荀彧・郭嘉・司馬懿・周瑜・魯粛・諸葛亮、6人の天才の戦い方の違い(前編)

2024年9月30日(月)5時30分 JBpress

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?


6人の天才参謀たちの戦い方、それは似ているのか違うのか?

 過去の記事でご紹介した参謀、軍師のうち、今回の記事では荀彧、郭嘉、司馬懿、周瑜、魯粛、諸葛亮の6名を選びました。選んだ軍師の戦うスタイルを分析し、彼らの戦い方、勝ち方に共通点があるか、むしろ違うことで強みを生み出しているのかを考察します。

 彼らはいずれも、三国志時代に活躍した頭脳明晰さで抜きん出た人物で、戦闘指揮官もしくは行政管理者として卓越した成果を上げました。彼らの戦い方、勝ち方を通じて「本当に賢い人物の攻め方」を学んでみましょう。


諸葛亮と司馬懿、秩序の力VS臨機応変の力

 劉備軍団を天下の一角に飛躍させた諸葛亮。その政治的手腕は後世まで高く評価されました。一方の司馬懿は、魏の武将として最後まで諸葛亮と対峙し、諸葛亮と蜀の北伐を食い止めた神算鬼謀の戦闘指揮官です。

 諸葛亮の力は、統率と秩序の確立による「組織力の最大化」だと思われます。

『諸葛亮は丞相になると、民衆を慰撫し、踏むべき道を示し、官職を少なくし、時代にあった政策に従い、まごころを開いて、公正な政治を行った』(書籍『正史三國志群雄銘銘傳』より)

 諸葛亮は、「蜀科」と呼ばれる法律も制定しており、国家経営の基礎として社会に安定と規律をもたらしています。これらのことから、諸葛亮のもっとも得意な戦い方は正しいルールの制定による「組織力の最大化」だと想定されます。

 赤壁の戦い後、劉備の入蜀では益州を攻略する戦いの後半に、諸葛亮たちも参加していますが、張飛や趙雲など武将とともに、戦いながら北上して劉備と成都で合流する作戦を成功させています。

 分進合撃に近い戦闘では、組織全体により高い統率力が求められます。味方が分かれて進軍し、敵も分散した形で守るわけですから、組織的な統率力や各部隊の効率性が高いほうが、複数方面で戦争を進める場合には有利になります。まさに組織力が要求されるのです。

 諸葛亮は、組織力を極限まで高めることで、勢力的には他の2強(魏・呉)に劣る状況をカバーしようとしました。これはゆっくり展開する状況においては最強のスキルだといえます。ただし、これは敵将の司馬懿からは、戦闘指揮官として落第とされてしまいます。


ライバルである司馬懿からは、諸葛亮はどう見えていたのか?

 宿命のライバル諸葛亮と司馬懿。第4回の北伐では、蜀軍の進出に司馬懿の率いる魏軍は昼夜兼行で駆け付け、魏軍の到着が予想より早かったため、諸葛亮と蜀軍は撤退を決定しています。

 司馬懿はこの戦いで次のような言葉を残しました。

『諸葛亮は考えすぎて決断のつかぬ男、かならず防備を固めてから麦を刈りはじめるにちがいない。昼夜兼行なら二日もあれば十分だ』

『こちらは昼夜兼行で疲労の極にある。軍略に明るい者なら飛びついて攻めかかるところなのに、やつは渭水で防ごうともしなかった。これでは怖れるに足らぬ』(共に『正史三国志英傑伝2』より)

 臨機応変を極める司馬懿のような軍事指揮官からすると、諸葛亮のやっている軍事判断は、考えすぎて戦機を何度も逃すじれったいものに見えたのです。その意味で、両者の強みはまったく異なり、諸葛亮の側には右腕となる軍事指揮官がおらず、一方の司馬懿は政治的にも安定した統治がされている魏による派遣という有利さが垣間見えます。


曹操のまさに右腕軍師だった「郭嘉」の戦い方

 軍師の郭嘉は、28歳のとき荀彧に紹介されて曹操に仕えた人物です。その戦略眼は鋭く、40歳になる前に病没したとき、曹操は郭嘉の死を大変に惜しみました。郭嘉は袁紹との大戦争である官渡の戦いでも従軍しており、軍事における曹操の右腕でした。

 後年、赤壁の戦い(208年)で大敗をしたとき、郭嘉が生きていれば自分はこんな目に合わずに済んだだろうと嘆いたほど、郭嘉は曹操の信頼を得ていました。

 劉備が曹操配下から離れて、小沛で自立を宣言した時、郭嘉は曹操に以下のように進言します。

『袁紹は愚図でためらってばかりいるので、すぐには攻撃して来ないでしょう。劉備は兵を起こしたばかりで、人心はまだ彼に服しておりません。急いで彼を撃てば必ず勝てます。これは存亡の好機、逃してはいけません』(書籍『正史三國志群雄銘銘傳』より)

 郭嘉はリスクの大小を正確に測り、発生確率の大小も考慮に入れて「ベストの効果を期待できる攻撃先」を迷わず進言しています。通常であれば、背後を襲われる可能性に縛られて動けなくなるところを、郭嘉の洞察の正確さが、実行への道筋を与えてくれているのです。

 背後の憂いがないと断言することで、曹操軍は劉備打倒に兵力を最大限集中できます。郭嘉の洞察の重要なところは、打撃力を最大限集中できることです。優先順位、重要度を極限まで洗練させることで、最大の打撃力を、最良の場所に集中できるのです。

 このような戦い方、勝ち方は自軍の勢力を最大限有効活用することが可能です。集中と同時に、無駄な分散が生まれない状態なら、自軍の力を何倍にも高めることができるでしょう。


諸葛亮、司馬懿、郭嘉が戦えば、誰が一番強いのか?

 3名の戦うスタイルはそれぞれ違います。組織統率力が勝負を分ける場面では、諸葛亮が優位ながら、司馬懿は最前線の指揮官が凡庸なら、目の前の相手のスキを突いて最前線の一部隊からの崩壊を誘うでしょう。

 最前線に近づけば近づくほど、司馬懿有利であり、組織だった戦いに持ち込めるなら、諸葛亮が有利です。しかし司馬懿は狡猾なので、最前線で個々の部隊がそれぞれに判断を下さなければいけないような戦場しか選ばないと推測されます。

 蜀の人材がもっとも充実した状態を維持できない限り、どこかで司馬懿に切り崩されることになるでしょう。

 郭嘉と諸葛亮が対決した場合、郭嘉は諸葛亮が統率しなければいけない要素の、もっとも弱い場所、弱いエリア、守りにくい場所を狙うことになるでしょう。そのため、軍事的な衝突がもしあれば、郭嘉が有利にものごとを進めたと推測されます。

 最後に、郭嘉と司馬懿が戦ったらどうなったでしょうか。軍事的権力の差がない場合、郭嘉が有利だったと本記事では推測します。司馬懿は人の信頼を強く得るような人物ではなく、少なくとも曹操配下という状態では、郭嘉の影響力の強さが勝ります。

 ただし、司馬懿は郭嘉を見て、恐らく郭嘉が軍事的な指導力を強く持つあいだは、絶対に郭嘉の警戒レーダーに映らないようにするはずです。また、曹操の最大の感情的な弱点である、長男の曹丕との関係を最大限活用するでしょう。

 軍事的に衝突するなら、司馬懿側は機動力を活かして郭嘉軍の弱い部隊を探して攻撃、郭嘉側は司馬懿の指揮する部隊を発見したら、そこに集中攻撃を仕掛けるために軍を集めることになるのではないかと思います。

 天才たちはそれぞれに優秀でも、自らが勝利するための着眼点は違っているようです。それは彼らの性格の違いであり、性格の違いが異なるものに着目させるからではないかと推察されるのです。

筆者:鈴木 博毅

JBpress

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