中国人は「チンギス・ハンは中国の英雄」と本気で信じている…習近平が推し進める「歴史の書き換え」の悪辣さ
2025年3月10日(月)7時15分 プレジデント社
南モンゴルの位置(写真=Joowwww/CIA public domain maps/PD-self/Wikimedia Commons)
■中国によって私の故郷の歴史は塗り替えられている
——楊先生は、中国政府による「歴史の書き換え」について、これまで幾度も警鐘を鳴らしてきました。歴史の書き換えは、日本にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
【楊】中国政府による歴史の改竄を他人事だと感じて、日本への影響を懸念する人は少ないかもしれません。しかし、2026年には在留中国人が100万人を突破する日本にも降りかかってくる危険性があります。
私は中国東北部の南モンゴル(編集註:中国は「内モンゴル自治区」と呼称。本稿では南モンゴルで統一)のオルドスという町でモンゴル人として生まれました。いま私の生まれ故郷では、まさに歴史の書き換えが行われ、固有の文化や紡いできた歴史が塗り替えられようとしています。
南モンゴルの位置(写真=Joowwww/CIA public domain maps/PD-self/Wikimedia Commons)
中国には56の少数民族が存在します。南モンゴルには漢族、モンゴル族、半周族などさまざまな民族が暮らしています。自治区内の小中学校は、中国語学校とモンゴル語学校にわかれていました。モンゴル人の子どもはモンゴル語学校に通ってモンゴル語で授業を受け、モンゴルの歴史や道徳などを学んでいました。
しかし、2020年9月から、突然、南モンゴルのすべての小中学校でモンゴル語やモンゴル史の教育が禁止されたのです。
歴史の授業はもともと中国史がメインだったので、モンゴル人は日本人よりも自民族の歴史を知りません。それが完全に消えることになる。
道徳の授業では、共産党の思想が唯一の正しい価値観であり、中国共産党だけが人民を幸せにできるというプロパガンダを注入されているのです。
写真=iStock.com/Govan Zhang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Govan Zhang
■モンゴル語で書かれた書籍すら消えた
そもそも南モンゴルは、13世紀にチンギス・ハンが築いた大帝国の一部でした。1949年の中華人民共和国の成立とともに現在の南モンゴルとなりましたが、文化大革命(1966〜76年)の時代に激しい同化政策が行われ、34万6000人が不当に逮捕されました。
かねてから南モンゴルの草原は、漢人によって田畑に開墾されていたのですが、乾燥地帯のためすぐに砂漠化が進んでしまった。その結果、モンゴル人の伝統である遊牧ができなくなり、政策として定住を強いられました。農耕技術がないのでうまくいくはずもなく、豊かな中国人と彼らに雇われるモンゴル人という構図ができあがったのです。
撮影=プレジデントオンライン編集部
静岡大学教授の楊海英さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部
そして現在。中国出身のモンゴル人にとって、母語であるモンゴル語が、アイデンティティを守る最後の砦だったのですが……。モンゴル語が禁止されたのは民族学校だけではありません。モンゴル語の看板は撤去され、書店ではモンゴル語で書かれた本が消えてしまいました。
モンゴル語禁止から5年たった今、南モンゴル出身の来日留学生と接していると、その影響は年々深刻になっていると言わざるをえません。
中国政府による歴史の書き換え、公式見解を信じるモンゴル人留学生が増えました。モンゴル語禁止以前は、日本で数カ月も過ごせば、中国政府が話す歴史とは異なる国際的にスタンダードな歴史を受け入れられる留学生がほとんどだったのですが、いまはもっと時間がかかります。
■「漢民族」が住むところ=中国
——中国政府の公式見解とはどんな歴史なのでしょう。
たとえば、中国政府はロシア領の世界でもっとも深いバイカル湖を中国の領土だと主張しています。根拠は、バイカル湖があるロシア連邦のブリヤート共和国には、中国にも住んでいる少数民族のブリヤート・モンゴル人が暮らしているからです。
撮影=プレジデントオンライン編集部
1965年に中国人民解放軍総参謀部が作成した地図。地図上に描かれた線は列強によって奪われたと主張している領土。インド、ロシア、カザフスタンなど広範囲に及ぶ。解放軍は将来的にその失地を挽回すると地図に明記している。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
——しかし、ブリヤート・モンゴル人はロシアに住んでいるから中国には関係ないように思います。また、清朝は、56の少数民族のひとつ満州族の王朝ですよね。
そこが、中国政府の歴史の書き換えのポイントです。
中国では、漢民族以外の56の少数民族は、漢民族から枝分かれしたサブグループという位置づけになっています。彼らも大きくは漢民族という括りに。つまり、「漢民族」が住むところ=中国になっている。
「漢民族=中華民族」もしくは「中華民族=漢民族」。これがいわゆる大漢民族主義です。
中国の隣国カザフスタンのバルハシ湖の近くには18世紀の清朝時代の遺跡がたくさん残っています。近隣の人々が清朝の皇帝に貢ぎ物を送っていた記録もあり、ここは清朝最盛期の領有地でした。
我々には理解しがたいですが、大漢民族主義では、中華民族のサブグループである満州族が樹立した清朝の版図だったバルハシ湖も「我が領土」という考え方に発展します。その影響か、現在バルハシ湖は中国人観光客にも人気のスポットです。
最近では、インドネシアとマレーシア、ブルネイの領土であるボルネオ島に対しても領土を主張しはじめました。理由はボルネオ島から漢の時代の須恵器が出土するからだそうです。その理屈だと後漢時代の金印や鏡が残る日本も中国の領土になってしまいます。
■かつての異民族も今は漢民族
いま中国では、満州人やモンゴル人、チベット人、ウイグル人らに対して、民族という言葉を使わずに、「族群」(英語ではエスニック・グループ)という呼び方をします。
実は、中国では1990年代まで少数民族に対し、英語の「ネーション」を使って、モンゴルネーション、ウイグルネーション、チベットネーション……としていました。エスニック・グループはアメリカ的な概念なので、中国には馴染まないと考えていたのです。
それが、1990年代に、ネーションはまずいと気がついた。
マルクスやレーニン、スターリンの概念では、国民国家を形成できる権利や、独立の権利を持つ民族がネーションだからです。そこで急いで、中国政府はネーションをエスニック・グループに書き換えた。だから私はいまだにエスニック・グループではなく、モンゴルネーションと言い続けています。
言葉遊びのように感じる人もいるかもしれませんが、当事者として深刻です。
かつて中国では、モンゴル族や満州族などの北方民族を北疆、匈奴、突厥などと呼んでいました。漢民族ではない“異民族”の北疆はモンゴル帝国を築き、匈奴や突厥も王朝を打ち立てた。隋の建国者の楊氏も唐の建国者の李氏も、鮮卑族というモンゴル人の出身です。
■チンギス・ハンは中華民族の英雄
歴史を学んだ日本人であれば、中国の歴史は、漢民族が一貫して支配し続けたのではなく、さまざまな民族が広大な国土にやってきては居つき、そして戦いに敗れまた新たな民族が国を築いたことを知っているはずです。
しかしながら、いまの中国政府からしてみれば、すべて漢民族が築いた「我が国」という位置づけに改竄しているのです。
中国では、モンゴル帝国ならびに元について、13世紀にモンゴル人が中国やユーラシアを征服して誕生した王朝だとは決して教えません。あくまでも中国の地方政権だと教えます。
だから、中国では、チンギス・ハンは中華民族の英雄であり、ユーラシア大陸全体で国土を開拓した中国人として教えられます。
チンギス・ハン(写真=故宮博物院/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
——一般的な中国人は、チンギス・ハンが中華民族だったと本当に信じているのですか?
はい。それこそが、歴史の書き換えであり、中国政府の教育の賜なのでしょうね。中国国内の南モンゴルには、少数民族のモンゴル人たちがいる。モンゴル人は中華民族のサブグループだという意識になるので、教育によって「チンギス・ハン=中華民族の英雄」という共通認識になったのです。
■中国政府の詭弁
2006年はモンゴル帝国成立800周年でした。モンゴル国では大々的に祝っていましたが、中国のモンゴル人が祝うのは禁じられました。またモンゴル文化ではなく、草原文化と言うように強制されました。やがて草原文化もダメになり、いまは北疆文化と呼ぶように決められています。
日本人が天皇を精神の拠り所にするように、私たちモンゴル人のアイデンティティを支える誇りがチンギス・ハンであり、チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国です。私たちの英雄が、中国人だとされるのは、本当に悔しいし、許しがたい。
では、中国の見解として、南モンゴルの北にモンゴル国が独立しているのはどう考えているのか。中国では、帝政ロシアと日本、そして悪いモンゴル人が、善良なモンゴル人をたぶらかして、中華民族の族群であるモンゴル人を分断し、独立させたという歴史になっています。
——中国の政治家や官僚は、一般的な世界史を理解しながらも、国民には政府の公式見解を教えているわけですね。
その文脈で注目したいのが、1990年代後半にアメリカのハーバード大学のマーク・エリオットが提唱した「新清史」です。「新清史」とは、清朝を中国史の枠組みではなく、満洲語やモンゴル語、チベット語、チュルク語などの一次資料を読み直し、「清朝=ユーラシアの帝国」として再評価すべきだとする概念です。
■「正しい歴史」を消すために弾圧を強める
当初、漢人の研究者にも「新清史」は歓迎されました。なかには、満洲語やモンゴル語を学ぼうとした研究者もいました。しかし2000年代に入り、中国国内で猛烈な「新清史」批判キャンペーンが起こりました。我々を滅ぼそうとするアメリカ帝国主義の学者による野心的な歴史観だ、と。
ただ、批判にたずさわった漢人の研究者は今も内心では「新清史」こそが、真実の歴史だと思っているはずです。
「新清史」の原形となったのが、日本人学者による研究です。東洋史学者の岡田英弘さんの『世界史の誕生』では世界史のはじまりをモンゴル帝国によるヨーロッパや中国との接触に求めています。また、歴史学者でモンゴル帝国史を研究した杉山正明さんの一連の著作も大きく影響を与えています。
最近失脚しつつありますが、王(おう)岐山(きざん)という習近平の盟友がいます。2015年、当時は事実上のナンバー2だった彼は岡田さんの『世界史の誕生』や杉山さんの著作を読んだと語っています。
2019年10月23日、安倍首相と中国の王岐山国家副主席の会談(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
その話を聞いた岡田さんの関係者は純粋に喜んでいましたが、私はマズいな、と感じました。
というのも、中国の公式見解や大漢民族主義とはそぐわない「新清史」のような歴史観を打ち消すために、少数民族政策に落とし込まれる危険性を孕んでいるからです。
■決して日本もひとごとではない
案の定、2015年頃からウイグルへの弾圧が激しさを増しました。母国語を奪って、ウイグル人女性と漢人を結婚させて、言葉や身体的な特徴を消し、漢族と同化させようとしています。その5年後には、先述したモンゴル人への母語教育や歴史教育が禁止されました。
中国政府の中枢にとって、「新清史」は少数民族たちのアイデンティティを確立させ国社会を根底から崩す概念だと危機感を抱いた証左です。
いまも中国政府は歴史の書き換えに躍起になっています。その成果のひとつが、チンギス・ハンの中華民族化であり、香港やウイグルでの弾圧です。
中国でモンゴル人として生まれ、日本で暮らすからこそ、私はこうした中国の歴史の書き換えや他民族への弾圧は、日本にとっても決してひとごとではないと感じるのです。実際、日本にじわじわとチャイナリスクが浸透してきています。これについては後編でお話しします。(後編へ続く)
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楊 海英(よう・かいえい)
静岡大学教授/文化人類学者
1964年、南モンゴル(中国・内モンゴル自治区)出身。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。1989年に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文学博士。2000年に帰化し、2006年から現職。司馬遼太郎賞や正論新風賞などを受賞。著書に『逆転の大中国史』『独裁の中国現代史』など。
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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)。Twitter:@toru52521
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(静岡大学教授/文化人類学者 楊 海英、ノンフィクションライター 山川 徹)