「京都は陰湿で排他的」と思い込んでいる人に伝えたい“京都人よりケチでセコいあの県民”〈「茶漬けが出たら…」の本当の意味〉
2025年4月20日(日)12時0分 文春オンライン
〈 「沖縄県民は飲み会のシメにステーキを食べる」という真っ赤な噓はナゼ生まれたのか?《都市伝説を作った“ヤラセ満載のテレビ番組”》 〉から続く
「京都人は排他的」「陰湿で、本当のことを言わない」——ベストセラー『 京都ぎらい 』(井上章一著・朝日新書)もきっかけとなり、京都人に対する偏見、風説は後を絶たない。しかし、実際のところはどうなのか。仲村清司氏による書籍『 日本一ややこしい京都人と沖縄人の腹の内 』(光文社)から一部抜粋し、解説する。(全2回/ 前編を読む)

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「京都人は排他的」というウソ
京都人と沖縄人に対するバッシングとして共通しているのは「排他的」であるという言説だ。しかし、『 東京育ちの京都案内 』(麻生圭子著・文春文庫)にはこう書かれている。
「私は東京の頃より、友だちが増えました。相性が合うんですね。排他的ということも感じたことがありません」
まったく同感である。僕は大学時代を京都で暮らし、その後も春夏秋冬、京都に通い、沖縄で過ごした時代も花の季節や年末には必ず京都に足を運び、初老期になってついに京都に居を構えた。
何がいいたいかというと、その間、一度もイケズにあったことがないのである。京都暮らしに何一つ不満はないが、それでもなにかひとつあげよといわれたら、桜と紅葉は拝ましていただいたけれど、イケズだけは見たことがないことがそれだ。
だからこそいまもってホンマモンのイケズが存在するなら、その個別体験を目の当たりにするなり、のぞき見したいとまで思っている。
もっといえば、ワタクシは根が性悪ゆえ、「京都人にこうしたら向こうから存分にイケズを味わわせてくれる」という必殺イケズ仕掛け人になってもいいと思ったりするのだが、あるいはもしかするとイケズされているのに、そのことに気づかずに生きてきたかもしれない。
が、それほどまでに京都のイケズがわかりにくいなら、人畜無害すぎてイケズとはなんぞやと問いたくなる。京都出身で『 イケズの構造 』(新潮社)を著した入江敦彦氏はイケズの例をこう述べている。
「たとえばイケズとは、くだんのお姫様の布団の下へ豆を歳の数だけ節分の夜に忍ばせるような行為。そして彼女が気づき抗議してきたら〈残さんとお食べやす。縁起よろしおすえ〉と微笑んでみせるのです」
入江氏はこれぞ「ほぼ完璧なイケズやわ」と述べているが、なにやら大奥の御局様のような意地悪で、現実には嫁姑の確執でもこんなシーンは存在しないだろう(と信じたい)。
「京の茶漬け」は完全なフィクション
よって、僕は京都人がイケズというのは神話であると断定している。
しかし、イケズを外部から持ち込み、それが原因でこの神話がさも真実かのように広めた人がいる。どういうことかというと、京都人がイケズではなく、イケズであるかのように仕立てた人物がいるということだ。
出所は1775(安永4)年に出版された笑話本『一のもり』の小噺で、同じようなネタが1808(文化5)年の十返舎一九の小噺集にもあるという。十返舎一九は江戸住まいの戯作者で『東海道中膝栗毛』を書いた人物として知られているが、上方(京阪神地方)に在住したことがあるので、そのときにこの噺を仕入れたかもしれない。
これがのちに『京のぶぶ漬け』あるいは『京の茶漬』という上方落語で演じられ、人気を博したという経緯をたどっている。つまりは作り話で、完全なるフィクションなのだ。
しかも笑話本が出版された当初は京都に限った噺ではなかったらしい。噺の展開がなんとなく京都っぽいということから、落語では京都が舞台になった。
ということは江戸中期には「京都あるある」噺というイメージができあがっていたのかどうか。むろん確証はない。
ワタクシはどんなジャンルの音楽も聞かないし、まったく関心がなく、お店のBGMですらいまいましく思うほど、心の中が荒蕪の地のように殺風景きわまりない人間で、ホントは音響機器など必要ないのだが、ごく小型のコンポは置いてある。
なぜかというと落語がないと生きていけない人間だからだ。それほど落語は生活の一部になっていて、趣味を超えている。車の中でも落語のCDを聞くし、寝るときもスマホにヘッドフォンのスタイルで落語を聞く。でないと不眠症がひどくなるタチで、落語は依存症にはなるが、副作用のない睡眠薬だと思っている。
なので『京の茶漬』も暗記するほど聞いている。ためしに、桂 米朝師匠の『京の茶漬』を聞きながら、あらすじのポイントを拾ってみることにしよう。
落語『京の茶漬け』のあらすじ
京都の得意先をよく訪れる大阪の商人がいて、帰りがけになると必ずそこのおかみさんが、「なんもおへんのどすけど、ちょっとお茶漬けでも」と声をかけるのだが、茶漬けなど出たためしがない。
そこで、腹を立てた商人が、「よし、いっぺんあの茶漬けを食うてこましたろ」と商用にかこつけて昼時に得意先にやって来る。
あいにく主人は留守で上がり込んで待つことにする。その間、おかみさんと雑談をし、茶漬けのことを匂わせた会話もするのだが、おかみさんは気づいていないそぶりをする。何度も駆け引きをしながら話題を茶漬けにもっていこうとするのだが、おかみさんはそしらぬふりを続ける。
「おかわり」を巡ってひと悶着
「これはあかんな」と諦めた商人、引き上げるあいさつをしたところ、今度はおかみさんがしくじってしまった。つい、いつもの癖で、「えらいすんまへんなあ。あの何にもおへんけどちょっとお茶漬けでも」といってしまう。
商人にしてみれば、まさにこの一言を待ってました! なのである。
「さよか、えらいすんまへんなあ」と遠慮なしに居座る。おかみさんはしまったと思ってもすべてはあとの祭り。台所へ行ったものの、ご飯はほとんど残っていない。
そこで、あるかぎりのご飯をかき集めて茶碗に盛り、漬物をそえて商人の前へさし出した。あまりに少ないご飯を商人はすぐに食べてしまい、「おかわりを」といいたいものの、おかみさんは知らん顔で後ろを向いたまま。むろん、彼女はそのことに気づいているのだが、ないものはないので、無視を決め込むしかない。
で、商人はこっちを向かそうと、「このお茶碗は清水焼でっしゃろ。いい茶碗でんなあ。土産に5つほど買うて帰りたい。この茶碗はどこでお求めになりました」と空の茶碗をおかみさんの目の前へ突き出した。
するとおかみさんも負けていない。「これといっしょにそこの荒物屋で買うたん」と、からっぽのおひつを突き出したというのがオチだ。
ケチでセコいのは京都より大阪ではないか
つまり、「ちょっとお茶漬けでも」というのは、おかまいもできずにすみませんというあいさつで、そういわれたら訪問者は「いえいえ、こちらこそ長居してしもうて。そろそろ帰ります」という符牒のようなものなのだ。
ただし、この符牒もどきみたいなやりとりも作り話で、京都にはそんな慣習はない。この噺の真偽を行きつけの酒場のおかみさんに聞いたところ、
「お客さんに対して、いくらなんでもそんなお茶漬けみたいな恥ずかしいもん、出されへんわあ。かえって失礼や。それに、昔もいまもお茶やら飲み物を出すとしたら茶菓子を添えるくらいちゃうの」
というご返事でしたな。ケチな大阪人のワタクシもまったくその通りやと思いますわ。
事実、京都のみならず江戸の大店でもふだんの食事は質素なもので、客に食べてもらえるような料理など出さなかった。商売上、無碍にはできない大切な人なら仕出し弁当を出すことはあっても、そもそも、どんな土地でも、昼時に家を訪ねること自体、失礼・無礼な振る舞いとされてきたはずである。
これが常識というもので、ごくふつうに考えると、非常識なのは大阪の商人ではないか。大阪育ちの僕のような人間なら、この落語は京都のイケズをいじっているのではなく、たかがお茶漬けを食べたいがために京都まで訪ねていく大阪の商人のほうが、よほどケチでせこいことを伏線にしていると理解できる。
(仲村 清司/Webオリジナル(外部転載))