結婚7年、夫の不倫や10ヶ月の別居にも耐え続けたが…妻が「どうしても離婚したくない」→「もう一緒にいられない」と考えを変えた“大きなきっかけ”

2025年5月17日(土)12時0分 文春オンライン

〈 夫のキャバクラ通いを責めたら離婚を迫られ…「チャンスをください!」妻側が頭を下げて再スタートした“半年限定夫婦生活”の始まりと終わり 〉から続く


 カウンセラーとして夫婦関係の再構築をサポートしている、九州在住の碧子さん(36)。かつては自身も夫のキャバクラ通いや不倫に悩み、離婚を切り出されるも拒否し続けた経験があるという。


「離婚したい」と言い残して出ていった夫を説得し、10ヶ月間の別居期間を経て再び彼と一緒に暮らすようになった碧子さんだったが、夫の様子がおかしい。「このまま夫婦生活を続けるのに違和感がある」と説明する夫に碧子さんも怒りを爆発させ、そのまま大喧嘩になってしまったという。


 夫の気持ち、そして碧子さんの本当の気持ちとは? 家庭がうまくいかない理由のひとつは、幼少期に身につけた価値観にあった——。(全3回の3回目/ 最初から読む )


◆◆◆


「別居婚」


 2021年1月の大喧嘩は、日付が変わるまで続いた。


 ところが夫の一言で状況が一変する。


「また夫婦カウンセリングを受けに行かない? 俺はただ、将来に向かって、碧子ときちんと話ができるようになりたいんだ」


「ハッとしました。彼は私との関係を拒否しているのではなく、本当に私と向き合おうとしてくれているんだと気づいたのです。私はただ、『離婚』という最悪な一言に対峙したくなくて、私の方が彼に向き合っていなかったのかもしれません」


 そう気づいた碧子さんは、「カウンセリング受けようって言ってくれて、ありがとう」という言葉が自然に口から出ていた。


 2人はお互いの将来について、前向きな話ができるようになっていった。


 将来の話のうちの1つが、「別居婚」だ。


 父親が亡くなってからというもの、碧子さんは気落ちした母親が心配でならなかった。ちょうど勤めていた会社で将来のビジョンが描けなくなっていた碧子さんは、実家のある福岡に戻って転職することを決意。


 夫に話してみると、


「いいじゃん!」


 と即答された。


「この話をすることで、私はまた夫が『離婚』を持ち出すのではないかという不安を感じていました。でも心配無用でした。夫は私たちの将来について考えた上で応援してくれました」


 夫は「福岡出張の時は、できる限り碧子の実家に泊まるようにする」と言ってくれた。


 2021年2月。碧子さんは福岡の実家に移り、別居婚生活が始まった。


「この人とはもう、一緒にはいられない」


 2022年5月。33歳の碧子さんは、夫に誘われてイタリアンレストランに来ていた。


 しかし自分でも不思議なほどテンションが上がらない。お酒が好きな碧子さんだが、その日はノンアルコールドリンクを選択していた。


 そして飲み物が供されると、2人で乾杯する。


 次の瞬間、碧子さんは無意識にこう口にしていた。


「私、あなたともう、一緒にいられるかわからない」


 そう口にした碧子さんは、自分の心の中にあるモヤモヤが明確になった気がした。「この人とはもう、一緒にはいられない」という言葉が浮かび、これまでと一転、「離婚」という決断がすうっと自分に馴染んだのだ。


「私は今まで、夫婦仲が改善しない原因は、外面では夫のせいにして、夫にも『お前のせいだ』って言っていましたが、本当はずっと『自分が悪いんだ』『私の努力が足りないからだ』って自分のことを責めて、すごく苦しんでいました。でも、風俗や不倫など、度重なる夫の女性遊びに直面してきて、やっと『これは彼自身の問題だ』ということが分かったのです」


 なんと夫は別居婚生活の間にまた「独身」と偽り、マッチングアプリに登録していたのだ。


 碧子さんは彼を尊敬していた。結婚してからは、碧子さんが長年どう接して良いかわからなかった父親との間に立ち、仲を取り持ってくれた。彼に対して、心から感謝していたし、家族にも友人にも自慢の夫だった。だから「自分が悪い」と考え、自分を変える努力をしてきた。


 しかし結婚してから約7年。自分を変える努力の結果、「自分を責める自分」を否定できるようになっていた。


「女性問題が発覚するたび、何度も自分自身に『この人でいいの?』って問いかけてきましたが、いつも『この人を選んだのは私だから、私の選択を正解にしなくては』という気持ちがありました。でももう、彼を選び続けることはできません。私が本当の意味で幸せになることの妨げになる夫なんて、私には必要ないと思いました」


 離婚を告げられた夫は「別れたくない」と拒絶したが、半年ほど協議を重ねた末、2023年3月に離婚が成立した。



画像はイメージ ©AFLO


祖母から続く影響


 離婚後、碧子さんは新しいパートナーと出会い、2023年8月にプロポーズを受け、12月に再婚した。2024年5月に男の子を出産し、現在は初めての子育てに取り組んでいる。


 元夫と離婚して約2年あまり。夫から離婚を切り出されてから約4年もの間、碧子さんは離婚を拒否してきた。元夫がキャバクラやデリヘルなどの風俗を頻繁に利用しても、独身と偽ってマッチングアプリや不倫をしても、頑なに離婚を拒絶してきたのはなぜだったのだろうか。


「離婚後に気づきましたが、おそらく私には同居していた父方の祖母の価値観が無意識に備わっており、『結婚生活は継続しなければならない』という考え方がとても強かったのです。理由は分かりませんが、祖母は結婚後、すぐに祖父とは別居状態になったようです。でも死ぬまで離婚は選びませんでした。祖母は母に『色々と複雑にしたくなかったのよ』と話しており、言葉の真意は想像するしかないのですが、母曰く、『戸籍を複雑にしたくなかったのであろう』ということでした。また、祖母からは『家系を大切にしなさい』という話を子どもの頃から聞かされていました。私が再婚して、生まれ育った家の姓を継ごうと思ったことも、祖母の影響が強いです」


 それは、碧子さんの母親も同じだった。「THE九州男児」の父親は自分がルールで、気に入らないことがあると、すぐに声を荒らげたり物を壊したりした。身勝手な父から雑な扱いを受けてきた母親だったが、何があっても離婚だけは選ばなかった。


「『戸籍を複雑にしたくなかった』という祖母の気持ちは、母もすごく理解できると言っていました。父に対して相当な我慢をしていたと思いますが、母が最後まで結婚生活を守ったことも、やはり無意識ですが、私に強い影響を及ぼしていると思います。今振り返れば、そもそも元夫のお酒への逃げ癖や、私の怒りコミュニケーションという問題は、結婚前からあった問題なので、『離婚しても変わらない』と思っていたことも理由の一つです。自分が変わらない限り何も変わらないのであれば、『今は離婚という大きな決断をするべきではない』と思っていました」


 碧子さんが離婚できなかったのは、祖母や母親の「結婚観」が深く根付いていたことも理由の一つであることは確かだが、筆者は共依存もあったのではないかと考える。


 共依存とは、自分と特定の相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態を指す。


「離婚しない」と頑なになっていた碧子さんや母親、祖母は、相手との関係が途絶えることを恐れ、相手の行動や問題を自分の責任として捉え、自分を犠牲にしてでも婚姻関係を継続したいように感じたのではないか。


 このことを碧子さんに伝えると、こう答えた。


「そうですね、私は元夫に依存していました。今でも今の夫に依存していると感じることが多々あります。以前は『誰か(夫)が私を幸せにしてくれる』という考えが根本にありました。『結婚していないと』『夫がいないと』=『私は不幸になる』という認知があり、それにしがみついていたのです」


 碧子さんは、「THE九州男児」の父親から暴力や暴言などの虐待を受けていた。にもかかわらず、母親や祖母など、身近な親しい大人から庇ってもらえることは少なかった。しかも父親の虐待は碧子さんに対してのみで、妹にはなかったという。


「父にとっては、いつでも自分が正しく、他人は間違っていました。正しい自分の話をなぜ周りは聞かないのか……。そういう憤りが、強い言葉使いによる他人へのコントロールにつながっていたのだと思います。そんな中、私は真っ向から父に反抗する性格だったため、父は私の中に、父自身の姿を投影したのかもしれません。妹はそんな姉を見ながら育ち、上手に立ち回っていたため、父に虐待される対象にはならなかったのだと思います」


 碧子さんの大人への不信感や自己肯定感の低さは、このために培われたのだと想像する。中学3年生の時に不登校になり、家出をした時は、自己肯定感の低さゆえに自分を大切にできず、自暴自棄になり、明け方まで公園で過ごしたこともあった。


「ハラスメントの連鎖」は止められる


 やがて結婚した碧子さんは、自分の両親と同じような家庭を築いてしまった。「自慢の夫」と周囲に話し、当初は夫を尊敬していたが、結婚前に借金していた夫の金銭感覚のルーズさや、何度言っても片付けや掃除ができないことなどから、だんだん無意識に夫を見下すようになっていった。仕事などでストレスが溜まると、すぐにイライラして夫に「なんでできないの?」と詰め寄ったり、普段から「あれやって!」「これやって!」と命令口調で指図するようになり、まさに“家庭内ハラスメント”が横行する。碧子さんは、家出をするほど悩み、嫌っていた、自分の父親のようになってしまっていたのだ。


 しかし元夫が離婚を切り出したことがきっかけで、碧子さんは自分自身と深く向き合い始めた。


「祖母や母の影響で『離婚=不幸』の方程式に無意識に従っていた私は、自分の本音を探るとともに、その方程式が本当に正しいのかということを検証し続けました。具体的には、私はどのように生きていきたいのか。どういうパートナーと、どういうパートナーシップを築きたいのか。それは元夫が相手で叶えられることなのか……。そういったことを何年も繰り返し自分に問い続けるうちに、『誰かが私を幸せにしてくれる』生き方から、『自分を幸せにすることは自分にしかできない』生き方にシフトしていき、その結果、元夫との離婚を選択するに至りました」


 自身の努力やカウンセラーのアドバイスなどから、自己肯定感を回復させた碧子さんは、ありのままの自分を受け入れ、好きになることができた。現在は、そんな自分で選んだ夫と本音で暮らしている。


「もちろん現在の夫と喧嘩になることはあります。お互い課題がありますが、大抵私の場合は、怒りを出し過ぎたり、相手を思い通りにコントロールしたくなったりという昔からの課題です。そんなとき、私も夫も再婚同士なので、『自分の課題のせいでまた離婚してしまうかも』という恐怖に襲われます。でも1度目の結婚ではできなかったことや後悔、残されている課題や傷、それら全てをクリアして、もっと幸せになるチャンスを与えられたのだと、前向きに考えるようにしています」


 自分を見つめ、分析できるようになった碧子さんは、今後も反省と改善を繰り返し、少しずつ自分の取り扱い説明書を作り上げていくのだろう。ハラスメントの連鎖を止めるには、自分の取り扱い説明書を作成し、日々更新し続けることが必要不可欠だ。


(旦木 瑞穂)

文春オンライン

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