「患者のリアクションが面白くてやった」「先輩もやってるし、いいかと安易に思った」…障害者施設入所者を暴行した看護師たちの“信じられない言い訳”
2025年5月23日(金)7時0分 文春オンライン
〈 「加害者はみんなヒョロッとした青年」男性患者同士にキスをさせたり、逆さにしたベッドで患者を監禁したり…神戸の病院で起きていた“虐待事件”を引き起こした男の“意外な正体” 〉から続く
精神科病院、知的障害者支援施設で行われてきた世にも信じがたい暴行事件。日本ではどのような惨状が起きてきたのか。そして、こうした日本の障害者施策の暗部を国際社会はどう見てきたのか。
ノンフィクション作家の織田淳太郎氏による『 知的障害者施設 潜入記 』(光文社新書)の一部を抜粋し、紹介する。(全4回の4回目/ はじめから読む )
◆◆◆
精神科病院をめぐる陰惨な事件
その腐敗の象徴となったのが、多くの死傷者を出した「宇都宮病院事件」や「大和川病院事件」などである。なかでも1984年(昭和59年)3月に発覚した宇都宮病院事件は、驚愕の一語に尽きた。
同病院の職員は入院者に絶対的な権力を振るい、少しでも反抗する者に対しては、木刀や椅子で殴りつけるなど、容赦のないリンチを加えた。
1983年(昭和58年)4月、食事の内容に不満を漏らした長期入院者を、複数の看護人が約20分にわたって鉄パイプで乱打した。4時間後、入院者は死亡した。それから8ヶ月後の同年12月には、面会人に処遇のひどさを訴えた入院者が、看護人から殴る蹴るの暴行を受け、これも死亡した。これらの死亡・傷害事件は、同院によって隠蔽され続けた。
事件発覚までの3年余で、院内死した入院者は、実に200人以上に及んだ。すべてがリンチ死ではなかったにせよ、この異常なまでの死亡者数は、同病院が衛生面その他の諸待遇において、いかに劣悪な環境にあったかを如実に物語る。
死亡した患者に対しては、看護長やケースワーカーらによる無資格死体解剖も日常的に行なわれていた。

「先輩も(虐待を)やってるし、いいかと安易に思った」
この宇都宮病院事件の発覚後、精神科病院における暴力行為は減少していったと言われる。しかし、虐待が根絶されたわけではなく、「内なる差別」はその後も形を変えて新たな虐待を生み出した。
障害者虐待防止法の施行から8年後の2020年3月、神戸市の単科の精神科病院「神出病院」で3人の入院者に対する虐待事件が発覚した。加害者は6人の看護師などで、男性患者同士で性器をくわえさせたり、体に塗ったジャムを舐なめさせたりのわいせつ行為の強要をくり返した。また、落下防止柵ベッドを逆さまに患者にかぶせ、放置するなどの監禁行為にも走っている。
こうした虐待は映像としてスマホに残され、看護師同士で共有されていた。「患者のリアクションが面白くてやった」。これが犯行の動機だったが、加害者の一人がいみじくも「先輩も(虐待を)やってるし、いいかと安易に思った」と証言しているように、ここでも精神障害者に対する「内なる差別」が、体質的に受け継がれていたことがわかる。
虐待の温床と化した実態を映し出したNHKのルポ
2023年2月25日、その「内なる差別」が映像として大々的に世間の目に触れた。NHKのETV特集「ルポ 死亡退院〜精神医療・闇の実態〜」がそれである。
舞台となった八王子市の滝山病院は、人工透析治療を施す数少ない精神科病院の一つだった。そのため合併症を抱える精神・知的障害者の多くが自治体などの紹介で入院していたが、内部告発や音声記録で構成されるその映像には、看護師による暴行・暴言や法律を無視した身体拘束といった、まさに虐待の温床と化した実態が生々しく映し出された。
過去10年の退院者は1498人。その78パーセントに当たる1174人が、「死亡による退院」だったことも判明した。入院者の支援に当たる弁護士と患者の音声記録からは、患者のこんな切ない訴えも流れた。
「僕はこのまま(家に)帰りたいです。(病室に)帰ったら殺されちゃいますよ」
この患者はそれからまもなく亡くなった(死亡診断名は「急性心不全」)。家族に宛てた助けを求める手紙も、投函されることなく、カルテに挟まったままだったという。
〈イジメにあっております。いま精神的にはとてもしんどいです。助けて下さい〉
知的障害者施設をめぐる事件
以上のような虐待は、精神科病院内だけの話ではない。前記した「カリタスの家事件」が物語るように、知的障害者施設においても、これまで数え切れないほどの虐待が発覚してきた。
その一部を列挙すると——。
1969年(昭和44年)5月、児童を劣悪な環境に置き続けたとして、八王子市の知的障害児入所施設「中央学院」の院長が逮捕された。子供たちに早朝からクズ拾いの仕事をさせ、居酒屋に住み込みで働かせただけではない。重病の少女を医師に診せることなく酷使し、結果的に死に至らせている。この事件を報道した東京新聞の紙面には「鬼畜の院長、地獄の施設」の大見出しが躍った。
1995年には茨城県水戸市の段ボール加工会社「(有)アカス紙器」の社長が、障害者雇用の助成金を不正に受給している詐欺容疑をかけられた。その近辺調査で表面化してきたのが、従業員である知的障害者に対する恒常的な虐待行為だった。角材やバットでの殴打。漬物石を膝に置かれた状態での長時間正座の拷問。さらには、知的障害を抱える女性従業員への性的暴行も頻繁に行なわれ、その被害者は複数人に及んだ。
その2年後の1997年夏、福島県白河市の入所施設「白河育成園」で、入所者が理事長の度重なる暴力や性的被害を受けてきたことが明るみに出た。さらに、嘱託医に無断で入所者に大量の向精神薬を服用させていたことも発覚し、白河育成園は全国初となる自主廃園に追い込まれた。
2005年4月には、山口県宇部市の入所施設「うべくるみ園」で、複数の職員による入所者への度重なる虐待が明るみに出た。ターゲットにされたのは重度の知的障害者で、殴る蹴るの暴行を受けただけでなく、真冬日に冷水も浴びせられた。その入所者は黒い羽根に異様な恐怖心を抱き、それが目に付くたびにパニック状態に陥った。職員は彼に黒い羽根を近づけると、パニックになったその姿を見ては、笑い転げていた……。
「津久井やまゆり園事件」
以上のような知的障害者施設での虐待が次々と白日の下に晒されるなか、2016年7月26日の未明、日本中を震撼させる凄惨な事件が起こった。19人の入所者が刺殺され、職員2人を含む26人が重軽傷を負った「相模原障害者施設殺傷事件」、通称「津久井やまゆり園事件」である。
犯行に走ったのは、元職員の植松聖(死刑確定)。彼は同園への入職当初こそ「障害者は可愛い」「この仕事は天職」などと知人に話していたという。それが、街から離れたこの閉鎖空間での職歴を積んでいくうちに、「障害者は人間扱いされていない。可哀想だ」との想いに駆られ、さらに「意思疎通が図れない人間は、安楽死させるべきだ」という歪んだ観念に支配されていく。
2016年2月、勤務中に同様の発言をしたことから「ナチス・ドイツの考えと同じだ」との施設側の注意を受けたが、植松のような凶行に走らないまでも、こうした「内なる差別」を密かに抱く者が、植松以外にも存在しないわけではない。
全国手をつなぐ育成会連合会の佐々木桃子会長(前出)は言う。
「津久井やまゆり園事件が起きたときは、うちでも声明文を出しました。『障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です』。こんな内容の声明文で、多くの方から賛同のメールや電話をいただきました。しかし、一方では『とんでもないことを言うな』などという批判のメールが多数あったことも事実です」
障害者権利条約の批准からわずか2年。殺人事件として戦後最悪の犠牲者を出したこの「津久井やまゆり園事件」は、私たちの胸の奥に潜む差別的な考えや優生的な想いに、容赦のない問いかけを発する。「自分は植松と違う人間なのだと、はっきり言い切れるのか」——と。
そして、こうした自身に対する内省的な問いかけがおざなりにされたとき、新たな虐待の芽が育まれる可能性が生まれる。
「中井やまゆり園」の虐待事件
その懸念は様々な形を成して、次々と表面化した。津久井やまゆり園事件の惨劇から7年後の2023年5月、神奈川県の「中井やまゆり園」の虐待が大々的に報じられた(虐待疑惑報道は2021年からあった)。
前記の「津久井やまゆり園」と施設名は同じだが、前者が指定管理者制度によって神奈川県下の社会福祉法人が運営する施設であるのに対して、この「中井やまゆり園」は神奈川県の直営による法人である。
非常勤47名を含む193名の県職員が働く「中井やまゆり園」で何が行なわれたのか。第三者委員会の調査で「虐待の疑いがある」と指摘された25件のなかには、入所者に対する平手打ちや殴打以外にも、次のようなものが確認された。
20時間を超す居室施錠(部屋の外側からの施錠)。その状態に10年以上も置かれてきた入所者。鎖骨を折った入所者。肛門に直径2センチのナットを埋め込まれた入所者。頭に剃り込みを入れられた入所者……等々。
前出の植松聖が犯行前に衆議院議長に宛てた手紙のなかに、「施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」という表現があった。この中井やまゆり園でも「生気の欠けた職員」が、日常的なストレスや苛立ちを弱者に向け、虐待に走っていたのか。
そして、2024年7月には、京都市のクリーニング店に勤務する知的障害のある男性が、同僚男性2人に「お前、臭いねん」と大型洗濯機のなかに放り込まれた上、それを稼働させられたことで全身打撲の大怪我を負うという事件が発覚している。
条約の趣旨をまったく無視した的外れな答弁
こうした日本の障害者施策の暗部を国際社会はどう見てきたのか。
すでに書いたように、日本は2014年、国連の障害者権利条約を批准した。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」を合言葉とするこの条約を、日本がいかに遵守してきたか。
2022年8月、国連の障害者権利委員会によってそれが審査された。日本政府と内閣府の障害者政策委員会は、それに先立って同権利委員会に報告書を提出。障害者団体や日弁連なども「パラレルレポート」を作成し、いまだ残る課題や改善点を同じく提出していた。
その内容のすべてに目を通した18名の同権利委員会の委員は、「虐待はどこまで防止できているか」「障害者の雇用はどこまで進んでいるか」「女性の権利は守られているか」などの質問を用意し、政府がそれに回答するという形式を取った。
しかし、同権利条約第19条の「自立した生活及び地域社会への包容」を見据えた質問に対する厚労省の答弁は、周囲の失笑を買った。
「日本の施設は高い塀や鉄の扉で囲まれていません。桜を施設の外や中で楽しむ方もいます」
この的外れな答弁は、条約の趣旨をまったく無視したものだった。
「日本政府のみなさんは恥ずかしくないのですか」
同19条の(a)項には、こう明記されている。
〈障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと〉
たとえば、日本の精神科病院の入院者数。2022年現在、その数は約29万人と世界でも突出して多い。平均在院日数も277日と、OECD加盟国(38カ国中27カ国)の32日と比べて異様な数字である。
藤井克徳さん(編集部注:日本障害者協議会代表)が代表を務める日本障害者協議会が2022年8月に公表した調査でも、OECD加盟国(38カ国中36カ国)のなかで、実に37パーセントもの精神科病床が日本に集中していることがわかった(推定精神科病床数32万4195。人口1000人当たりの精神科病床数2.57)。
一方、入所施設で暮らす障害者の地域移行も、遅々として進まない。
前述のように、2019年にグループホーム入居者数が入所施設の入所者数を12万人台後半で辛うじて上回ったものの、それ以降は動きの鈍化が始まり、入所施設の入所者数は2022年現在、横ばい状態の約12万7000人。しかも、障害者権利条約批准後に起こった津久井やまゆり園事件を始めとする陰惨な虐待事件の数々。施設の内外でいくら花見を楽しもうと、同権利委員会の心証が好転する要素は何もなかった。
同権利委員会のキム・ミヨン副議長は、同審査会の締めくくりの挨拶で「パラレルレポートが示す実情と政府報告書に大きなギャップが見られる」と述べたが、途中から涙声に変わり、日本政府にこんな言葉を投げつけた。
「こんなにも真剣なパラレルレポート、そして日本からの大勢の傍聴者の前で、日本政府のみなさんは恥ずかしくないのですか」
(織田 淳太郎/Webオリジナル(外部転載))
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