「うちの母、すげえ尻軽なんです」毎朝、部屋には母と性行為した“全裸男性”が…小学生時代から「借金取り」と「性犯罪」に追われた“ヤクザの子”の壮絶半生
2025年5月18日(日)18時0分 文春オンライン
〈 13歳少女の「覚醒剤人生」は、“密売所”でセックスに溺れる“クスリ漬けの母”のせいで始まった…“ヤクザの子”が振り返る「衝撃人生」 〉から続く
国家から「反社会的組織」と定義されている暴力団。その構成員や準構成員の家族、とりわけ子どもはどのような人生を過ごし、大人になっていくのか。『 ヤクザの子 』(石井 光太著、新潮社)から一部抜粋してお届けする。なお、登場する証言者やその関係者は、身に危険が及ぶことを考慮して全て仮名にしている。(全3回の1回目/ 2回目を読む / 3回目を読む )
◆◆◆
河野晴子(こうの はるこ)の人生は、20年以上もの間、覚醒剤によって翻弄されてきた。父親、母親、夫、周りにいる全員が覚醒剤によって生活を狂わされ、晴子自身の人生も破綻したのである。
1985年、晴子は神奈川県横浜市で生まれた。母親にとっては3番目の子供だったが、上の姉と兄は父親が違った。母親は最初の夫との間に姉兄をもうけ、2番目の夫である河野竜司(りゅうじ)との間に晴子を産んだのだ。

この再婚相手の竜司が、指定暴力団山口組3次団体の構成員だった。九州で生まれ育った竜司は、中学卒業後に大阪に出て、山口組の傘下組織の親分の盃を受けて暴力団の世界に足を踏み入れた。やがてこの傘下組織が関東に進出することになり、竜司も親分について行った。
横浜市内に組事務所が置かれたことで、竜司は近所にあるクラブへよく通った。そこでホステスとして働いていたのが、晴子の母親である友理(ゆり)だった。彼女は長女と長男を前夫に引き取らせていたことから独り身だった。竜司のことを暴力団構成員だと知っていたが、豪奢なところにほれて結婚。そうして生まれたのが晴子だった。
母は尻軽で、男と出会えばすぐに「体の関係」になった
結婚生活は3年ほどで壊れた。後で聞いた話では、新婚と同時に竜司の家庭内暴力がはじまったそうだ。家には1円も金を入れず、毎晩のように泥酔して帰って来ては、理由もなく家族に対して殴る蹴るの暴行を加える。暴力は幼い晴子にまで及んだ。
晴子が3歳の年、母親の友理は晴子を抱いて家から逃げ出し、東京の大田区のアパートに移り住んだ。竜司と縁を切って、一から人生を再スタートさせたのだ。昼は保険の外交員として働き、夜はスナックのホステスをやって生計を立てた。
大田区のアパートでの生活は、晴子にとって決して良い思い出ではなかった。彼女は語る。
「うちの母さんは、目先の欲望しか考えないような、すげえ尻の軽い女なんです。昼の仕事でも、夜の仕事でも、男と出会えばすぐに飲みに行って体の関係になる。外でやってるならまだしも、しょっちゅうアパートに連れ込んで来るんですよ。
私の子供の頃の記憶って、朝になって起きたら、見ず知らずの男が全裸で寝ているってもの。しかも、毎回相手の男が違うんだよね。母さんも普通に『あ、おはよう』なんて言ってくる。娘の気持ちなんて何にも考えてなかった。
きっとヤクザの父と結婚した時もそんな感じだったと思います。店で知り合って、あっという間に体の関係になって、そのまま妊娠したか、同棲したかで生まれたのが私。それで、うまくいかなかったから逃げ出して、また同じように男を貪り食ってたんでしょう」
晴子が友理をここまで悪く言う背景には、さんざん振り回されてきたという被害感情がある。友理は非常に情緒が不安定で、感情のコントロールをすることができなかったそうだ。
「借金返さねえと殺すぞ!」
たとえば、何か気に入らないことがあれば、顔を真っ赤にして怒りだし、その理由も説明せずに、晴子に対して手を上げる。殴られたり、物を投げつけられたりするのはいい方で、物をつかって流血するまで痛めつけられることもあった。晴子からすれば、いつ激昂するかもしれない母親との同居生活は、猛獣と暮らしているような思いだっただろう。
また、経済的にも生活が成り立たないと感じるほどに貧しかった。アパートには風呂がついていないのに、友理は酒を飲んでばかりで娘を銭湯に連れて行こうともしない。そのため、部屋の台所で体を拭くことしかできず、皮膚の病気に悩まされた。服もボロボロでサイズの合わないものが2、3着あるだけで、学校では常に恥ずかしい思いをしていた。誕生日やクリスマスの御祝いもなかったので、小学2〜3年生になるまでケーキを見たことさえなかったという。
小学2年の時、そんな友理が3度目の結婚をする。相手は、同じく夜の店で知り合ったトラック運転手だった。朝起きたら何度か布団で寝ていたことがあったので顔は知っていたが、ある日突然母親から「新しいパパになる」と言われたのだ。驚きより、これでようやく家に出入りする男が1人で済むようになるという安堵の方が大きかった。
だが、三度目の結婚生活も、ひどくみじめなものだった。新しい夫は結婚して間もなく、運転手の仕事を失う。次の仕事を探すことなく飲み歩くので、借金だけがどんどん膨らんでいき、気がついた時には、アパートに借金取りが押しかけて来るようになった。
「ドアを開けろ! 借金返さねえと殺すぞ!」
毎日のようにドアの前では、借金取りのいかつい怒声が響く。
家にも学校にも居場所はなく、野外にいると性犯罪に巻き込まれた
両親は居留守をつかっているので、晴子がドア越しに「お父さんとお母さんは仕事に行ってます」と嘘をつかなければならなかった。それでも、新しい夫は生活態度を改めようとせず、どこからか金を借りて来ては昼間から飲み歩く。酒癖も悪く、千鳥足でアパートに帰っては、家族に悪態をつく日々だった。
晴子は言う。
「毎晩、目の前で見せつけられる夫婦喧嘩が本当にうんざりでした。2人ともバカみたいに叫んだり、殴り合ったりするんだけど、小さな私は泣くしかないじゃん。そしたら、今度は『うるせえ』って私まで殴られるんだから。
再婚によってますます貧乏になっていったな。母さん1人の時は単に貧乏ってだけで済んだけど、再婚してからは借金取りが来るようになったから恐怖まで加わった。いつ何時来るかわからないから、常に怯えていた感じです。
あと、空腹がつらかった。家でご飯をつくってもらえないので、給食でお腹を満たすしかなかったんだけど、母さん、給食費を払ってくれなかったんです。ある日、担任の先生にクラスのみんなの前で立たされて、『おまえは給食費を払ってないから、給食を食べる資格はないぞ』って言われた。それからかな、同級生から『ボンビー』『臭い』って言われだして、いじめが本格的にはじまったのは。それでだんだんと学校へ行かなくなった」
家では借金取りと夫婦喧嘩に翻弄され、学校ではいじめに遭う。そんな彼女が、朝から晩まで街を行くあてもなく徘徊するようになったのは必然だった。だが、小学生の女の子が無防備で野外にいれば、悪い大人に目を付けられることもある。そのせいで、彼女は10歳までに二度にわたって性犯罪に巻き込まれた。最初は、道を歩いていた時、見ず知らずの男が近寄って来て、親しげに言った。
「僕は、この近くの学校で先生をしているんだ。今、あるお家を捜している。この辺に詳しくないから一緒に来て道を教えてくれないかな」
〈 《小学生女児を襲った残忍手口》「ちょっと脱ごうね」「女の子の力が必要なんだよ」家にも学校にも居場所のない“ヤクザの子”を襲った残酷すぎる「二度のレイプ」 〉へ続く
(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))
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