夫のキャバクラ通いを責めたら離婚を迫られ…「チャンスをください!」妻側が頭を下げて再スタートした“半年限定夫婦生活”の始まりと終わり

2025年5月17日(土)12時0分 文春オンライン

〈 結婚当初からセックスレス、夫がキャバ嬢を口説いていたことが発覚しても…女性カウンセラー(36)が「どうしても離婚したくない」と思った理由 〉から続く


 カウンセラーとして夫婦関係の再構築をサポートしている、九州在住の碧子さん(36)。かつては自身も夫のキャバクラ通いや不倫に悩み、離婚を切り出されるも拒否し続けた経験があるという。


 27歳の時に結婚し、夫の実家がある関東で2人暮らしを始めるが、3年後に夫のキャバクラ通いが発覚。泣いて責め続けると、夫は「離婚したい」と言い残して家を出ていってしまったという。そこから、碧子さんにとっては長い苦悩の日々が始まる——。(全3回の2回目/ 続きを読む )


◆◆◆


結婚3年後の別居


 夫は、「落ち着いたら連絡して」と言い残して去った。


 夫と夫の荷物が消え去った家に1人残された碧子さんは、眠れない、食べられない日々が続いた。


 10月に碧子さんの妹の結婚式があったが、夫は姿を見せなかった。


 12月になり、「そろそろ一度話そう」という連絡が夫から入った。


 年末にカフェで会うと、夫の「離婚したい」という気持ちは変わってはいなかった。


 その後は月1回のペースで話し合いの場を設けたが、夫の離婚催促は激しくなる一方。しかし碧子さんは首を縦に振らなかった。


「私たち夫婦は、いつも私が問題提起をしていました。しかし夫はただ謝るばかりで、状況の改善はなされません。このことは『私の意見や気持ちは夫には通じない』という諦めに繋がり、次第に私が一方的に怒るだけのコミュニケーションになっていきました」


 碧子さんと夫は、結婚前提で同棲をし始めた時から家事のことで揉めていた。夫が自発的に家事をすることは料理以外にはなく、中でも、綺麗好きな碧子さんに対し、散らかっていても苦にならない夫との掃除の頻度が最も合わなかった。自ずと碧子さんの家事負担が大きくなり、次第に不満を溜め、夫に文句を言う機会が増えていった。


「私が掃除をお願いすると、夫は毎度低姿勢で『気づかなくてごめん、言われたらできるから言ってね』と言ってくれていました。『そうか、伝えたら良いのか』と理解した私は、お願いするようにしました。しかしほどなくして、それさえも苦痛に感じるようになりました」


 夫に「ゴミを出しておいて」と言うと、夫は「ゴミ出し」はやってくれるが、その前段階の、家中のゴミを集めることや、その後の、ゴミ箱にゴミ袋をセットすることはやってくれなかった。


「家事は“点”で終わりではなく、“流れる”作業です。その上、“お願い”はその1回限りしか効果がなく、翌日や翌週にはしてくれませんでした。なので、私は優しく“お願い”することに疲れ、次第に“注意”になっていきました。さらに、夫は忘れっぽくて、“お願い”しても『後でやる』と言ってやらないことがほとんどでした。だから私は“お願い”も“注意”もしなくなり、ただ私の家事負担が増え、ストレスを溜めていきました」


 満たされない碧子さんは、仕事やお酒にのめり込んでいった。



写真はイメージ ©AFLO


 毎日21〜22時頃まで働き、帰宅後は必ずお酒に手を伸ばした。外で飲んでから帰宅することも多く、帰宅しても玄関やキッチンで倒れ込むように朝まで寝ていることも珍しくなかった。


「私にとって夫は、自慢できる存在でもありました。まだ結婚して2年。家族や友人には幸せエピソードばかり話していたので、夫の評価が下がるような恥ずかしい話をしたくないという気持ちもあり、誰にも相談できずにいました。余計な心配をかけたり、誤解を与えたりしたくなかったのです。また、夫とのことを“悩み”として打ち明けると、自分の中で“悩み”として可視化されてしまうようで、無意識に避けていたのかもしれません」


 しかし夫が出て行ってしまい、さすがに自分一人で抱えきれなくなった碧子さんは、友だちや妹に相談するようになっていった。


最良の妻となるチャンス


 2019年1月。不眠や食欲不振に悩んでいた碧子さんは、心療内科に通い始めるとともに、カウンセリングを受けてみることにした。


「別居当初は心の中がグチャグチャで、怒りと悲しみが心のほとんどをしめていました。カウンセリングでは、自分と向き合い、自分は本当はどうしたかったのか、どう夫に向き合って欲しかったのかを紐解いていきました。すると、夫との関係が崩れるまで私は “怒り” でしか自分の気持ちを表現することができませんでしたが、夫の気持ちを受け止めつつ、自分の思いも伝えていく……という方法を学び、少しずつ実践していけるようになりました」


 3月から5月。碧子さんの、「夫の気持ちを受け止めつつ、自分の思いも伝えていく」というコミュニケーション方法が功を奏したのか、会うたびに夫の態度が和らいできた。


 しかし6月。「今だ!」とばかりに心からの謝罪をし始めた碧子さんに対し、夫は「来月会ったときに離婚に同意しない場合は離婚調停だ!」と激しく怒り、拒絶。


 7月。4回目の結婚記念日を迎えたが、夫からは「どうせ同意しないんだろ? 離婚調停するぞ」と言われる。


 碧子さんは、


「もう一度、あなたにとって最良の妻となるチャンスをください!」


 と頭を下げた。


半年婚の始まりと終わり


 すると夫はしばらく考えた後、以下の条件を出した。


・2020年1月31日まで、まだ離婚に同意してほしいという前提で同居する。半年経っても俺が無理だったら、すぐ離婚に同意してほしい


・上記の場合は、3月末までに出て行ってほしい


・その間、良い夫ではいないと思うが、理解してほしい


・家賃・生活費は折半(これまでは全て夫だった)


・出て行く時のために、毎月2万・冬のボーナスは半分貯金すること


 全てを飲んで、碧子さんは再同居を選んだ。


 再同居後の碧子さんは、夫の気持ちを受け止め続けた。時には夫のひどい言葉や誤解に憤り、反論してしまったこともあったが、ひたすら傾聴することに努めた。


 最初こそお互いに気まずい空気が漂っていたものの、次第に元通りの2人になっていく。


 しかし相変わらず夫はキャバクラに通い、平日は毎晩のように飲み歩いていた。


 2019年12月。碧子さんの73歳になる父親が、「ステージ2の肺がん」と診断され、抗がん剤治療を始めるという連絡があった。


 2020年1月。夫の浮気発覚。月に何度かある福岡出張は、仕事だけではなかったようだ。


 だが碧子さんは、不倫を追及しないことに決め、がん闘病中の父親とそれを支える母親が心配で実家に帰省した。


 そして約束の2020年1月31日を過ぎた2月2日。夫はこう言った。


「やっぱり俺の気持ちは変わらない。離婚したいと思っている。キミは変わった。でも、妻としては選べない」


 これまで頑なに離婚を拒んでいた碧子さんは、初めて離婚を受け入れた。すると夫はこう言った。


「この半年があって良かった。最初は何としてでも別れたいという思いで再同居した。でも今は怒りも恨みもなく感謝しかない。今日はきちんと俺の気持ちを伝えたかった」


 2人とも泣いた。


夫婦カウンセリング


 夫から再び離婚を求められ、碧子さんはそれを受け入れた。それでも、その後も「離婚する」「離婚を拒否する」の間で心が揺れ続けた。


 そこで碧子さんは、かねてから気になっていた「夫婦カウンセリング」を、意を決して夫に提案する。すると思いの外夫はそれを受け入れ、2人で受けてみることになった。


「心療内科で受けた認知行動療法は確かに有益でしたが、私の目下の悩みは『夫とのコミュニケーションの取り方』でした。なので何人かの夫婦修復カウンセラーにかかりました。夫が起こす日々の出来事に、どういう心持ちで、どう対処していくのかということを教えてもらいました」


 同じ2月の下旬。碧子さんは夫のスマホを見てしまい、夫が独身だと偽って不倫していたことを知る。


 その後、帰省する予定が入っていた碧子さんは九州に向かったが、実家に滞在中もそのことで頭がいっぱいだった。


 戻ってきた碧子さんは、さすがに我慢ができず、不倫のことで夫を責めた。だが、夫婦カウンセリングの効果なのか、予想に反して夫は素直に謝罪し、碧子さんに「3月までに出て行ってほしいと言ったけど、出て行かなくていい」と言い出した。


「私の大きな問題点は、怒りをコントロールしきれないことにあり、私がイライラしていた原因は夫だけではなく、仕事にもありました。仕事のストレスで中途覚醒気味になり、2〜3時間くらいしか眠れなくなった頃もありました。夫は私の怒りやストレスをぶつけるサンドバッグ状態になってしまっていたのです。夫に離婚を告げられてから、私はこの問題が、これまでの私の人生も破壊してきたのだと自覚しました。このパターンを断ち切るために、カウンセリングを受け、自分自身と向き合い、自分の行動修正をひたすら行なってきました」


 “夫婦は鏡”と言われるが、碧子さんが夫に対し、頻繁に怒りを露わにしていたため、夫も条件反射的に怒りで対処するようになっていった。しかしカウンセリングを受け、碧子さんが怒りのコントロールができるようになってくると、夫は、碧子さんが向けてきたその時その時の気持ちに対処するようになっていった。


「あなたを愛してるかわからない。それでも離婚はしない」


 6月。肺がん闘病中の父親が亡くなった。73歳だった。


 その約3ヶ月後の9月。前編の冒頭の出来事が起こる。


 久々に夫から離婚を切り出されるが、碧子さんは拒絶。


 何とか持ち直すも、2021年1月、夫の様子がおかしい。


 よそよそしい対応を続ける夫に、苛立った碧子さんは感情を爆発させてしまった。


「私、何も悪いことしてないのに、何でこんなに塩対応されなきゃいけないの?」


 すると夫は申し訳なさそうに言った。


「今すぐ離婚したいとかじゃない。ただ、このまま夫婦生活を続けるのに違和感があった。こういう話をしようとするとすぐに離婚の話になるし、もめるのが嫌だから黙ることしかできなかった。俺は、たまには俺の気持ちを聞いて欲しいだけなんだ!」


 しかし碧子さんは収まらず、怒り心頭に達する。


「気持ちって、ここまできて離婚なんてマジあり得ないから! こんなところでつまずいてどうすんだよ? さっさと心決めて夫婦として再起動するんだよ!」


 すっかり戦闘態勢の碧子さんに対し、夫は冷静に努めていた。


「離婚するもしないも抜きにして、俺はただ今後のことを、2人できちんと話をしていけるようになりたいんだよ」


 最初に別居してから約2年半、碧子さんは離婚危機に慄き続け、日常生活を脅かされるほどに苦悩させられてきたトラウマから、夫から久しぶりに発せられた「離婚」という言葉に過剰反応してしまったのだ。


「ここまで夫婦として修復してこれたのに、まだ離婚なんて言ってるの?!」


 冷静に努めているように見える夫も、碧子さんの置かれている状況や気持ちまでは理解できていなかったのかもしれない。お互いがひたすら自分の要望を繰り返し、会話が噛み合わない。


「碧子が『絶対離婚しない』という度に俺の気持ちが置いていかれているみたいで辛くなる。離婚したいとかしたくないとかそういうんじゃなくて、たまには俺の話を聞いて欲しい!」


 何度も「離婚」という言葉を口にする夫に、碧子さんは泣き叫んだ。


「あなたを愛してるかわからない。それでも離婚はしない。それが私の価値観なの! 私は私の価値観を信じて生きていくの!」


 2人は日付が変わるまで口論をし続けた。

〈 結婚7年、夫の不倫や10ヶ月の別居にも耐え続けたが…妻が「どうしても離婚したくない」→「もう一緒にいられない」と考えを変えた“大きなきっかけ” 〉へ続く


(旦木 瑞穂)

文春オンライン

「離婚」をもっと詳しく

「離婚」のニュース

「離婚」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ