老々介護の父と娘 96歳認知症の父、六花亭で誕生日を祝われて喜ぶ。その後、コロナで発熱、待合室で失禁を…

2024年12月20日(金)11時0分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:Photo AC)

高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、96歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

* * * * * * *

前回〈95歳認知症の父が、老人ホームの生活で元気を取り戻した。だが、5歳下の後輩の訃報を聞き、泣きながら名簿に×を書き込んだ〉はこちら

元気で96歳を迎えた父


2024年を元気に迎えた父だったが1月末に、会社員時代に親しくしていた、5歳下の後輩の訃報を聞いてから、しばらくしょんぼりしていた。

励ましのつもりで私は父に声をかけた。

「Aさんはいつも電話をくれて、いい話し相手だったよね」

私の言葉は、逆に父に寂しい思いをさせたようだ。父は切なそうにつぶやいた。

「まだ若かったのに……かわいそうに」

「パパ、Aさんは91歳までお元気で、ついこの間まで張りのある声で電話をくれていたよね。かわいそうじゃなくて、大往生って思ってあげたほうがいいんじゃない?」

「そうか、大往生か…‥」

長生きすると見送る人が多くなるのは仕方がないことだ。しかし、歳を取っているからこそ身に堪えるのかもしれない。少し突き放して父を激励しようとする気持ちと同時に、悲しみに寄り添ってあげたい思いが、私の心に波のように寄せては返す。

寄り添いの効果か、あるいは時間が悲しみを忘れさせてくれたのか、雪が解けて春が訪れる頃には、父は持ち前の明るさを取り戻していた。

入居している老人ホームの空調が良く、父は家に居た時のような気温の変化による体調不良が起きなくなった。冬は暖かく、夏は適度に涼しくて、何年も悩みの種だった熱中症の兆候もないまま、2024年7月下旬に父は96歳の誕生日を迎えた。

父の好きな菓子店「六花亭」の喫茶室は、誕生日に来店したお客さんが身分証明書を出して誕生日であることをを申告すると、好きなケーキをひとつプレゼントしてくれる。六花亭は札幌市内にいくつかの店舗があり、今年父を連れて行ったところでは、店員さんがバースデーソングを歌ってくれた。

歌声が響く中、ロウソクの立ったケーキが運ばれてくると父ははにかんだ笑顔になって、店員さんたちに向かって深々と頭を下げた。

「びっくりした。ありがとうございます」

その様子を見ていた見ず知らずのお客さんたちが一斉に拍手をしてくれて、幸せな誕生日となった。

父が熱を出した


私には仕事のサポートをしてくれる女性スタッフがいて、仕事の量に応じて来てもらっている。9月の中旬のある日、彼女と2人で机に向かっていると、お昼の12時頃に老人ホームの担当者から電話があった。

「お父さんが昼ご飯は食べたくないとおっしゃるので、熱を測ったら37.9度ありました。病院に連れて行っていただきたいのですが、何時頃こちらに来られますか?」

私は講演で使う資料を主催者に送る期限の日だったため、あと3時間程仕事をしたかった。父のことは心配だが、自分の都合を優先した返事をしてしまった。

「すみません、仕事の都合で今すぐは行けなくて。咳や嘔吐はありますか?」

「いいえ。熱があるせいか横になってうつらうつらしていますが、咳や嘔吐はありません」

ホームの担当者は、普段と同じ落ち着いた口調で答えてくれた。胸を撫でおろし、私は言った。

「なるべく早く行きますが、3時半頃になると思います。それまでよろしくお願いします」

「到着時間が決まったら、電話をください。すぐに病院に行けるようにお父さんの準備をしてロビーでお待ちしますので」

スタッフが来てくれている日だったのが幸運だった。私1人でやるより早くに仕事が片付いて3時過ぎに老人ホームに到着すると、ロビーには車椅子に乗っている父がいた。

普段は杖もつかずに歩いている父が、虚ろな目で車椅子に座っている。発熱のためにふらつきがあるため、歩かせるわけにはいかないのだろう。その姿は想像していたより衰弱して見えて、私は連絡を受けてすぐに駆け付けなかったことを申し訳なく思った。

「待たせてごめんね。熱があるから病院に行こうね」

父は私に聞いた。

「病院はまだやっているか?」

「大丈夫だよ。6時まで診療しているから」

私の返事に父は安心したように頷いた。ホームの玄関に停めた私の車に、介護士さんが介助して父を乗せてくれるという。ところが父は嫌そうな顔をした。

「俺は1人でも歩けるし、車にも乗れるんだけどな」

96歳という高齢な上に、病気になったのだからもっとしおらしくしてくれるといいのだが、健康が自慢の父は車椅子に乗ることに抵抗があるらしい。ホームの入居者は車椅子に乗っている人が少なくないが、父は他人と自分を比較して優越感を持っているのではないのだ。

ただひたすら、自力歩行出来て、トイレも介助の必要のない自分が好きで、その誇りを手放したくないのだろう。

車は前に乗るのが当たり前という父


助手席の後ろに乗ってもらうつもりで私がドアを開けると、父がムッとしたのがわかった。

「助手席に乗る!」

熱で朦朧としているとは思えない、しっかりとした自己主張だ。でも熱のある父が助手席に座っていると、私は横を向いてしまい、前方不注意になるかもしれない…。妙に敏感なところがある父は、私が躊躇しているのを感じ取ったらしく、さっきより冷静な口調で助手席に乗りたい理由を説明した。

「俺は60年以上も車を運転していたから、いつもフロントガラスから外の景色を見ていた。タクシーの時は別だが、普段は後ろの席に乗ったことはない。だから前の席じゃなきゃいやなんだ」

2021年に93歳で自損事故を起こして車を廃車にした後も、父は免許証を手放さないと言い張っていた。免許証返納を求める私と、運転しなくても免許証は絶対に手放したくないと言い張る父。しょっちゅう激しい言い合いをしていた日々が蘇る。

父は未だに心の中で、車の運転をしている自分が本来の姿だと認識しているようだ。ここは私が折れたほうが良いと感じた。

「わかったよ。助手席に座って少し背もたれを倒して目を閉じていて。熱のせいか、だるそうに見えるよ」

父と私の会話をじっと聞いていた介護士さんが、父を上手に車椅子から降ろして助手席に乗せ、見送ってくれた。

「病院に電話して、今朝からの様子を伝えておきます。車椅子の用意もお願いしておきますね」

初めての紙パンツ


病院には発熱していると事前に連絡してあったので、看護師さんが感染症から身を守るガードを付けた姿で、駐車場に迎えに来てくれた。病院の車椅子に乗せられた父は、まっすぐに発熱外来の待合室に入ることになった。

私も体温を測定し、平熱を確認後に父の受付をしてもらった。私は待合室の椅子に座り、父がトイレに行く間もなく別室に連れて行かれた様子を見て、一抹の不安がよぎった。

父は昔からトイレに行く回数が少ない。持って生まれた膀胱の容量が大きいのだと思うが、なぜか父はそれを良いことだと思っている。たぶん看護師さんに聞かれても自慢げに言うだろう。

「私はあまりトイレに行かないんです」

ところが、コロナのPCR検査の判定を待つ間、父は車椅子の上で失禁してしまったと看護師さんから報告された。発熱による脱水状態を避けるため、老人ホームでいつも以上に水分補給をさせてもらっていたから、おしっこが溜まっているのに自覚がなかったようだ。

「ズボンが濡れていますけど、お父さんの着替えは持ってきていますか?」

看護師さんに予期せぬ質問をされて、私は自分の準備不足が恥ずかしくなった。

「すみません。想定外のことで、着替えの用意はありません」

父を待たせておいてホームから着替えを持ってくるか、濡れたズボンのまま帰るかのどちらかを選ばなければならない。父の考えを聞いて決めようと思った。

「パパ、待っている間におしっこをしてしまって、ズボンが濡れているよね。私が着替えを持ってくるまでここで休ませてもらう?」

怪訝な顔で私を見ると、父はズボンに手を当てて言った。

「漏らした覚えはない。このまま帰る」

看護師さんはこのようなケースに慣れているのだろう。父の意思を尊重して話してくれた。

「トランクスは脱いで紙パンツを履いたから、もしおしっこが出ても大丈夫ですからね。車の座席が濡れないように、吸水シートを敷いてあげますから、このまま帰りましょうね」

私の車には、災害で避難した時に使用する目的で防災グッズとバスタオルが積んである。父の腰にバスタオルを巻き、いただいた給水シートを敷き、看護師さんの力を借りて助手席に座らせ、車を発進させる前にホームに電話した。

「コロナが陽性でしたが、肺炎にはなっていないませんでした。薬をもらったので今から帰ります」

ホームではコロナに罹患すると、5日間家族の面会は禁止になっている。私はロビーで父と別れ、ケアマネージャーと今後のことを話し合った。

熱が下がりふらつきが収まるまでは、居室の中でもなるべく歩かないでほしいので紙パンツを履いてもらいたい、というのがホームの意向だ。

紙パンツはホームで用意してもらえることになったが、肝心の父が抵抗しないでそれを履いてくれるかどうかが心配だった。

(つづく)

【漫画版オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく】第一話はこちら

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