「富の80%を持つ65歳以上」をターゲットに 金融業界初の老年学の専門家を採用した旧メリルリンチの戦略とは?

2025年4月2日(水)4時0分 JBpress

 日本をはじめ世界各国で進む超長寿化社会。これまで「老後」「シニア」とひとくくりにされてきた世代は、今や多様な価値観とライフスタイルを持つ「新しい消費者層」と再定義されつつある。本稿では『超長寿化時代の市場地図 多様化するシニアが変えるビジネスの常識』(スーザン・ウィルナー・ゴールデン著、佐々木寛子訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン)から、内容の一部を抜粋・再編集、3200兆円規模とも言われる、長寿市場におけるビジネスの可能性を論じる。

 米金融機関メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)は、長寿化のビジネスチャンスをどのように捉えたか?

事例1
クライアントの「100年人生」をプランニングするメリルリンチ

 金融サービス業は、長寿化のビジネスチャンスに最初期に気づいた業界の1つだ。ユーザーが長生きするようになり、延びた寿命分の生活を支える資産が必要となったためだ。

 残念なことだが、50歳以上の過半数が「老後の生活を支える資金が足りない」と回答している。こうした経済的不安は大きな国民的課題であり、今後、大きな財政課題にならないよう、国民に行動の変化を呼びかける必要がある。

 業界としても、クライアントが長寿に備える意識を持つようになれば、優先順位の判断や資産運用のニーズが生まれ、事業成長の強い牽引力となるだろう。

 フィデリティ証券、メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)、プルデンシャル証券などは、長寿化に伴う機会と課題を理解するために多大な投資を行ってきた。メリルリンチは業界に先駆けて事業戦略と人材戦略に長寿化を織り込み、従業員の長寿化に即した福利厚生を整備している。

 メリルリンチは、クライアントの高齢化を不安視するのではなく、積極的に長寿化を事業のコア要素として戦略を策定した。この判断は理にかなっている。富の80%以上は65歳以上の管理下にあるのだから1

1 Susan Golden and Laura. L. Carstensen, “How Merrill Lynch Is Planning for Its Customers to Live to 100,” Harvard Business Review,March 4, 2019.

 同社はまず、「人生の優先事項 7」プログラムを開発した。このプログラムでは、退職や引退のプランニングを、単なる資産面での健全性だけでなく、資産、住宅、健康、家族、趣味やレジャー、寄付、仕事の7分野にまで拡張してプランニングを行っている2

 プログラムに参加するクライアントは、ポートフォリオにアクセスして、資産についてアドバイスを受けるだけではない。診断ツールを使って、自分の人生のステージを判断し、7分野に優先順位をつける。この優先順位づけをもとに定期的にポートフォリオの見直しが行われる仕組みだ。

 この事例で注目すべきは、メリルリンチがクライアントに自分はどのステージにいるかを尋ねている点だ。そんなふうに考えたことのない人にも検討を迫る。長寿マーケティングでは、自社カスタマーがどのステージにいるかを調査して、それを踏まえてターゲット設定を考えるのも良い方法だ。

 メリルリンチは2014年、現場スタッフがクライアントを理解できるよう、金融業界で初めて老年学の専門家を採用した。

 提案の質はアドバイザーが顧客のステージを理解できているかにかかっているので、メリルリンチの1万4000人のファイナンシャル・アドバイザーは老年学の専門家による研修・教育を受け、ライフプラン、長寿化、加齢、退職などについてクライアントに役立つ提案ができるスキルを習得した。この研修では、「80歳以上の人はこうすべき」などと年齢をもとにアドバイスをしないよう徹底されている。資産計画には、年齢よりステージが重要なのだ。

 メリルリンチは、アドバイザーが資産上の優先順位を設定するために、クライアントの主要ライフステージを6つ設定し、各ステージのニーズを理解するためのマップを独自に作成した。6つのステージは「成人期初期」「育児期」「介護期」「退職期」「おひとり期」「終末期・レガシー期」である。6つのステージには、それぞれに重大イベントもあれば、資産上の懸念もある、異なる旅路だとメリルリンチは考えている。

 人生の優先順位とステージを統合することで、メリルリンチはより具体的な資産計画のツールと金融商品を開発できるようになった。さらに同社は、その新戦略とフレームワークを自社の人事制度にも適用した。柔軟なキャリア制度や就業時間規定、介護支援、定年後の継続就労などが、従業員の要望を踏まえて実現されたのだ。

 2021年には従業員向けの新しい高齢者ケア給付を導入した。家族の高齢者介護の調整を支援するサービスや、終末期・レガシー期の家族を介護するための有給家族休暇などの福利厚生を充実させたのだ。

2Susan Golden and Laura. L. Carstensen, “How Merrill Lynch Is Planning for Its Customers to Live to 100,” Harvard Business Review,March 4, 2019.

●企業名:バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)

●ドメイン:金融サービス

●サブドメイン:女性投資家と金融リテラシー、金融搾取と高齢者虐待の防止

●市場規模:7〜8兆ドル

●対象ステージ:初発進から人生の幕引きまで、全18ステージ

●ベストプラクティス:新商品設計に向けた金融老年学の専門家の採用。従業員とクライアント向け研修の導入。経営層が取り組みを会社を挙げて支援している点。従業員への介護手当の実施

 メリルリンチのライフステージ・モデルも参考にはなるが、本書のステージの方が網羅性が高く、ステージのマップも本書の方が詳細まで行き届いている。たとえば第2章で出てきたエドワルドとキムは定年退職しておらず、パートナーに先立たれてもいない。

 マリアの娘エリンは「介護期」と「成人期初期」の両ステージにいる。エドワルドはメリルリンチのどのステージにも該当しない。そうした限界はあるものの、メリルリンチの複合的なアプローチを用いれば、エドワルド、キム、エリンは、自分の人生の優先順位と資産上のステージの両方を考慮したうえで、資産面でやるべきことを把握しやすくなるだろう。

 金融サービス業は、「年齢よりもステージ」の発想をマーケティングや商品開発戦略にいち早く取り入れた業界だ。さらに多様なサブドメインへの理解も早かった。

 ファイナンシャル・アドバイザーを対象とした最近の調査では、29%が長寿化を、自社が影響を受ける最大のマクロトレンドだと認識していた。そのうち44%は、今後10年でクライアントの寿命が延びることで事業に大きな影響が出ると予想しており、長い生涯を通じてクライアントの資産を維持するのは難しい課題になると考えている3

 長寿高齢化は引き続き、金融業界にとっての重大トレンドであり、資産管理や金融商品の戦略は、このトレンドを踏まえて設計されるだろう。貯蓄や予算管理用アプリなどを中心に、ベンチャー企業もこの領域に参入している4

3 Lavanya Nair, “This Increasing Client Risk Will Change Advisor Practices. Here’s Why,” FinancialPlanning, March 12, 2019, https://www.financial-planning.com/news/schwab-studycites-longevity-as-most-impactful-on-advisor-firms
4 企業の例として、Silvur、Golden Seeds、Golden(https://www.joingolden.com/)などが挙げられる。

【サブドメイン】女性向けの投資商品と金融リテラシー

「長寿化を理解することで、クライアントにより良いサービスを提供できるようになりました」とメリルリンチ・ウェルス・マネジメントのアンディ・シーグ社長は述べる5。同社がカスタマーや商品について長寿化の視点で考えたとき、「人生後半を生きるうえで何が必要か」よりも「幸福や満足を増す要因は何か」が重要だったという。

 長寿マーケットへの理解に注力した同社は、さらに多くのサブドメインやセグメンテーションでビジネスチャンスを発見していった。2018年、メリルリンチは、現状の定年までの男女の資産格差は100万ドルに上ると発表した。この格差の要因は3つ、男女の賃金格差、女性に多い育児や介護によるキャリア中断、平均寿命の男女差である6

 質的・量的調査から、メリルリンチは、多くの女性がもっと投資をすればよかったと後悔していることに気づき、同社のサブドメインである金融リテラシー領域で、女性専用のツールを開発し、長く複雑な人生に備えるサポートを始めた。女性投資家向けの金融教育は、同社の戦略の一翼を担っている。

【サブドメイン】金融搾取と高齢者虐待の防止

 悲しいことだが、人生の幕引きステージに関連した成長マーケットとして、高齢者への金融虐待対策がある。「終活」や「人生の幕引き」ステージの高齢者を食い物にするというと、セールスマンなど赤の他人を想像しがちだが、実は、身近な家族による経済的搾取の方が多い。弱い立場の高齢者や信用しやすい親族が搾取され、家庭が破壊するのを目の当たりにした経験は私にもある。

 被害総額の推計はさまざまだが、こうした搾取や詐欺被害は毎年少なくとも90億ドル、多ければ300億ドルに上る。事件の約98%は公表されておらず、高齢者保護局や警察に通報があるのはわずか44人に1人という状況だ。

 この問題を理解するために、2つの重要な定義を見ておきたい。

5 Andy Sieg, “Longevity: The Economic Opportunity of Our Lifetime,” Forbes,December 16, 2016, https://www.forbes.com/sites/nextavenue/2016/12/16/longevity-the-economicopportunity-of-our-lifetime/および、スーリヤ・コルリ氏への著者インタビューより(2018年7月実施)
6 Merrill Lynch Bank of America Corporation and Age Wave, “Women & Financial Wellness: Beyond the Bottom Line,” 2018, https://agewave.com/what-we-do/landmark-research-andconsulting/research-studies/women-and-financial-wellness/

 米国国立傷害予防管理センターによる、「経済的虐待・搾取」の定義を見てみよう。

「高齢者本人以外の利益のために、介護者または信頼関係にある他人が、高齢者の資源を違法、無許可、または不適切に使用すること。これには、個人的な利益、資源、持ち物、資産への正当なアクセスや情報の取得、利用の手段を高齢者から奪うことを含む。具体的には、金銭や所有物の偽造、悪用、窃盗、金銭や財産を引き渡すための強要や欺瞞的行為、後見人や委任状の不適切な使用などである7

 米国法曹協会と、全米法律と高齢者の権利センターは、「不当な影響力」とは「役割や権力を利用して、他者の信頼や依存、恐怖を搾取すること。手にした権力で、相手の意思決定に不当な影響力を持つこと」と定義している8

 金融機関は司法と詐欺対策に取り組んでいるが、この手の特殊詐欺は被害者が死亡するまで発見されないことも多いので、そのリスク要因について家族や介護者が学ぶ機会をいろいろと設ける必要がある。

 高齢者の詐欺予防としては、書面で事前指示書や代理委任状を作成するなど、情報をわかりやすく明確化しておくことが大切だ。安易にビジネスチャンスだとは言いづらい問題だが、虐待のターゲットにされる高齢者や、その周りの人たちも助かるような商品・サービスへのニーズは本当に大きい。

「介護としての財産管理」とも呼ぶべき新たなサブドメインでは、True Link(トゥルーリンク)、Everplans(エバープランズ)、Silver Bills(シルバービルズ)、Golden(ゴールデン)、Eversafe(エバーセーフ)、FreeWill(フリーウィル)など、多くの中小企業が台頭している。

 こうした企業のサービスには、光熱費の支払いなどの金銭管理を高齢者に代行し、他人が資産にアクセスできないようにするものもある。あるいは、定期的に入金されるプリペイド式のデビットカードを渡すことで、一度に使える金額を制御し、資産の流出を防ぐサービスもある。

7 Jeffrey Hall, Debra Karch, and Alex Crosby, Uniform Definitions and Recommended Core Data Elements for Use in Elder Abuse Surveillance(Atlanta: National Center for Injury Prevention and Control, 2016).
8 Lori A. Stiegel and Mary Joy Quinn, “Elder Abuse: The Impact of Undue Influence,” issue brief, American Bar Association and National Center on Law and Elder Rights, June 2017.

<連載ラインアップ>
■第1回「富の80%を持つ65歳以上」をターゲットに 金融業界初の老年学の専門家を採用した旧メリルリンチの戦略とは?(本稿)
■第2回 ターゲットは1キロ8分ペースの「スローランナー」18〜34歳を狙っていたナイキは、なぜ高齢アスリートに目を付けたか

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筆者:スーザン・ウィルナー・ゴールデン,佐々木 寛子

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