「ひょうきん族」でも「さんま御殿」でもない…明石家さんまが求める「究極の笑い」を体現したテレビ番組
2025年3月11日(火)9時15分 プレジデント社
映画『ベガスの恋に勝つルール』(What happens in Vegas)の試写会でレッドカーペットに登場し、「しょうゆーこと?」をする明石家さんま(2008年8月6日、東京都千代田区の丸の内MY PLAZA) - 写真=時事通信フォト
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映画『ベガスの恋に勝つルール』(What happens in Vegas)の試写会でレッドカーペットに登場し、「しょうゆーこと?」をする明石家さんま(2008年8月6日、東京都千代田区の丸の内MY PLAZA) - 写真=時事通信フォト
■「お笑い怪獣」明石家さんまの意外過ぎる一面
明石家さんまと言えば、タモリ、ビートたけしと並ぶ「お笑いビッグ3」のひとり。「お笑い怪獣」というなんとも物々しい呼び名を持ち、お笑いにかける熱量の凄まじさで知られている。だがさんまは、実は生きづらさを抱えた現代人に刺さる人生哲学の持ち主でもある。ここでは、さんまのそんな意外な一面に光を当ててみたい。
1955年生まれの明石家さんまは、今年7月でちょうど70歳。だがいまもテレビで見せるエネルギッシュな姿は私たちが抱く「古希」のイメージからはほど遠い。スマートな体形など見た目もずっと変わらない印象だ。むろんトークの鋭い切れ味も健在で、笑いの反射神経に衰えは感じられない。いまだに疲れ知らず、元気という点では「お笑いビッグ3」のなかでも群を抜く。
さんまは高校卒業直前で落語家・笑福亭松之助に弟子入り。芸人人生のスタートを切った。
ただ、落語が好きというよりは、寄席で見た松之助の新作落語のギャグが面白いと感じたからだった。弟子入りの理由を聞かれて「センスがいいから」と正直に答えて松之助に怒られたらしい。本名は杉本高文。芸名の「さんま」は、実家がさんまの水産加工業を営んでいたからというのは有名な話だろう。
■さんまの「細かすぎて伝わらないモノマネ」
学生時代から学校の人気者だったさんまは、芸能界入りしてまもなく頭角を現す。
きっかけは、人気バラエティ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送、1969年放送開始)。さんまは、当時阪神タイガースにいた小林繁のピッチングフォームのモノマネでブレークした。いまでこそ野球選手の形態模写はよくあるが、その頃は「細かすぎるモノマネ」はまだ一般的ではなく斬新だった。
その頃からトーク力も抜群で、たちまちさんまは人気者に。“タレント・明石家さんま”の誕生である。そして上京。売れ始めた吉本芸人が東京進出するパターンは、このときのさんまが先鞭をつけたとされる。
漫才ブームのなか、フジテレビ『オレたちひょうきん族』(1981年放送開始)の「タケちゃんマン」ではビートたけしと丁々発止のアドリブ合戦を繰り広げ、さんまの存在は一気に全国に知れわたった。トレンディドラマの先駆け『男女7人夏物語』(TBSテレビ系、1986年放送)では主演として大竹しのぶと共演し、高視聴率を獲得した。マルチな活躍ぶりは、芸人の域を超えてもはやアイドルだった。
■大好物は「天然キャラ」
それから約40年。テレビバラエティの最前線にいまも立ち続けている。お笑い芸人としての圧倒的な息の長さには驚嘆せざるを得ない。
さんまの本領は、いわゆる「ひな壇トーク」だ。大人数を相手にひとりでトークを切り回し、自由自在に笑いを紡ぎ出していく。
相手がプロか素人かはいっさい問わない。『踊る!さんま御殿‼』(日本テレビ系、1997年放送開始)では芸能人や有名人、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系、1994年放送開始)では若い一般女性、さらに『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系、1988年放送開始)のようにまだ幼い子ども(子役)でも大丈夫。『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系、2015年放送開始)のように一癖も二癖もある芸人たちを相手にすれば、そのトークと仕切りはさらに冴えを見せる。
写真=iStock.com/bradleyhebdon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bradleyhebdon
まさに笑いのプロフェッショナルである。常々バラエティは「戦場や!」と言い放ち、誰が相手でも一切手を抜かない。笑いにできる絶好のパスを送ったのに相手がそれを逃すと「やっちゃった」とばかりにその場で反省会が始まり、もう一度同じくだりを繰り返す。
逆に大好物の天然キャラを発見すると、鉄板のくだりを決めて相手に何度も振ってやめない。しかも最後は自分でボケて、笑いを全部かっさらってしまう。
■「服一枚着てる時点で人生の勝利」
そこでついた名前が「お笑い怪獣」。笑いへの貪欲すぎる姿勢に、さんまを前にした後輩芸人が恐れをなしたところから生まれた。
最初に言ったのは『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系、1996年放送開始)でゲストのさんまから散々ダメ出しされたナインティナイン・岡村隆史とされていたが、最近は同じく『めちゃイケ』に出ていた極楽とんぼ・加藤浩次ということになっている。
とにかく、「さんまが通った後には何も残らない」という畏怖の念が「お笑い怪獣」という強烈なネーミングになったのである。
ただ普段あまり表には出ないが、さんまには哲学者のような一面もある。
さんまの座右の銘は、「生きてるだけで丸もうけ」。これは、禅に詳しい師匠の笑福亭松之助との会話のなかで出てきた言葉だそうだ。余談だが、娘でタレントであるIMARUの本名「いまる」は、この言葉からとったものである。
さんまはこう説明する。「よく人が『人生に負けた』とか言いますけど、誰でも裸で生まれてきたんで、服一枚着てる時点で人生の勝利ですからね。敗北者はいないはずなのに敗北感を味わう人が多すぎる、とは思いますけどね」(『本人』vol.11)。
■あえて「ベタな笑い」を貫くワケ
いや、さんまは芸能界で大成功し、多額のギャラを得る裕福な立場ではないか、と思うひともいるだろう。そのことは本人もよくわかっている。大事なのは、精神面のハングリーさだ。
「その時にどこにハングリーさを置くかは時代によって違うと思いますけど、僕はその時々でハングリーさが出る位置に気持ちを置こうとしてますから、その究極が『生きてるだけで丸もうけ』という言葉に繋がると思うんですけどもね」(同誌)。
考えてみれば、さんまがいつもハングリーに追い求める「笑い」こそは、最も元手をかけずに得られる幸福と言える。つまり、笑えればそれだけで丸もうけだ。
そして笑いにもいろいろあるなかで、さんまは若手の頃からお約束のシンプルなパターンを繰り返す笑いにこだわり続けている。
シュールなネタやひねったネタがお笑い通からは評価されやすいなかで、あえて「ベタな笑い」を貫くのはかなり勇気のいることだ。だがさんまがこよなく愛するテレビは、世代を問わず誰もが見ているもの。最大公約数の人間に笑いを提供できるのは、結局「ベタな笑い」だという判断もあるのだろう。
■「ご長寿早押しクイズ」は究極の笑い
そんなさんまの人生観、お笑い観に一番近いと思える番組が、『さんまのSUPERからくりTV』(TBSテレビ系、1992年放送開始)だ。
基本はクイズ形式。VTRから問題が出され、早押しでスタジオの解答者が答える。中村玉緒、浅田美代子、西村知美などの天然キャラが発掘され、番組を彩った(もともとお笑い用語としての「天然」を広めたのもさんまである)。いまテレビで引っ張りだこの長嶋一茂もこの番組で面白さが広く知られるようになったと言っていいだろう。
VTRのほうは素人が主役。セイン・カミュの「KARAKURI FUNNIEST ENGLISH」や安住紳一郎アナの「サラリーマン早調べクイズ」など数々の人気コーナーがあったが、なかでも「ご長寿早押しクイズ」は名物コーナーだった。
毎回3名の一般解答者が登場。全員80歳以上である。司会はTBSアナ(当時)の鈴木史朗。一般常識や芸能、簡単な歌の歌詞などに関するクイズが10問出題され、早押しで競う。
クイズ自体はよくありそうなものだが、とにかく解答する高齢者がみな個性的。本番中にわざわざ解答ボタンを押して「おしっこにいきたい」と言って急きょ休憩タイムになったり、鈴木アナに「元気の素は?」と聞かれたのを“電気の元”と勘違いして「水力」と答えたりしてしまうといった具合だ。
TBS放送センター(写真=Akonnchiroll/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
■まさに「生きてるだけで丸もうけ」
ご長寿たちの珍回答となると挙げればきりがない。たとえば、「パンダの大好物は?」という問題になぜか「メンマ」、続けて「メスゴリラ」「ラッキーパンダ」。
鈴木アナが軌道修正しようとするがままならず、「だんだん自分がおかしくなってきた気がする」と頭を抱える。すると「いいんだよ それで」と解答者がなぜかやさしく(?)フォロー。鈴木アナが「葉っぱ」とヒントを出すと、あるご長寿は「64(8×8)」。
写真=iStock.com/maurusone
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maurusone
最後は「さ、なんとかです」とほとんど答えのようなヒントを言って、ようやく「笹」が出た。
むろん狙っているわけではなく、ただ堂々とありのままに振る舞っているのでなおさら面白い。「生きてるだけで丸もうけ」とは、まさにこのことだろう。そこにはさんまが求める究極の生きかた、そして笑いがある。
■明石家さんまはやはり“落語家”だ
少年時代のさんまに大きな影響を及ぼしたのは、実の祖父であった。その頃の話はドラマにもなったが、「つらいときこそ笑え。悲しいときこそ笑うんだ」というのが祖父の教えだったという。
さんまはその祖父のことを「ポットに話しかけていた」などと芸人になってからネタにもしていた。「ご長寿早押しクイズ」もそうだが、コンプライアンスが強く叫ばれる昨今、こうしたネタも控えなければならないのかもしれない。
だがそこには、自分の原点である祖父の教えを守ろうという意思、そして「生きてるだけで丸もうけ」という言葉の奥にもある深い人間愛が感じられるのも確かだ。
かつて立川談志は、落語とは人間の業の肯定だと言った。美しい部分だけでなく醜い部分もあり、清廉潔白ではいられずむしろ欲まみれなのが人間だ。そしていつかは老いる。
しかしそれでも生きていればいい。そのことを伝えるのが落語だとすれば、たとえ高座に上がっていなくても明石家さんまはやはり“落語家”だ。
さんまには、タモリやたけしのような博識というイメージはあまりない。しかし、生きづらさを抱える現代人のこころに響く人生哲学、洞察力に裏打ちされた一流の幸福論の持ち主だ。昔ぽん酢しょうゆのCMで「しあわせって 何だっけ 何だっけ♪」と問いかけるようにさんまが歌っていた姿を思い出す。
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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)