そこらじゅうに散乱した乗客の肉片、「クソッたれ」と捨て台詞を残す記者も…520人が死亡した「世界最悪の飛行機事故」報道カメラマンが見た“この世ならざる光景”
2025年4月29日(火)11時50分 文春オンライン
「19時ごろ、羽田を飛び立った大阪伊丹空港行きの日本航空123便ジャンボ機が、消息を絶っているらしいよ」「えっ!」
524人の乗客乗員のうち520人が死亡…1985年8月12日、世界中を震撼させた「日本航空123便墜落事故」。この未曾有の事態は、人々にどんな衝撃を与えたのか? 事故直後、現場へ走った報道カメラマンの1人、橋本昇氏の新刊『 追想の現場 』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全4回の1回目/ 続き を読む)

◆◆◆
ジャンボ機が消息を絶っているらしい
2月の高い青空を、旅客機が飛行機雲を描きながら南へ飛んでいく。遠ざかっていく旅客機を目で追っていくと、あの「暑かった夏の出来事」が蘇ってきた。あれから40年が経った。
1985年8月12日。帰省先の九州から東京郊外の自宅に戻り、澱んだ熱気を逃がそうと窓を開けた。暗い外の街灯に浮かぶ桜の木に集まった油蝉の鳴声が、夜の熱気に負けじと、鳴き暮らしていた。
突然、電話が鳴った。編集者のKさんからだった。
「19時ごろ、羽田を飛び立った大阪伊丹空港行きの日本航空123便ジャンボ機が、消息を絶っているらしいよ」
「えっ!」
電話から聞こえてくる、Kさんののんびりとした声とは裏腹に、話の内容は驚くべきものだった。
私は半信半疑のまま、すぐにテレビをつけた。映し出されたのは、羽田空港ロビーに立つ、テレビレポーターの姿だった。間をおかず、画面の上にニューステロップが点灯した。
〈行方不明の日航機は長野県境の山中に墜落した模様〉
Kさんの情報に間違いはなかった。その後、テロップが次々と打たれたが、「長野県と群馬県境の山中に墜落した模様」とだけ。同じ内容の繰り返しだった。急いでカメラバッグにカメラとレンズ一式を詰め込み、編集者が差し向けた車がやってくるのを、イライラしながらいまか、いまかと待った。おおよそ2時間後、迎えにきた車に飛び乗り、中央道山梨方面へと向かった。
ラジオから流れてくるアナウンサーの淡々と読み上げる肉声が524名の、一人ひとりの名前を、途切れることなく伝えていた。
窓の外に目をやると、日航機乗客の家族を乗せ、現場へ向かっていると思われるバスが、パトカーに守られながら列を連ねて走っていた。カーテンを閉めたバスの窓に、家族の影がぼんやりと映っていた。遠ざかる高速道路灯の明かりが流れるように後ろへ消えていく。
日付は13日へ変わろうとしていた。途切れることなくラジオから流れるニュースは、依然として墜落地点が特定されず、「長野県と群馬県境にまたがる山中の模様」とだけ繰り返すのだった。
「あんたら日航は何をやっているんだ!」
中央道須玉料金所で下り、国道141号線を走って、長野県・佐久郡小海町役場へ向かった。そこにはすでに現地対策本部ができていた。役場の前の道路脇は警察車両、自衛隊、取材の車で、入る隙間もなく埋まっていた。
「どうしてまだわからねえんだよ! あんたら日航は何をやっているんだ! えー!」
ひとり興奮したA新聞の記者が、日航関係者らしい人間を見つけると、激しい罵声を浴びせながら詰め寄った。見かねた警察官が、興奮した記者の間に割って入ったが、記者はふてくされ「クソッたれ」と捨て台詞を残し、どこかへいってしまった。誰もがイライラしていた。
「申し訳ありません。申し訳ありません」と日航職員は、ただただ平身低頭の繰り返しだった。近くの草むらで鈴虫が羽をすり合せて鳴いていた。
僅かな秋の気配が感じられた。
やがて東の空が白み始めた。だが、依然として詳しい墜落地点はわからないままだった。
〈 「足の踏み場もないくらい遺体が散乱していた」乗客乗員524名のうち520名が死亡…史上最悪の飛行機事故「日航ジャンボ機墜落事故」はなぜ起きた? 〉へ続く
(橋本 昇,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))
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