合宿、遠征、キャンプ…「子どもが複数でも安全とは限らない」集団の性被害が起きてしまう意外な要因
2025年2月19日(水)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thai Liang Lim
※本稿は、櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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■「部屋、使っていいよ」
子ども:ウチの親、仲悪いんだ
加害者:そうなんだ。家にいるのがいやなの?
子ども:うん。あんまり家にいたくない
加害者:だったら仕事に行ってる間はおれの部屋、使っていいよ
■ほかの大人の目に触れない状況を作る
前のシーン(第2回)では、周囲との切り離しの中でも、関係性からの切り離しについてお伝えしました。ここでは、物理的な状況からの切り離しの手口について説明していきたいと思います。
櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)より
ちなみに、感覚をしゃ断されるような環境(かんきょう)に置かれると、人の思考の働きはにぶくなると言われています。物理的に切り離されて特殊な環境に置かれれば、いつもと同じような判断ができなくなる可能性はあるでしょう。
加害者は、性的行為に導くことができるように、周りから見られないような物理的状況をつくり出します。これは、対象と2人きりになれる状況ということですが、それだけではありません。加害者1人と、子どもが複数いる状況というのもふくまれます。つまり、ほかの大人の目に触れないということです。
■「2人きり」になれる状況に注意する
このように書くと、どこかにさらっていくのではないかと思われるかもしれません。でも、そうではなく、日常の一場面のように見せかけられてしまうところに、なかなか気づきにくい難しさがあります。
櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)より
これから挙げるいくつかの場面が、必ずしも悪いとは言えませんし、確実に性的グルーミングにつながるというわけでもありませんが、注意をはらいたい、という観点でお伝えしたいと思います。
たとえば、個室トイレ、空き教室や会議室、ちょっとした死角などのような、身近なところで2人きりにされる場合です。
こういう場所で、おもちゃやゲームといった遊びとか、「(状況的に違和(いわ)感のない)○○を見てほしい」などと言葉たくみに誘われるといったことがあります。仕事や教育活動で必要とされている時間帯以外は、不用意に家族以外の大人と2人きりにならないほうがいいのかもしれません。
■車の送迎が危険なことも
また、自家用車による送り迎(むか)えのような場面もそうです。子どもに習い事などをさせていると、どうしても都合が悪くて、だれかに送迎(そうげい)をお願いできたら助かる、と思うことがあるかもしれません。わざわざお願いするのは気が引けても、その人が、「自分も用事があるので、ついでに」と申し出てくれたとしたら、お願いしちゃおうかな、という気持ちにもなります。地域によっては、送迎してもらうことが必須(ひっす)の場合もあるでしょうから、だれかに送迎してもらうことは絶対にだめ、と言えるわけではありません。
ただし、車の中で2人きりになる状況には注意をはらっておく必要があるでしょう。たとえ子どもが複数人いたとしても、対象の子どもを最後に送り届けるようにして、自然に見えるように2人だけの状況をつくり出すなど、巧妙(こうみょう)だったりします。
このシーンのようなことはそうそうない、と思われるかもしれませんが、実は自宅にまねく、というのも典型例です。何より、加害者にとって自宅はホームグラウンドですから、勝手がよくわかっているし、だれかに中の様子を見られる危険性は極めて低くなります。被害者の側にとっても、自宅にまねかれることは、相手のプライベートに入りこめたような、自分だけ特別扱いしてもらったような気になります。他人の自宅をおとずれることへの心理的ハードルは低くなり、むしろ楽しみにしてしまうことがあるのです。
■子どもが複数でも安全とは限らない
さらには、集団で何かをするとき、たとえば、部活動や習い事の合宿や遠征(えんせい)、キャンプや移動教室のような行事、といった状況が挙げられます。これらは本来、楽しみなことでもあります。ですから、否定するつもりはないということを先にお伝えしておきたいと思います。
そのうえで、子どもが複数人に対して引率する大人1人、という状況はできるだけさけるべきだと考えています。複数の子どもがいても集団で被害にあい、だれも声をあげられない、ということがあるからです。
理由は、それが被害だと気づきにくいとか、返報性のルール(他人がこちらになんらかの恩恵を施したら、自分は似たような形でそのお返しをしなくてはならないと考えてしまうこと)、正常性バイアス(潜在的な脅威やその危険の程度を、最小化しようとする傾向のこと)などが働くためです。なるべく複数の大人で対応する、という工夫が必要だと感じます。
■同調圧力が被害のうったえを邪魔することも
集団の場合に働く心理集団で被害にあっても、子どもたちが声をあげられない心理的な理由はさまざまありますが、そのうちの1つに、同調への圧力が働いている、ということがあります。「同調」とは、「他者が示す行動と同一の行動をとること」です。
みなさんも、さまざまな場面で経験があることと思います。所属している集団の中のだれかがしている言動に、自分も自然と合わせようとしますよね。特に、習い事や部活動など、日ごろから行動を同じくしている集団は閉鎖(へいさ)的になりやすい性質があり、同調圧力が高まります。
集団の一人一人は、加害者からされた行為がおかしいと思っていたとしても、「みんなはそうしている」、「みんなはおかしいと思っていないようだ」などと考えてしまい、拒絶(きょぜつ)できなかったり、集団から抜け出しにくくなったりして、集団の外にいる人に相談しない、ということがあるのです。
また、子どもの場合は、子ども同士でそのことについておしゃべりすることがあっても、そこから大人に話す、というところにまでいくには、時間がかかることがあります。ですから、集団の同調がくずれるときが重要です。ふとしたときに、子どもから被害のうったえがあったり、性被害のサインをキャッチしたりしたら、「何かあったの?」と声をかけるようにしてください。
■手なずけに気づくヒント
必要なとき以外、家族ではない大人と子どもが2人きりになる場面はできるだけさけましょう。もし、2人きりになっていやだと思ったら、その場からにげだしましょう。必要なとき以外、家族ではない大人と子どもが2人きりになる場面はできるだけさけましょう。保護者や子どもにかかわる大人ができる工夫としては、複数の大人が見守る体制をつくる、ということだと思います。
■「(こちらが正しくて)君がまちがってるんだよ」
加害者:なぜ頭をなでることがおかしなことだと思うの?
子ども:だって、人に触られたくないし……
加害者:ほかの人はそんなこと言わないよ。ほめながら頭をなでるのは普通(ふつう)のこと。(じょうだん半分で頭を強めにたたく)君がまちがってるんだよ
子ども:でも……(私が気にしすぎているだけなのかな)
■頭をなでるのは普通のことなのか
程度の差こそあれ、みなさんも子どものころから人とスキンシップを交わしてきたことでしょう。
櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)より
海外の人に比べて、日本人はスキンシップが少ない傾向にありますが、それでも、仲良しのしるしとして手をつなぐとか、互いにがんばりをほめたたえるときにあく手をするとか、背中に手を置いて相手をはげますとか、悲しいときにハグし合う、ということがあると思います。
父親や母親と、ということもあるでしょうし、子ども同士でのスキンシップもあります。家族以外の大人と、ということもあるかもしれません。このシーンにある、頭をなでられるというのは、その典型例でしょう。よくがんばった、などの言葉とともに頭をなでられる、という経験をした人は少なくないと思います。
でもこのシーンでは、頭をなでられた女の子がいやがっていますね。人に触られたくないと言っています。男性は、女の子を納得させるべく、頭をなでるのは普通のことだと重ねて伝えています。
■いやなことは「いや」と言っていい
さて、ほかの人は受け入れていることだから、よくあることだから、そして、性的部位ではないのだからと、他人に触られることは自然でしょうか。受け入れなければならないでしょうか。他人が触っていいかどうかは、どの部位であっても自分の身体なのですから、自分で決めていいはずです。
櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)より
そして、いやだという気持ちを言い表すことだって、まったく悪くありません。日本では、女性は受動的であることが、ある程度評価されてしまう面があります。男性は積極的、女性は受動的、または消極的、といったイメージを持っている人が少なくないのではないでしょうか。
これは、ジェンダーステレオタイプと呼ばれる「男らしさ」「女らしさ」という固定観念です。もちろん、少しずつ時代は変わってきていますし、みんなが同じ考えではないと思います。
それでも、社会全体の価値観やイメージは、残念ながらまだまだ変わっていないところがあります。
ですから、特に女性は相手から言われたことを拒否するのはよくないことだと思いこみ、そうすることを難しくしているのではないかと懸念しています。くり返しますが、自分がされていやだと思うことは、相手がだれであろうといやだと言っていいのです。
■なかなか相手を非難できないことがある
このシーンでは、自分の主張に自信がなくなって迷いつつある女の子に、念押しするように頭を強めにたたいて、君のほうがまちがっている、と指摘しています。
本当は、この時点で相手の言動はおかしいと気づけたらいいなと思います。でも、たとえばちょっと強く押されるくらいであれば、それが「暴力」だと気づいたり、相手が自分よりも年齢の離れた先輩や大人であれば、その場で非難したりすることは難しいだろうと思います。
私は、こういう経験をした多くの人々に接してきました。暴力をふるわれたり、いやだと思っているけど性的なことをされたりしたとき、その話を第三者が聞いたら「相手が悪い」とすぐに思えますよね。
でも、当事者はそんなふうに思えないことがあるのです。まして相手が知り合いだったり、社会的立場が上の人であったりすると、非難することはさらに難しくなります。相手のしていることが正しいのではないか、と思ってしまうことがあるからです。
■「自分が悪いのではないか」と思ってしまう
そんなときにおちいりがちなのが、自分のほうに原因があるのではないか、自分が悪いのではないか、という思考です。そうなると、相手が正当化されます。
自分が悪いのだから、相手が怒ったり自分を責めたりするのは当然だ、と思うわけです。こうしていつの間にか、怒られたり責められたりしている自分のほうが加害者であるかのように、そして、加害者のほうがまるで被害者であるかのような気持ちになってしまいます。つまり、加害者と被害者の立場が逆転してしまうのです。さきほどのシーンでも、最後には女の子が、自分のほうがおかしいのではないか、と思ってしまっています。
また、自分に対していやなことをしてくる合間で、相手が時に優しさを見せたり、愛情を示してきたりすると、状況がさらに複雑になることがあります。
いやなことをされているのに、相手が見せてくる優しさや愛情にほだされて、つい許してしまう、ということが起きるのです。こうなるともう相手の思うつぼで、何かきっかけがあるたびに怒ってくる、責めてくる、ということがくり返されるようになります。そして同じように、怖いから、自分が悪いからと思ってしまい、相手に合わせる、許すという態度をくり返してしまうのです。
■手なずけに気づくヒント
ここで改めて、「触(ふ)れる」「触(さわ)られる」ということについて考えてみたいと思います。たとえば、だれかと談笑している最中に、ちょっと相手の腕に触れる、あるいは相手から触られる、というような経験をしたことがみなさんにもあるでしょう。ただし、それをどんなふうに感じるかは、人によって温度差があるのではないでしょうか。
櫻井鼓『「だれにも言っちゃだめだよ」に従ってしまう子どもたち』(WAVE出版)
触られてもあまり気にしないという人もいるかもしれませんし、「触られた」とそのことについて意識する人もいるかもしれません。
性的部位ではなかったとしても、ほんの少しだけだったとしても、性別を問わず、接触するというのは侵入(しんにゅう)的になり得る行為なのです。このシーンのような場合に限らず、自分の考えと他者の考えとが異なるシチュエーションはあります。
異なっていることが悪いわけではありません。相手の感覚や意見を尊重しつつ、自分自身からわき起こる感覚や考えも大切にしてほしいと思います。
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櫻井 鼓(さくらい・つつみ)
犯罪心理学者、横浜思春期問題研究所副所長
追手門学院大学心理学部教授。公認心理師、臨床心理士、博士(教育学)。警察庁長官官房給与厚生課犯罪被害者支援室、神奈川県警察本部警務課被害者支援室、同少年育成課少年相談・保護センター勤務を経て現職。内閣府、こども家庭庁、警察庁の有識者検討会委員を務める。専門は犯罪心理学、トラウマ研究。これまで性犯罪・殺人・交通死亡事件などの被害に遭った方やご家族の支援、性加害・窃盗・家庭内暴力などの非行少年の相談、犯罪被害者の心理鑑定、トラウマ研究に携わる。編著書に、『SNSと性被害 理解と効果的な支援のために』(誠信書房)、『性暴力被害者への支援 臨床実践の現場から』(誠信書房)がある。
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(犯罪心理学者、横浜思春期問題研究所副所長 櫻井 鼓)