デキる男はラブホテル代わりに廃墟を使う…「王朝貴族」の優雅なイメージとは程遠い平安時代の恋愛テクニック

2024年3月20日(水)15時15分 プレジデント社

源氏物語図屏風「御幸」・「浮船」・「関谷」(画像=土佐光芳作/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

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平安時代の貴族たちはどのように恋愛をしていたのか。古典エッセイストの大塚ひかりさんは「平安貴族の生活は多くの人に見られていて、プライバシーがなかった。人目を避けるために、ラブホテル代わりに廃墟を利用する男性貴族もいたほどだ」という——。

※本稿は、大塚ひかり『傷だらけの光源氏』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。


源氏物語図屏風「御幸」・「浮船」・「関谷」(画像=土佐光芳作/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

■『源氏物語』の地の文はなぜ女房の語り口調なのか


源氏物語』は、女房の語り口調で書きおろされる。


「いずれのミカドの御代でしたっけ」


と物語を語り起こし、ひととおり主な登場人物を顔見せしたあとの「帚木」巻冒頭では、


「“光る源氏”なんて名前ばっかりご大層ですが、不名誉な失敗も多いんです。そのうえ、こんな浮気沙汰を後世の人が伝え聞いて、軽薄な評判を立ててはと、内緒にしていた秘密のことまで語り伝えてしまうなんて、口さがないったらないですね。でも本当は源氏の君はすごく世間にはばかってマジメにしていたから、それほど面白い話もなくて、交野の少将には笑われたと思いますけど」


などと言っている。交野の少将とは、今は散佚(さんいつ)して伝わらない当時の物語で有名な色好みである。彼が聞いたら笑っちゃうていどの、面白くもない浮気沙汰というのが、空蟬や夕顔との恋のことなのだが。


女房らしき語り手は、その後も、


「主人公はああ言ってるが、本音はこうなんです」


とか、


「実はこの時、裏ではこんなにとんでもないことが起こっていたんです」


などと、要所要所で客観的な解説をする。


これを「地の文」といい、そのナビゲーターである女房が、昔、覗き見した源氏の暮らしを、今の読者に伝えた物語、というのが『源氏物語』の設定なのである。


■恋愛のステップとして「覗き」が欠かせなかった


人の生活を誰かが覗くという設定。実はこれは、当時の貴族にとってはわりと受け入れやすいものだった。


当時は、恋の一段階として“垣間見”という習慣がある。文字通り、垣根のスキ間や、土塀の崩れなどから、お目当ての異性を「垣間見る」。早く言えば「覗き」である。


というと聞こえが悪いが、年頃の娘のいる家では、娘を男に見てもらうため、わざわざ覗きの機会を作ったくらいなのだ。


というのも、高貴な女は人前にめったに顔を見せない当時、男が女を「見る」、女が男と「会う」というのはイコール「セックス」を意味していたと考えていい。だから恋は「会う」までが勝負。噂や垣間見で恋心をつのらせた男は、ラブレターでアタックする。最初は代筆だったのが、直筆の手紙をもらえればしめたもの。文通が始まり、うまくいけば御簾や几帳を隔てた対面が許され、やがて女房などの手引きによってセックスにもちこむことができる。


■「垣間見」の間に男女が互いを品定めする


つまりセックスするまで名目上は「会えない」わけで、「俺はこの女で行くぞ」と男が心にゴーサインを出すきっかけは、垣間見にかかっているのである。一方、女側も、顔も見せずに男と会って、「俺の好みじゃなかった」などとヤリニゲられてしまうよりは、姿を見せて気に入ってもらったうえで男と会ったほうが、幸せにつながるため、


「私はこんな姿形です。うちの暮らしぶりはこんなです」


とアピールできる垣間見は必要なのである。もちろんその際、女側も、部屋の奥から男の容姿や物腰をチェックしたのは言うまでもない。その段階で「気に入らないわ」と思ったら、手紙に返事をやらなかったり、それとなく拒絶の歌を詠んでやればいい。


容易に会えない時代だからこそ、男も女も、恋には「覗き」が必要だったのだ。


■障子に穴を開けてゴシップスターを見ようとする女房たち


「覗き」がハバをきかすのは、恋だけじゃない。


男たちと浮き名を流し、『和泉式部集』によると、藤原道長に“うかれ女(め)”と呼ばれた和泉式部は恋人の敦道親王邸に住みこむのだが、正月、親王の北の方付きの女房たちは、


「年始参りに来た男たちよりも、式部を見ようと、障子か何かに穴を開けて大騒ぎした」


と『和泉式部日記』には書かれている(てことは、例年は、年始参りの男たちを、女房は覗き見しているわけだ)。


この和泉式部という人は、天才的な歌人だが、何かとお騒がせの人だったようで、敦道親王と堂々と車に相乗りして祭を見物したこともあった。しかも、車のスダレの下からわざと紅の袴を見せ、そこに“物忌”と書いた大きな赤い札をつけて、地面すれすれに垂らすという目立ちよう。


紅の袴は今でいう下着みたいなもんだし、札の意味は「謹慎中」とか「生理中」とか「ただ今取りこみ中」ということ。下着に「ただ今取りこみ中」じゃあ「中で何しているんだろう」てなもので、「祭よりこっちのほうが気になる」と、この時も見物人を集めてしまっている(『大鏡』兼家)。


そんな芸能人レベルの和泉式部だから、もしもその時ワイドショーのようなものがあれば、「式部さん、今のお気持ちどうですか?」などと、ずかずかと部屋に踏みこまれてしまったことだろう。それを思えば、あくまで覗きにとどめる心は可愛いが、穴を開けてまで見るという態度は、お上品な王朝貴族のイメージを狂わすものがある。


■「昼間だったら光源氏を覗き見できたのに」


覗きというのは、貴族にとってそれほど当たり前だったのか、『源氏物語』では、空蟬の弟が、源氏の姿を見て、


「噂通りの美貌でした」


と姉に報告すると、空蟬が、


「昼なら、覗いて拝見するのだけど」


と眠たげに言うシーンがある。さらに、そのやりとりを、源氏が立ち聞きする。


自分の姿を覗き見したいと言いあう姉弟の会話を、立ち聞きする男。ここには、男も女も覗き覗かれ、生活していた平安貴族ならではの「覗きの文化」がある。


『源氏物語』空蟬(写真=Genji1000nenki/PD-self/Wikimedia Commons

だから、当時の貴族の最大の悩みは“人目”である。周りに人の目が多い、一人になれない、ということだ。


高貴な女が人前に出ないといっても、召使の女房たちには常にガードされている。つまり、しっかり見られている。


■高貴な男女はセックスの最中も二人きりにはなれない


たとえば紫式部の仕えた中宮彰子のおつき女房は三十人以上(『紫式部日記』)。これらの女房は常に全員出そろうわけではないが、女主人がまったく一人きりになることはない。もちろんセックスの時だって。遠巻きにしてはいるものの、叫べば聞こえるところに、通常、女房は控えている。



大塚ひかり『傷だらけの光源氏』(辰巳出版)

控えているだけではない。女主人に男を手引きするのも女房だ。だから男はまず女房を手なずけ(場合によっては男女の関係になって)、お目当ての女のもとに手引きしてもらう。源氏が藤壺に迫った時、「胸が痛い」と苦しむ女主人の声に、女房がさっと飛んで来たのもこういうわけなのだ。


高貴な人たちは、「覗き」を含めて、常に誰かに監視されているのである。


だから彼らは人目を避けるため、「デート用の密室」として廃屋や小屋を確保しておく。そして「秘密にしたい恋」が始まると、そこをラブホテル代わりに利用する。


源氏が恋人の夕顔を連れこんだのは皇室所有の廃院だったし、宇治十帖で匂宮が浮舟と情事にふけったのは、召使の親戚が管理する粗末な造りの別荘だった。


けれどそれでも、平素召し使う女房に隠れて、恋をするのは不可能だ。芸能人と今の皇室を足して二で割っても追っつかないほど、彼らにはプライバシーがないのである。


■女房たちは主人の秘め事をすべて把握している


ミカドの中宮・藤壺と継子・源氏の密通という、物語きってのタブーの恋も、藤壺が最も親しく使う二、三の女房には、バレている。二人の密通の手引きをするのも、それを人から隠すのも、この親しい女房たちなのだ。


彼女たちは、高貴な人々の生活を「覗く人」であり、同時に、出来事の一部始終を目撃し、報告する「証人」でもあった。


高貴な人の「秘め事」が、女房らしき誰かによって語られるという『源氏物語』の設定が、架空の恋に、文字通り「見てきたような」リアリティを与えているのは、こんな背景があってのことなのだ。作者の紫式部自身、彰子中宮に仕える女房として、男たちに覗き見されたり、貴人の暮らしを覗き見する境遇に置かれていたのだから。


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大塚 ひかり(おおつか・ひかり)
古典エッセイスト
1961年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。古典を題材としたエッセイを多く執筆。著書に『ブス論』『本当はエロかった昔の日本』『女系図で見る驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』など多数。また『源氏物語』の個人全訳も手がける(全6巻)。趣味は年表作りと系図作り。
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(古典エッセイスト 大塚 ひかり)

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