江戸時代版『孤独のグルメ』に見る庶民の食への貪欲さ…皿持参で買いにいくテイクアウトの"煮しめ"や刺身サービスまであった

2025年3月31日(月)18時16分 プレジデント社

江戸の呑み事情に思いを馳せて、東京・芝大門の「江戸前 芝浜」にやってきた漫画原作者の久住昌之さん(左)と食文化史研究家の飯野亮一さん。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

江戸時代の庶民たちは、一日を締めくくる晩酌をどんなふうに楽しんだのか。食文化史研究家の飯野亮一さんとともに、江戸の晩酌を体験した『孤独のグルメ』の原作者、久住昌之さんは「現代人の自分がいま食べてもおいしいと思うつまみで飲んでいたようだ」と驚く——。

※本稿は、『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。


江戸の呑み事情に思いを馳せて、東京・芝大門の「江戸前 芝浜」にやってきた漫画原作者の久住昌之さん(左)と食文化史研究家の飯野亮一さん。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

■江戸の「振り売り」は魚売りもおなじみ


【久住】江戸の「振り売り」(天びん棒を担いで呼び声をあげながら食べ物を売り歩く商売)は、加熱したものばかりだったのでしょうか?


【飯野】いえいえ。魚売りもおなじみでした。しかも「夕鯵(あじ)売り」。


【久住】普通の鯵とは違う?


【飯野】夕方に揚がった鯵のことで、とても新鮮なのです。鯵は江戸湾で獲れた魚の代表格で特に江戸っ子に好まれました。当時、日本橋の魚河岸には、夕方には夕河岸が開かれて鮮度のよい鯵が売られていたのです。


「夕鯵の声は売人(うりて)も生(いき)てはね」(『誹風柳多留』天保四〈一八三三〉年)。あるいは


「うりにくる 夜鯵うつくし銀砂子」(『錦の袋』享保年間〈一七一六〜三六年〉)なんて、銀粉をまぶしたように鯵が光っている状態を表した川柳もあります。


【久住】なんとも贅沢。いま私たちがいる「芝浜」がある芝・芝浦界隈でも鯵が揚がったのでしょう。古典落語の名作『芝浜』では、魚屋の熊さんが「そこの桃色んとこ、ちょっとやってくれ」なんて言われて魚を捌くと、その手際と仕草がいいと評判だったが、呑むとこれがダメで……なんて描写があります。熊さん、鯵も捌(さば)いてたかな。


振り売りの魚売りが、注文の鯛をおろしているところ。客である女房は大きな皿を持って待っている。『四十八癖』二編 文化10(1813)年。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

【飯野】江戸前の魚というと、かつおが連想されがちですが、珍重されるのは初夏の初かつおの時期だけでとても短い期間でした。オールシーズン獲れて、江戸っ子が「江戸前のナンバーワン」として挙げていたのは鯵なのです。夕鯵売りはまな板と包丁も携えていて、買ったその場で刺身用や塩焼き用と、客が食べたいようにリクエストして捌いてもらえました。


【久住】庶民の長屋には台所はあるが水回りはよくないですからね。魚屋さんが長屋の路地なんかで捌いてくれたら、後は帰って呑むだけだ(笑)。そんな情景を思い浮かべて、鯵をいただいてみましょう。


■江戸の刺身は「塩酢」で食べていた


【久住】添えてあるのは醤油ではなくお酢ですね。


【飯野】江戸では、塩と酢を混ぜた塩酢に鯵を付けて食べることもしていたようです。


【久住】酢洗いや酢〆でなく、直に付けて食べるのは初めてです。わ、普段でも食べたいおいしさだ。薬味と一緒に食べるのもいいですね。塩酢をたっぷり付けてもうまいなぁ。うんうん。


江戸の情景を思い浮かべて、塩酢で食べる新鮮な鯵は、はっとするおいしさだ。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

【飯野】なますという食べ方がありますが、もともとは生の魚介を酢で食べたのでそう呼ばれました。そこから和えずに別々に出したものを「刺身」と呼ぶようになり、言葉が分かれていきました。江戸時代の刺身の調味料は本当に多様です。今と違って、食べる魚によって調味料を変えていました。


醤油が普及するのは、江戸中期以降。それまで何を付けていたかというと、一つは煎り酒です。


【久住】日本酒に梅干し、かつお節を入れて煮切った江戸の万能調味料ですね。


【飯野】酢は、料理によって合わせる材料を変えて味を変えます。たとえばわさび酢や生姜酢、ぬた酢、梅肉酢、蓼(たで)酢。豆腐と白胡麻と合わせる白酢に、細かくすった昆布と合わせる黒酢などなど。


【久住】塩酢で鯵を食べて、現代人の僕がおいしいと思うのだから、そりゃ当時の人もおいしかったことでしょう。時を経ていろんな思考や価値観が変わってきたというのに、純粋にこの食べ方がおいしいと思う感覚が変わっていないのが本当に面白いですね。それに魚ごとにお酢の味を変える工夫がとてもユニークです。今のようにレシピがあるわけじゃないし、自分なりの食べ方を工夫して編み出した人がいるのでしょう。


■江戸の家飲みはテイクアウトも充実


【飯野】江戸の家飲みではテイクアウトも盛んに利用されています。屋台とは別に、「菜屋(さいや)」と呼ばれる魚介や野菜を煮付けた煮染(にしめ)を売る店があって、生あわびやするめ、焼き豆腐、こんにゃく、くわい、れんこん、ごぼうなどをかつお節の出汁と酒、醤油で煮染めたものを売っていました。さらに、町のあちこちに「刺身屋」もありました。


【久住】魚屋とはまた別の小売店ですか?


【飯野】魚をおろしてきれいに盛り付けてくれます。ツマも大根、うど、生海苔、防風、赤芽(紅蓼)など2、3種類は常備しています。『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には、かつおとまぐろの刺身をおもにしていたとありますが、ただその他のものも、適当なものがその日に揚がれば販売します。「今世、江戸にありて京坂にこれなき生業」として紹介されています。


それほど江戸っ子は刺身を食べるのが好きだったんですね。


【久住】いま僕の目の前にある火取りかつおも刺身屋で売っていたものの一つですね。皮に塩を振って炙ってありますね。このままでも十分に塩気があって、う〜ん、おいしい。辛子醤油もいいし、先ほどの鯵のように酢を付けて食べてみてもまた美味です。


「火取りかつお」とは、鰹に塩を振ってしめ、皮目を炙ったもの。薬味に白髪ねぎ、みょうが、生姜を混ぜて添える。辛子と醤油でいただくもよし、酢を付けてもまた美味。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

【飯野】わからないのは、刺身屋にお皿がたくさん用意してあったのか、お客がお皿を持参して盛り付けてもらったのか。そこまでは書いてないですが、どうも僕は後者のような気がします。


【久住】後者のほうが返す手間がないですものね。こんな酒菜が店よりも安く、自宅で手っ取り早く食べられるなんて。せっかちな江戸っ子の気質にも合っていたのかもしれません。


■番付好きの江戸には「おかず番付」があった


【飯野】こちらをご覧ください。江戸時代の人気の倹約おかずを相撲や歌舞伎の番付風にランキングした、通称「おかず番付」です。


東側「精進方」は植物性食品、西側「魚類方」は魚介類のおかずです。この時代の最上位だった大関を筆頭に、関脇、小結、前頭と順位をつけて見立ててあります。


「雑」と付いているものはオールシーズン食べられ、「春」「夏」などと書かれているものは季節の味を表しています。


『日々倹約料理仕方角力番附』から四季を通じて多彩な酒の肴を味わっていたことがうかがえる。中央には、欠かせない漬物や調味料が記される。[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

【久住】なるほど。精進方のトップが八はいどうふというわけですね。次が昆布油揚げ、続いてきんぴらごぼうですね。親近感を感じるな(笑)。


【飯野】この『日々倹約料理仕方角力番附』は、庶民が日常食として利用しやすいものが中心となっているといわれていて、約200品のおかずが記されています。


『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)

【久住】いろいろ食べていたのですねぇ。豊かだなぁ。日本には四季があるということをあらためて感じます。魚類のほうは、大関が鰯のめざしに、あさりのむき身の切り干し大根。まぐろも入っている。今と変わらないじゃないですか(笑)。


【飯野】おかずとして好んで食べていたものではありますが、同時に酒の肴になるものが多数含まれています。


【久住】僕はグルメ漫画の原作を書いていますが、外国にこんな漫画はありません。でも日本ではほかにも多数のグルメ漫画があって、毎月のように雑誌や本が発売されている。海外から見たらどうかしてる民族かも(笑)。


僕が思うに、おかず番付は江戸時代版“孤独のグルメ”だと思うんです。酒を呑みながら「これが大関だろう」とか「なくちゃならない漬物はこれだろう」とかをあれこれ考えている。それを現代人の僕が見て、いいねと思ったり、食べて今もこれが一番うまいと賛同したり。自分の舌で江戸の人と繋がれた喜びがあります。


----------
久住 昌之(くすみ・まさゆき)
漫画家・ミュージシャン
1958年、東京都三鷹市生まれ。法政大学卒業後、美学校に入学し、赤瀬川原平に師事する。81年に、美学校の同期生、泉晴紀とコンビを組み、「泉昌之」として「ガロ」誌で漫画家デビュー。漫画原作や装丁家、エッセイストとしても活躍。女性漫画原作に挑戦した『花のズボラ飯』で、「このマンガがすごい!2012」オンナ編1位を獲得。官能的な食事シーンが話題となった。谷口ジローとコンビを組んだ『孤独のグルメ』は、ヨーロッパ数カ国やブラジルで翻訳出版されている。2012年1〜3月にはTVドラマ化されて好評を博した。ドラマでは、自身のバンドが音楽を担当。DVDBOXとサントラCDが発売された。
----------


----------
飯野 亮一(いいの・りょういち)
食文化史研究家
元・服部栄養専門学校理事。著書に『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』『晩酌の誕生』(ともにちくま学芸文庫)など。
----------


(漫画家・ミュージシャン 久住 昌之、食文化史研究家 飯野 亮一 文=江戸呑み連中 料理=海原 大「江戸前 芝浜」主人 撮影=大沼ショージ)

プレジデント社

「江戸時代」をもっと詳しく

「江戸時代」のニュース

「江戸時代」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ