破綻寸前のルネサス エレクトロニクスを奇跡の復活へと導いた「最後の男」作田久男氏が修羅場で見せた胆力とは?

2025年3月18日(火)4時0分 JBpress

 マッキンゼー・アンド・カンパニー出身のコンサルタントらが行った調査によると、40年前に「超優良企業」と呼ばれていた企業群のうち、現在までに約4分の1が破綻もしくは買収を経験しているという。栄枯盛衰が激しいビジネスの世界において、輝き続ける企業とそうでない企業との違いは何なのか。本連載では『超利益経営 圧倒的に稼ぐ9賢人の哲学と実践』(村田朋博著/日本経済新聞出版)から内容の一部を抜粋・再編集。成長を続ける経営者たちの思考や哲学を元に、現代の経営に求められる教訓を探る。

 今回は、破綻寸前だったルネサス エレクトロニクスの会長兼CEOに就任、V字回復へと導いた作田久男氏の修羅場の経営に迫る。

ルネサス エレクトロニクス元会長兼CEO作田久男氏
火中に飛び込み、修羅場を克服した経営者

 筆者が作田久男氏に初めてお会いしたのは、オムロンの社長(創業家以外からの初の社長)就任が発表されたころだったと記憶しています。オムロン社長時代、作田氏は幹部候補の勉強会の講師として筆者を招いてくれました。

 当時、筆者は米国モルガン・スタンレーの企業・産業調査アナリストとしてオムロンを担当、同社に関する厳しい論調のレポートを書くこともありましたが、作田社長は「君の言う通りだ」とおっしゃいました。内心忸怩たる思いもあったと思いますが、事実であるから仕方ない、そういった意見をばねにして会社を変えないといけないとの考えであったと拝察します。

 ことほどさように、作田氏は年齢にかかわらず直言する人を受け入れてくれる経営者でした。のちに、なぜ筆者を勉強会に呼んでくださったのですか、とお聞きしたところ、「俺は変わった奴が好きなんだ」とおっしゃいました。最高の誉め言葉だと勝手に解釈しました。

 作田氏はオムロンの会長退任後、請われて、当時瀕死の状態にあったルネサス エレクトロニクスの会長兼CEOに就任し、劇的な回復を実現、現在の高収益企業の礎を築かれました。作田氏から学んだことは、何より、修羅場での胆力です。そして、「答えのない問い」について改めて考えることになりました。

■「最後の男」——送られてきたナイフ

 作田氏は、オムロン社長、会長の後、2013年月にルネサス エレクトロニクスの会長兼CEOに就任。現在のルネサス エレクトロニクスが、売上高1兆4700億円、営業利益3900億円(2023年12月期)と素晴らしい業績となっていることで忘れられかけていますが、同社は破綻の間際までいきました。当時の状況を確認しましょう。

 2013年3月期までの5年間で、営業損益は累計1800億円超の赤字(5期中4期赤字)、最終損益は累計5000億円弱の赤字(5期連続赤字)、その結果、2013年3月末の有利子負債は3000億円超となっていました。NEC、日立製作所、三菱電機3社の半導体事業が統合した難しさがあったのは疑いのないことですが、業績が改善しないためにトップが短期間で交代し、破綻寸前であったのです。そんなときに会長兼CEOに就任したのが作田氏でした。

 作田氏が会長兼CEOに就任する前や就任後しばらくのころは、外部の人たちは以下のように言っていました。

「官民で救済しようとしているが、非常に難しい。3社統合の同社はひとつの会社としての『体をなしていない』。工場1つひとつがバラバラ、お客さんも異なる。地場との関係もあり、工場閉鎖も一筋縄ではいかない。出身母体同士でのせめぎ合いもあるだろう。これだけ意見が異なる状況をまとめ再建するのは、よほどの経営能力がないと難しい」(コンサルティング企業日本代表)

「初の黒字でも崩壊危機? リストラ&給与減で人材流出、有力事業なく競争力低下。外見は化粧直しをした新造船、中身はボロボロの中古船」(ジャーナリスト)

 すごい言われ方です。ただ、これらの方々が見間違えたというより、それほど会社はひどい状況であったというほうが正しいでしょう。作田氏が火中の栗を拾うことがなければ、現在がなかったことは明らかです。

 日立製作所を再建した川村隆氏の著作は『ザ・ラストマン——日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」』(角川新書)です。「ラストマン」とは、もう後がない、最後を任された人間といった意味合いです。

 川村氏もグループ企業であった日立マクセル(現マクセル)の会長に就任し、社会人生活も終わりかと思われていたところ、日立製作所の会長兼社長として再建を託されることになりました。作田氏も同じく「最後の男」だったのです。

 改革期間中にはなんと、自宅に刃物が送られてきたそうです。その話を聞いて筆者は驚いてしまい、「怖くなかったですか?」とお聞きしたところ、「責任のない人間が何を言っても気にしない」とのことでしたが、凡人ではとても気にしないなんてことは無理でしょう。

 さて、このような誰もがもう「倒産だ」とあきらめていた企業を、作田氏はどのように立て直したのでしょうか。

■修羅場の状況把握

 作田氏が会長兼CEOに就任して感じたことは以下の2点だったそうです。

  1. 企業理念の欠如
  2. 当事者意識がなく、すべて他人事(他部を非難するが、自分・自部門についてはできない理由を羅列)

 こうした状況を受け、すべきことは山ほどあったそうですが、時間的猶予はありません。そこで、作田氏は以下の3つに集中することに決めたといいます。

  1. 利益率の改善
  2. 固定費の適正化、費用構造の柔軟化
  3. 意識改革(当事者意識、顧客志向、収益への執着)

■ 利益率の改善——「バカにされていると思え」

 収益性の改善にあたっては、皆が共有しやすい粗利益率を指標にしました。社員には、「低利益率ということはバカにされていると思え」と発破をかけ、顧客には値上げを要請しました。もちろん、値上げを承諾してもらえない顧客もいたはずですが、その場合は撤退もやむなしとしたそうです。顧客との軋轢もあったと推察しますが、作田氏は企業存続のため断行したのです。

 仕組みとしては、各社員・各部が制御可能な収益管理体制とするため、各社員・各部が関与できない費用は少なくすると同時に、事業部間受け渡しルール、経費配賦ルールを明確化したそうです。

 その結果、粗利益率は作田氏就任前の31%から3年後には44%に、営業損益はわずか2年間で232億円の赤字(2013年3月期)から1044億円の黒字(2015年3月期)へと、劇的に回復しています。信じられない復活です。

「いまの仕事は楽しいか。であれば2倍の速度で仕事をしよう」

 顧客に値上げを要請する以上、自分たちも努力をしなくてはいけません。複数の工場の閉鎖を決断、社員数は2年間で2万人超削減しました。「他人事」からの脱却を図るため、給与制度は以下の2つを実施したそうです。

  • 月々の固定給を約10%引き下げ
  • 業績連動給与の割合を引き上げ

 そして、社員に問いかけました。「いまの仕事は楽しいか?」と。「もしそう思ってもらえるなら、いまの2倍の速度で仕事をしよう。そう思えないなら、まだ遅くない、人生80年時代である、新しい仕事を探したほうがよい」と伝えました。

 退職を勧めるのは辛いことですが、不満を抱えたまま働いている人を雇用することは“飼い殺しである”との信念でした。作田氏は、人と事業インフラは社会から、お金は資本市場からの借りものであり、最大限の活用をしないといけないと思っていたのです。

<連載ラインアップ>
■第1回「僕はギャンブラー」祖業の抵抗器から半導体事業へ転換して大勝ちした、ローム創業者・佐藤研一郎氏の勝負眼とは?
■第2回 虎の子の設計図を完全開示「競争を楽しむ」が信条のマブチモーター創業者・馬渕隆一氏の非凡人的な発想の原点とは?
■第3回破綻寸前のルネサス エレクトロニクスを奇跡の復活へと導いた「最後の男」作田久男氏が修羅場で見せた胆力とは?(本稿)
■第4回「キーエンスはつんく♂である」創業から50年にわたり驚異の粗利益率80%を維持する製品企画力の源泉とは?
■第5回 「ブラック・スワン」を見逃さない ジョンソン・エンド・ジョンソンが新事業の使い捨てコンタクトで成功できた理由
■第6回 20年間停滞し続けたミネベアミツミ、中興の祖・貝沼由久氏はいかにして業績5倍に成長させたのか?(4月1日公開)

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筆者:村田 朋博

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