神の光か幻か…太陽が踊った「1917年ファティマの太陽の奇跡」では実際に何が起こったのか

2023年11月18日(土)12時0分 tocana

 聖母マリアが起こしたとされる“太陽の奇跡”を一目見ようと集まった7万人の群衆は何を目撃したのだろうか——。


■7万人の観衆の前で起きた“太陽の奇跡”


 事の発端は羊飼いの子供たちだった。1917年5月、ポルトガルのファティマに住む3人の子供たちが、羊の世話から帰宅中に聖母マリアの幻影に遭遇したのである。


 3人(ルチア、フランシスコ、ヤシンタ)によるとマリアは6カ月後に地上から完全に姿を消すということなのだが、それまで毎月子供たちの前に現れると告げ、最後の出現となる10月13日には奇跡を起こすと約束したというのである。


 この奇跡の噂は広まり、聖母マリアが起こす奇跡をこの目で確かめたいという敬虔なカトリック教徒たちをはじめ、当日には推定7万人の群衆がファティマ某所に集まったのだった。


 聖母マリアの言葉を預かった子供の一人、ルチアが群衆に向かって空を見るようにと叫ぶと、空を見上げた観衆は“太陽の奇跡”として知られる光景を目の当たりにしたのである。


 空の太陽は色とりどりの光線を放ち、まるでダンスを踊るようにジグザグに動き、急降下と急旋回を繰り返すという信じられない挙動を約10分間にわたって見せたのだった。


 現場にいた弁護士のホセ・アルメイダ・ギャレット氏は次のように語っている。


「太陽を見ると、すべてが暗くなっていることに気づきました。私はまず近くの物体を眺め、それからさらに遠くの地平線まで視線を広げました。すべてがアメジスト色になっているのが見えました。私の周りの物体、空も大気も同じ色でした。近くも遠くもすべてが変わり、古い黄色のダマスク織の色になりました」(ギャレット氏)


 黄色い光が一帯を照らし、人も物も地面もすべてを黄色く染めたという。そしてギャレット氏は「とても楽しかった」と振り返っている。少なくともギャレット氏にとって“太陽の奇跡”は実にワンダフルな体験であったようだ。


■「幻日」か「日光網膜症」か、それとも……


 客観的な事実として、1917年10月13日にほかの場所で太陽が異常な振る舞いを見せたという記録は残ってない。とすればこの“太陽の奇跡”はポルトガルのファティマの一部で起きた局地的な現象であったことになる。


 真の奇跡であったのか。もし奇跡でないとすれば何が起きていたのだろうか。


 ポーランドのウッチ工科大学のアルトゥール・ウィロフスキー氏が提案した説明の一つは、目撃者は大気の高層にある氷の結晶の雲によって引き起こされる「幻日(sun dog)」を目撃した可能性である。これらの雲は空を色とりどりに染めることもあり、少なくない目撃者の証言を説明できる。


 しかし“太陽の奇跡”ではまるでディスコのミラーボールのように色が変わり、忙しない動きを見せていたことが報告されている。7万人の観衆の中にはカメラを携えた報道陣もいたのだが、残念ながら太陽の動きや輝きを鮮明にとらえた写真は残っていないようだ。この時代のカメラでは撮影が難しかった可能性もある。


 さらに別の説明では「集団ヒステリー」と太陽を長時間見つめすぎたために起こる「日光網膜症」が組み合わさったものではないかという見解である。日光網膜症は、宗教儀式中に太陽を長時間見つめすぎた後世の宗教者の間でも記録されている症状で、めまいや幻視などが引き起こされる。


 太陽の色の変化や忙しない動き(おそらく目撃者が振り向いたときに残った太陽の残像)などの症状は、幻日よりもさらに現象をよりよく説明できるかもしれない。


 裸眼で太陽を直接見ることの危険性は今ではよく知られているが、当時はそれほど周知されていなかったとも考えられ、多くが太陽を見つめ過ぎたために残像を見たりめまいを起こしていたとしても確かに不思議ではない。


 もちろん目撃した信徒の一定数は本当に“太陽の奇跡”が起きたと信じている。そしてこの一連の奇跡の中で聖母マリアが子供たちに伝えた「ファティマ第三の予言」の正確な内容も当然気になる。一説ではバチカンはこの予言を封印し隠蔽を図ったといわれているが、“太陽の奇跡”が本当の奇跡であったとすれば、その予言もまた正真正銘の予言であり、聖母マリアからの“預言”ということになるのだろう。



参考:「IFL Science」ほか

tocana

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