「坊主にしろ!」ボーイング社の副社長に怒鳴る遺族も…520人が死亡「史上最悪の飛行機事故」のその後

2025年4月29日(火)11時50分 文春オンライン

〈 弁当を食べようとしたら足元に「ちぎれた人間の足」が…「520人が死亡した飛行機事故」報道カメラマンが撮影した“壮絶すぎる事故現場” 〉から続く


 死亡者数520名…今から40年前、大勢の人々が命を失った「日本航空123便墜落事故」。その衝撃は大きく、被害者の遺族たちの人生にも影響を与えた。同事故のその後を、報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『 追想の現場 』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全4回の4回目/ 最初 から読む)



羽田に集められた遺品を懸命に探す遺族 ©橋本昇


◆◆◆


事故犠牲者の遺品


 再び現場。そこでジャンボ機だとわかるものは翼だけだった。ばらばらになった機体から飛び散った機体部品、客席シート、遺体、部分遺体、眼鏡、時計、財布、靴、ハンドバッグ──乗客が身に着けていて燃えずに残った品が散乱していた。


 群馬県警は、まず優先して、遺体と部分遺体をビニール袋に集めていた。それから乗客の残した遺品を丁寧に拾い集めていた。と同時に事故原因を探求するための機体の内部構造を支える外壁など、重要パーツも丁寧に集められていった。


 犠牲者遺族にとって事故原因の証拠部品も大切だが、犠牲者が身に着けていた物はかけがえのないものだろう。その数々の遺品は、いったん群馬県警へ保管され、すぐに羽田にある日航施設へと運びこまれた。


 そこで遺族が確認出来たものは返品された。


 私は事故後約1か月たったころ、羽田の遺品管理所へいった。入り口には受付が出され、訪れる遺族の対応にあたっていた。


 そこは小さな体育館のような施設で、ビニール袋に入れられた遺品が、見やすく順番に置かれていた。


 一つの遺品を見ると、品名が書かれたシールが貼られていた。遺族の一人は、そのなかから手帳を見つけ、丁寧に一枚一枚めくっていた。


 その日は約20人の遺族関係者が訪れていた。かがんだり、ひかりにかざして、繰り返し確認していた。


 遺族どうしが確認しあう、囁くような声が聞こえていた。


一周忌に寄せて


 あの墜落から一年にあたる1986年8月12日、事故現場へ向けて御巣鷹山を登った。事故当時は道といえるような道はなかった。それを物語るように事故から2日後に遺族が現場へと向かう途中で落石で死亡するという事故もあった。


 だがこのルートも、事故から一年たつと、慰霊登山がしやすいように日航職員や地元消防団の手で整備されていた。その道を遺族は喪服や普段着でゆっくりと登っている。途中、何カ所かにペットボトルが置かれた休憩地点が設けられていた。日航の職員は黙って頭を下げ、冷えたボトルを慰霊登山者たちに手渡していた。薄暗い谷に鳥の声がわたっていった。


 途中、事故当時の社長だった高木氏がゆっくりとした足取りで登っているのに出会った。「大丈夫ですか?」と声をかけると「はー、ありがとうございます」と頭を下げた。


 だが、息は荒かった。高木氏にとってそれは針の山を登るにも等しい。8合目あたりで一人の中年男性がぽつねんと座っていた。高木氏が頭を下げるが、高木氏と気づいたのか無視した。男性に話を聞いた。


 彼は家族が亡くなったという。そして「あの日以来、仕事にも手がつかず、家に帰ってもぼんやりしてるばかりです。一人、ここで家族を思い出しながら祈るだけです。慰霊式には参加しません」と心境を短く語った。


 尾根には、高木氏らを待ち構えるテレビカメラが多数いた。高木氏に「お気持ちは」などとマイクをむける記者もいた。尾根には花を持った人、菓子や果物を手にした人、ビールや日本酒をいまは亡き相手と飲む男性、悲鳴に近く号泣する中年女性、南無阿弥陀仏と念仏を唱える人、ひたすら数珠を手に祈る老夫婦など、そして線香の煙がいたるところから漂っていた。


 ある女性に話を聞いた。


「どなたを亡くされたんですか?」


「もう飛行機は信用できない!」


「主人です。東京へ出張でした。淋しいですとても。でも4人の生存者がいたことに少し救われた気がしました。よく生きておられたと」


 他にも聞いた。


「想像を絶するような揺れや振動、墜落の恐怖が30分以上も続いたらしいんですね。どんなに恐ろしかったことか、最後は諦めたんでしょうかね」


「安全神話なんて日航が勝手に作ったんでしょう? もう飛行機は信用できない! 海外も行きたくない」


 一年経った御巣鷹山の頂上には懺悔、怒り、悲しみ、後悔が走馬灯のように回り人々を包んでいた。


 一周忌慰霊式は、この日の夕方に群馬県・上野村で行われた。この日、慰霊登山を終えた遺族関係者は、村が用意した休息所で休み、式へ臨んだ。


副社長に向かって「坊主にしろ!」


 式では日航の役員などがずらっと横並びして、式に臨む家族に深々と頭を垂れた。しかし向けられるのは、命を奪われた家族の、刺すような視線だ。経営陣はなにを思ったのか。それはわからない。


 墜落した747ジャンボ機は、伊丹空港で尻もち事故を起こしていた。製造元のボーイング社からその修理に派遣されたスタッフの手抜き修理がこの事故の主原因だとされている。そのボーイング社を代表して副社長が式に参列していた。それを見咎めた中年女性が副社長に詰め寄った。だが副社長は、二言三言会話したにすぎなかった。


 近くの遺族の男性が「坊主にしろ!」と、吐き捨てた。


(橋本 昇,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))

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