中村哲医師の悲願、アフガンでハンセン病診療再開へ…15年ぶり年内にも

2025年5月8日(木)6時51分 読売新聞

 アフガニスタンで人道支援に取り組む福岡市の民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」は、撤退していた現地でのハンセン病診療を約15年ぶりに再開することを決めた。2019年に銃撃されて亡くなった現地代表・中村哲医師(当時73歳)の悲願で、同会はスタッフの確保や教育など医療体制の整備を進め、早ければ年内の診療再開を目指す。(今村知寛)

 中村医師は1978年、登山隊の医師として医療体制が不十分なパキスタン北西部を訪問した際、ハンセン病患者と出会った。助けを求められたが、一時訪問で十分な薬を持っておらず、中村医師は治療できずに、後ろ髪を引かれる思いで帰国したという。

 国際NGOに志願し、中村医師は84年、パキスタン北西部ペシャワルの病院に赴任。中村医師は任期後も現地に残り、ハンセン病患者の治療などにあたった。

 旧ソ連軍の侵攻でアフガン難民が押し寄せ、中村医師は86年、難民キャンプでの診療も開始した。同年には、難民の診療にあたる医療組織をパキスタンに設立し、診療活動はアフガン東部の山間部にも広がった。91年以降、同国ナンガルハル州などの山間部3か所に診療所を開設した。

 ただ、2001年の米同時テロに伴う米国などの攻撃で現地の治安が悪化。内戦も始まり、3か所あった診療所のうち2か所を05年までに現地に譲渡し、残った1か所も10年以降、人員不足などでハンセン病治療を休止していた。

 一方で00年以降、大干ばつがアフガンを襲い、子どもたちが飢餓や感染症で次々と命を落とした。「100の診療所よりも1本の用水路を」と中村医師らの活動は、慣れない井戸や用水路の建設に移行した。ペシャワール会によると、中村医師は建設に携わりながらも、ハンセン病患者のことを気にかけていたという。

 21年のイスラム主義勢力タリバンの復権以降、山間部の治安が改善し、同会は近年、アフガン東部山岳地帯の中小河川でも用水路を建設できるようになった。昨年1月、ナンガルハル州政府や保健省が、ハンセン病医療への協力を同会に要望。同会は現地スタッフと協議し、3月の理事会で診療再開を決定した。

 村上優会長(75)は「撤退前に診断や治療にあたっていた医療スタッフが残っている今なら、自前で人材育成ができる」と最後のチャンスと捉える。

 州政府が診療所を提供することで話が進み、診療範囲は、同会が診療所を設けるナンガルハル州などアフガン東部を想定している。世界保健機関(WHO)の統計によると、同国で17年に確認されたハンセン病患者は45人に上る。ただ、十分な医療を受けられない地域が多く、正確な患者数は把握できていないという。

 同会は、医師や検査技師、看護師らの医療チームを作り、巡回診療を実施する。患者数の把握や投薬による早期治療に努める。治療薬はWHOから無料で入手するという。

 皮膚や末梢まっしょう神経が侵されるハンセン病は、皮膚疾患が特徴。イスラム教では、女性は顔や体を布で隠すことが義務づけられるうえ、原則として女性の診察しか受けられない。宗教的な課題もあるため、同会は女性スタッフの確保も急ぐ考えだ。

 村上会長は「『誰もしたがらない、行きたがらないから我々が行く』と中村医師が現地にとどまり、形を変えながら命を支え続けた原点には、ハンセン病がある。その精神を次世代に引き継ぎたい」と話した。

 同会は10日、福岡市内で中村医師とハンセン病に関する記録映画の上映会を開き、診療再開を報告する。

◆ペシャワール会=1983年9月、中村医師を支援しようと設立。会の現地NGO「ピース・ジャパン・メディカルサービス(PMS)」と、医療に加えて、干ばつ対策の用水路建設などに取り組む。会員と支援者数は3月末現在、約2万7000人。

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