は少なくない。

 夢二の浮気エピソードは数知れず。だが、そんな人生を貫いたからこそ、憂いに満ちた独特の美人画が誕生したといえるだろう。夢二が描く女性は一見、かわいらしく、奥ゆかしい。でも、心の奥底には深い悲しみを宿しているように感じる。その悲しさに、不思議と惹きつけられてしまう。


幻の名画《アマリリス》公開

 東京都庭園美術館にて開幕した「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界」。夢二式美人画を鑑賞するのに、これ以上相応しい会場はない。東京都庭園美術館は旧皇族・朝香宮家の邸宅として1933(昭和8)年に完成。装飾性豊かなアール・デコ様式の建物は、時代感も雰囲気も夢二作品とよくマッチしている。実際、朝香宮家が居住していた当時は、邸宅内に夢二の色紙が飾られていたという。

 本展では夢二の故郷・岡山にある夢二郷土美術館のコレクションを中心に、作品や資料など約180点を展示。その中には、長らく行方不明だった幻の名画《アマリリス》や今回初公開となる「晩年のスケッチブック」など、貴重な作品も含まれている。

 1919(大正8)年に描かれた《アマリリス》は、約30点しか現存していない夢二の油彩画のひとつ。同年に福島県で開催された展覧会に出品され、その後、東京・本郷の菊富士ホテルの応接間に飾られたが、1944(昭和19)年のホテル廃業とともに所在不明になってしまった。だが、昨年都内にあるという情報が寄せられ、調査の末、真作と判明。現在は夢二郷土美術館の収蔵品になっている。モデルの女性は、佐々木カネヨ(お葉)。手前にアマリリスの鉢植えを置いた大胆な構図が印象的だ。ちなみに、赤いアマリリスの花言葉は“輝くほどの美しさ”である。


外遊の様子を伝えるスケッチブック

 初公開となる「晩年のスケッチブック」は、夢二が1931(昭和6)年5月から1933(昭和8)年9月にかけて外遊した際に持ち歩いたスケッチブック。ハワイ経由で訪れたアメリカ西海岸と、その後訪れたドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスといったヨーロッパ各国での旅のスケッチが残されている。

 街の風景や人々、標識、アパッチ族の絵文字、牛……。スケッチブックにはさまざまなモチーフが描かれているが、やはり女性像が多い。洋装、和装、そして裸婦。夢二は外遊中も理想の女性像を追い求め、精力的にスケッチを続けた。

 その成果のひとつといえるのが《西海岸の裸婦》。夢二は白人女性の肌の表現に挑んでいるが、かなり悪戦苦闘した模様。日記に「モデル女よ、その色が俺の絵具箱にはないのだ」と記している。だが、苦労の甲斐あって出来はいい。透き通るような白色の肌に、青み、赤み、黄色みがうっすらと差し、生命感が醸し出されている。

《水竹居》はドイツ滞在中に、現地の女性をモデルに描いた作品。青色を基調にした寒色系の着物が、女性の肌の白さを際立たせている。表情は温和で柔らか。全体として色っぽさを感じさせるが、その中に奥ゆかしさを漂わせるところが夢二らしい。

 女性の表現に人生の大部分を費やした竹久夢二。莫大な数の作品を残しているが、不思議なことに美人画の系譜の中で夢二が語られることはない。夢二は師匠につかず、弟子も持たず、美術界のしがらみから離れて、ポツンと違う場所で創作に励んだ。そんな孤高の生き方を、女性たちは放ってはおけなかったのかもしれない。

 女性との愛に生きた画家、竹久夢二。50歳の誕生日を間近に控えた1934(昭和9)年9月1日、夢二は「ありがとう」の言葉を残してこの世を去った。

筆者:川岸 徹

JBpress

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