イラつかず、マウントもとらず何度でも直してくれる…医師・岩田健太郎が生成AIにお願いしている苦手な仕事

2025年4月17日(木)8時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Just_Super

AIとの対話から学べることは何か。生成AIをフル活用する感染症医の岩田健太郎さんは「すぐにキレたりマウントを取る人間よりも、AIを相手にしていたほうがずっと精神衛生上ましだという時代がそのうちくるかもしれない」という——。

■「専門バカ」状態からどう脱するか


専門家とは、その名の通り、ある領域に専(もっぱ)ら、どっぷり入れあげた人のことである。


入れあげているがゆえに、その専門領域外の世界については無知なことが多い。「専門バカ」と呼ばれる所以であるが、専門性を追求すればこういう結論に至るのは当然である。


専門家でありながら、専門家が陥りがちな「専門バカ」状態にならないためにはどうしたらよいか。ある疫学(えきがく)者は科学哲学を学ぶことでこれを払拭(ふっしょく)しようとした。


疫学とは、「疫」、すなわち流行病の学問のことである。英語では「epidemiology(エピデミオロジー)」、すなわち「epidemic(エピデミック)」(流行病)に学問を意味する「-ology」という接尾辞を加えている。集団における病気の頻度や原因、対策などを学ぶ学問だ。


くだんの疫学者はヒュームやフッサールなど、哲学あるいは科学哲学を学び、これを援用することで専門家が陥りがちな「専門バカ」状態から脱し、より普遍性の高い知見や洞察を得ようとした。


しかし、私が見るところ、彼は「疫学こそが最高かつ最強の学問である」という自領域の優位性を確信しており、その信念から離れられなかった。その前提から動かない限り、彼は「哲学を自分の理論武装に利用している」専門家であり、「専門バカ」から回避できる保証を得ていないように思う。


写真=iStock.com/Just_Super
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■ルサンチマンという悪因による失敗


疫学や公衆衛生学(あるいはその近縁にある感染症学)は諸外国に比べ、日本ではあまり進歩していない。また、十分な認知も得ておらず、学問上のプレゼンスも高くない。彼は、「日本では虐げられているが、実は疫学こそが学問中の学問である」という固い信念を持っていた。この信念に固執した。であるがゆえに、いかに哲学書を読み、科学哲学を応用しようとしても、「疫学こそが医学にあって最高」という信念を強化するような方向でしか活用できなかった。ここに彼の失敗があると、私は考えている。


ことほど左様に、「専門家」は自分の専門領域こそが学問上の最上位にあるとアッピールする欲望を抱きがちだ。


自分が好きでのめり込んだフィールドである。贔屓(ひいき)の引き倒しになりがちなのは、感情的には理解できる。特に、周囲からの認知が十分でない、いわゆる「日陰」の存在の学問領域、専門領域の人たちは、このようなアッピールに走りやすい。


つまりはルサンチマン、すなわち「恨み」であり「怨恨(えんこん)」の問題だ。日本では感染症学も日陰の存在であるから、私自身も感情的には同感する。


■世の中で最も役立たない感情は嫉妬心


しかし、冷静になって考えれば、ルサンチマンをベースに議論するのは理性的でも、論理的でも、そして科学的でもない。ルサンチマンをベースにした時点で(たとえ哲学的知見を援用しようと)、その科学論は失敗しているのである。


私見だが、世の中で一番役に立たない感情が嫉妬心であり、二番目に役に立たない感情がルサンチマンだと思っている。いずれも負のエネルギーであり、生産性はゼロである。嫉妬心は他人の足を引っ張らせるから、むしろマイナスの生産性をもたらしかねない。


ルサンチマンは仲間内での結束を高め、「他人をdis(ディス)る」ことによる感情的な快楽をもたらすこともあるが、それが何かのポジティブなプロダクトをもたらすことはないし、周囲からは怖がられるだけである。


ルサンチマンの感情が、ルサンチマンの原因を解決するのに役立つことは少ない。ルサンチマンをもたらす原因は、ルサンチマン以外のエネルギーで克服するのが合理的である。例えばプラグマティズム。プラグマティズムとは、チャールズ・サンダース・パースを創始者とするアメリカの哲学で、「実用主義」と訳される。


プラグマティズムの創始者として知られるアメリカの哲学者、チャールズ・サンダース・パース(1839〜1914)(画像=NOAAデジタルコレクション/PD US NOAA/Wikimedia Commons

■「真のアウトカム」とは何か


プラグマティズムにおいて大切なのは「結果を出す」ことである。日本社会は全体的にこの「結果にこだわって」こなかった。プロセスのほうが大事なのである。


スポーツの世界で喩(たと)えるならば、夜を徹して素振りの練習をする、という「死ぬ気でトレーニング」というプロセスのほうが大事なのだ。それで疲れ果てて、肝心の試合でさっぱりヒットが打てなくてもかまわないとすら思っている。


いやいや、部活動では常に指導者も親御さんも「結果」にこだわっているではないか、という反論もあるかも知れない。しかし、小学生や中学生時代の試合の「結果」はほんとうの意味での「結果」ではない。難しい言い方をすれば、「真のアウトカム」ではない。


野球であれ、サッカーであれ、本当に目指すべきは競技年齢のピークでパフォーマンスを最大化することであろう。大リーグやプレミアリーグで活躍するのが、「真のアウトカム」なのだが、なぜか多くの保護者は小学生とか高校生の大会で勝つことに全力を尽くしてしまい、悪くするとそこでバーンアウト、その後は競技をやめてしまったりするのである。若いときは、目先の試合の勝ち負けや優勝よりも、自分が選手として成長するほうを優先させるべきなのだが。


■結果よりも「一定の成果」が評価されるワケ


いわゆる「お役所仕事」も結果よりもプロセスにこだわる。だから、書類仕事や悪名高き「ポンチ絵」も、読みにくくて面倒くさくて、ナニが言いたいのか分かりにくいものほど、官僚から評価が高い。


簡潔明瞭で、数秒でメッセージが伝わるパワポは「ズルをしている」と見なされて、嫌悪される。メッセージが伝わるより、作成に手間ひまがかかるほうが大事なのだ。たとえ、何が言いたいのか分からなくなったとしても。


そもそも、「結果」にこだわってしまうと、仕事の成否が明らかになってしまう。日本の役人は「失敗すること」を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌悪するから、成否が明確になっては困るのだ。「必死で努力し、山のような書類を作り、『一定の成果』を上げた」と言えばそれでよいのだ。「一定の成果」が何を意味するのかは判然としなくても全然構わない、というか、そのほうが望ましくすらある。


■キレずにマウントも取らない生成AIの進化


幸いなことに、この七面倒臭い書類やポンチ絵は、今や生成AIが瞬時に作ってくれる。ちょっと前までは生成AIは平気でデタラメなことを言うので、まったく「使えなかった」。


「岩田健太郎とは」と問うと、ゲーム開発者である、としれっと答えたものである。ところが、AIの進歩は著しく、今は妥当性の高い回答が返ってくる。書類仕事も得意で、「長々と、くどくどと、グローバルとか、サステナブルとか、それっぽいキラキラワードを散りばめて、日本の役人が満足しそうな書類にまとめて」と言えば瞬時に作ってくれる。私はこの手の「無意味な」文書づくりが大の苦手なので、AIさんには心から感謝している。


写真=iStock.com/hapabapa
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さらに重宝するのはプログラミングの修正で、「うまく走らないんだけど」と言うと、即座に直してくれる。たいていはピリオドをひとつ、カッコの右側を書き損じたという些細なヒューマンエラーが失敗の原因なのだが、これを人力で探し出すのはけっこう大変だ。生成AIさんは、こういう細かい仕事を丁寧に正確に、そして迅速にこなすのだ。


結果にもうひとつ満足いかないこともある。そのときは、「いや、なんかまだおかしい」と言えば、即座に修正案を出してくれる。何度でも直してくれる。絶対にあせらない、疲れない、イライラしない、キレない。マウントも取らない。


■AIを手本にして取り戻せる人間性


もはや、コンピューターのことで分からないことはネットの掲示板に上げるべきではない。そういう界隈ではマウントを取りたがる意地悪な人間たちが「お前、こんなことも知らないのか」「ググれ、カス」と愚弄(ぐろう)してくるのである。SNSにアップするなんてもってのほかで、もはやSNSは対立と分断と憎悪を倍々に増幅させる、醜悪な装置に成り下がった。質問や議論をSNSでやるのは下の下策だ。


すぐにキレたり、マウントを取る人間よりも、AIを相手にしていたほうがずっと精神衛生上マシ。そういう時代が早晩くるかも知れない。『鉄腕アトム』の時代だ。そこでは、AI(あるいはロボット)は人間に危害を及ぼしたりはせず、丁寧で、奢(おご)らず、威張らず、マウントを取らず、ましてや誹謗(ひぼう)中傷もしない。「人間を相手にするのは疲れるから、AIを友達(あるいは恋人)にしよう」という若者が今後増加しても少しも驚かない。


人間が人間社会で生き延びていけるとすれば、そういうAIさんから学び、嫉妬心もルサンチマンも、世の役には立たないことを悟ったときだけなのかも知れない。


AIを手本とすることで、初めてまっとうな人間性を取り戻す。星新一のSFショートショートのシナリオに出てきそうな未来予想であるが、悪くない話だ、とも思う。


写真=iStock.com/Keeproll
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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。
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(神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)

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