なぜトランプ大統領が"道徳の最後の砦"になるのか…普通のアメリカ人が陰謀論を信じてしまう背景
2025年4月19日(土)9時15分 プレジデント社
2025年4月8日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで、大統領令に署名するドナルド・トランプ米大統領 - 写真提供=Pool/ABACA/共同通信イメージズ
■トランプ支持と深く結びつく陰謀論
アメリカの話題を続けよう。ここで、いわゆる「陰謀論」に少しばかり立ち入っておきたい。一部のトランプ支持者は、陰謀論を通じて状況を解釈し、トランプを応援しているからである。すべてのトランプ支持者が陰謀論を信じているわけではない。が、すぐ後に述べるように、陰謀論を唱えたり、受け入れたりしている人は決してごく少数というわけでもない。
しかも、逆側は、つまり陰謀論を根拠にして民主党を支持している人はほとんどいない。陰謀論はトランプ支持と深く結びついた現象である。
トランプ自身はどうなのか。彼が公然と、極端な陰謀論——たとえばQアノンのそれのような——を語ることはないが、しかし自身を陰謀論的なコンテクストで支持している者がたくさんいることを理解しており、明らかにこれに便乗している。
また、トランプやその側近も、陰謀論の中心的な観念「ディープステート(闇の政府)」にはしばしば言及してきた。自分たちは、ディープステートと闘っているのだ、と。
写真提供=Pool/ABACA/共同通信イメージズ
2025年4月8日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで、大統領令に署名するドナルド・トランプ米大統領 - 写真提供=Pool/ABACA/共同通信イメージズ
■どれくらいの人々が陰謀論を受け入れているか
ここで、「ディープステート」の直接的な指示対象は民主党政権や民主党のリベラルな指導者たち(オバマ、ヒラリー・クリントン、バイデン等)だが、それらが「ディープ(闇の)」と言われるのは、彼らがいわば二重性を帯びており、陰の見えないところであやしげな陰謀にコミットしていると見なされているからだ。
イーロン・マスクの「政府効率化」もただの行政改革ではない。民主党政権がディープステートだったならば、多くの職員が陰謀にかかわっていたはずであり、そうした職員を見つけ出し、追放することが、政府効率化の(ひとつの)目的である。
どのくらいのアメリカ人が陰謀論を受け入れているのか?
ベネンソン・ストラテジー・グループが2022年10月に実施した意識調査によれば、「連邦政府が秘密結社(secret cabal)に支配されている」という見解に賛成だと答えた登録有権者の率は、なんと半数近く——44%——にもなる。
共和党員に限定すれば過半数(53%)、民主党員に関してはこれよりもだいぶ少ないが、それでも3分の1を超える数(37%)の者たちが、この意見に同意している。
ここで「秘密結社」という語をゆるやかに、「隠れてこそこそと不正を働いている連中」という程度にとればノーマルな認識に近づいてくるので、この数字をそのまま、陰謀論の信奉者の比率と解釈することはできないかもしれないが、きわめて多くの普通のアメリカ人が陰謀論に親和的な世界観をもっていることは確かである。
■最も影響力のあるQアノンの陰謀論
現在のアメリカで流通している陰謀論の中でも、最もインパクトのある陰謀論、その内容の豊かさという点でも、また人々の意識や行動に与えた影響力の大きさという点でも最も重要な陰謀論は、Qアノンの陰謀論であろう(*1)。
「Q」と名乗る匿名の人物がインターネット掲示板「4ちゃん(4chan)」に最初にメッセージを投稿したのは、第一次のトランプ政権の最初の年(2017年)の10月である。もっとも、前年12月——トランプの当選は決まっているがまだ大統領には就任していないとき——に起きた「ピザゲート事件」の犯人は、明らかにQアノンの物語に準拠しているので、この陰謀論が発生したのは、最初のトランプ政権の発足の直前——おそらくはトランプとクリントンの選挙期間中——ではなかろうか。
Qアノンの物語は、さまざまなヴァリエーションがあってひとつに定まってはいないが、おおむね次のような設定を採用している。アメリカ≒世界を支配しているのは、リベラルなエリートたちである。すなわち、リベラルな政治家や大富豪たちだ。たとえばオバマ(黒人)、ヒラリー・クリントン(女性)、そしてジョージ・ソロス(ユダヤ人)等が世界を支配している。
「世界の支配」ということで、具体的に彼らは何をやっているのか。彼らは大規模な地下トンネルを造って、そこに多数の子どもたちを閉じ込めているのだ。何のために? 子どもたちを性的に虐待したり、小児性愛の趣味をもつエリートたちに子どもを売ったり、あるいはこれら「地下トンネルの子どもたち」の体内から、若さを維持する効能をもつとされる「アドレノクロム」という物質を抽出したりするためである(*2)。
■Qアノンの信奉者と終末論的な物語
これらリベラルな支配者、つまり悪魔と闘い、その支配を終わらせようとしているのが、神からその使命を与えられたトランプだ……ということになっている。トランプはしばしば、「GEOTUS(合衆国の神=皇帝:God-Emperor of the United States)」、あるいは「Q+」(Qより強いという意味)などと呼ばれている。
どのくらいのアメリカ人が、このQアノンの物語を信じているのか? アメリカの公共宗教研究所が2021年3月に実施した意識調査では、主要な国際機関をコントロールしているのは「世界的な児童性売買組織を運営する悪魔崇拝の小児性愛者」である、というQアノンの中核的なアイデアを正しいとしたのは、成人のおよそ15%である。
連邦議会議事堂を襲撃した者たちの多くがQアノンの信奉者だったわけだが、この事件の直後に、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所が行った調査でも、ほぼ同じ比率の回答者が、トランプがハリウッドや民主党の小児性愛者との見えない戦争に関与しているという説を支持していた。この調査では、キリスト教福音派の信者に限れば、4人に1人よりも高い率(27%)の回答者が、Qアノンの主張はほぼ真実であると答えている。
要するに、最も過激な陰謀論であるQアノンのそれを支持しているアメリカ人は、決して少なくはない。意識調査によれば、およそ6〜7人に1人のアメリカの成人が、Qアノンの物語の大筋を事実と見なしている。典型的なQアノンの物語は、全体としては、「キリスト教」風の終末論的な枠組みの中にある。トランプと民主党のエリートとの闘いは、善と悪との間の最終戦争であり、トランプが勝てば、アメリカでは戦争も病気もない新たなキリスト紀元が始まる……とされている。
QアノンのTシャツを着るアメリカの男性(写真=Marc Nozell/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
■なぜ小児性愛が最もおぞましいことなのか
ところで、多くの人は——とりわけ日本人は——このQアノンの陰謀論に関して、疑問を抱くのではないか。どうして小児性愛なのか? どうして最も悪いこととして小児性愛が選ばれているのか? なるほど小児性愛は悪いことかもしれないが、どうしてそれが「究極の悪」としての地位に置かれているのか? 邪悪なリベラルは、小児を性的に凌辱(りょうじょく)するために世界で最も強力な政府(アメリカ政府)と主要な国際機関(国連、IMF、NATO等々)を牛耳ろうとしている……とのことだが、なぜそんなことのために、かくもめんどうでコストのかかることをしようとしているのか?
Qアノンのステッカーを後部窓に貼ったアメリカのトラック(写真=XPlayer2x/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
この疑問に関してだけ、私の仮説を述べておこう。それが、「道徳」に関して本書で先述したことに対して傍証を与えることにもなるからだ。
アメリカとヨーロッパでは、子どもに対する性的な虐待、子どもを性的な対象とすることが特別におぞましく悪いことであるという感覚が広く共有されている。子どもを凌辱することは、悪の中の悪、特権的な犯罪とされているのだ。この感覚が欧米では広く共有されているので、最も邪悪な人々が小児性愛にすべての力を注いでいるという物語も「然(さ)もありなん」と受け入れる。しかし、どうして小児性愛が特別に悪く、嫌悪すべきものと感じるのか? その理由を当の欧米の人々も理解できてはいない。この感覚をもたらしているのは、次に述べるような無意識の心的な連関だからである。
■子どもの性的なイノセンスは最後の防御壁
私の考えでは、1960年代後半から始まる「性の解放」が背景にある。それまで道徳的に非難されていたようなさまざまな性的行動、倫理的に問題視されていた「倒錯」が、次々と、それぞれの個人の性的嗜好(しこう)のひとつとして許容されるようになった。性の領域における革命・解放は、前回に述べた寛容な社会、許容的な社会へのトレンドの最も顕著な現れである。このトレンドの延長線上には、道徳の真空状態が待っていることが予感される。
子どもの性的なイノセンスは、極限の「道徳の真空状態」への到達を阻む最後の防御壁のようなものである。子どもまでも性的な快楽の対象としてもよいということになれば、性をめぐる規範、性的な道徳はもはやまったくないに等しい状況に至る。子どもだけは、性の解放が及んではならない場所になっているのだ。このことには、独特の心理的な効果がある。
たとえば、校則に反する行動をとっていたとしても、先生に見つからなければ、先生がそれを知らなければ、校則に反したことにはならない。悪いことをしていても、「神」の目がそれを認知しなければ、その悪は存在しないに等しいのであって、善なる秩序は保たれていることになる。
■第三者の審級の視点となる子どもの目
ある行為が善であるか、悪であるかは現れで決まる。何に対する現れか? 特定の準拠となる視点(先生の目、神の目等)に対する現れである。「準拠となる」とは、私自身の用語を使って表現すれば、「第三者の審級がそこに投射されている」ということである。
いずれにせよ、準拠となる視点(第三者の審級の視点)に対して現れていなければ、その「悪」は、社会的な実効性があるものとしては存在していない。そして、性に関する行動の領域では、子どもの目こそは、その「準拠となる視点」としての機能を担っているのだ。
したがって、子どもの無知(イノセンス)を想定できれば、つまり子どもが「それ」(さまざまな冒瀆的な性行動)を知らないはずだと仮定できれば、性をめぐる道徳の真空状態は回避できる。肝心な他者(この場合は子ども)が知らなければ、道徳は維持されていることになる。
別の言い方をすれば、子どもの無知を想定することができるとき、性を安心して解放することができるのである。いくら冒瀆的・倒錯的なことがなされたとしても、性をめぐる道徳が最終的には崩壊しないことが保証されているからである(*3)。
■だからトランプは道徳の守護者とされる
だから——性をめぐる道徳の零度を回避したければ——子どもだけは、性的な行動の奔放さ、性の解放から隔離されていなければならない。子どものイノセンスを厳密に保たなくてはならない。
大澤真幸『西洋近代の罪 自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』(朝日新書)
だからこそ逆に、許容的な社会への道を推進しているように見えるリベラルに対して、不穏なものを感じている右派には、リベラルが、まさにこの「子どもの性的なイノセンス」を破壊しようとしている、と感じられるのだ。
オバマやヒラリー・クリントンという個人の公的に流通しているイメージは、「小児性愛」とはかけ離れている。小児性愛へと向かっているように感じさせているのは、彼らの個人的なイメージではなく、彼らに代表されているリベラルの理念と運動が孕(はら)む潜在的な含意である。
そして道徳の最後の守護者であるトランプは、子どものイノセンスを維持するために闘っている……という物語になる。
*1 以下、Qアノンに関する事実は、主として次の諸文献に基づく。ウィル・ソマー『Qアノンの正体 陰謀論が世界を揺るがす』西川美樹訳、河出書房新社、2023年。マイク・ロスチャイルド『陰謀論はなぜ生まれるのか Qアノンとソーシャルメディア』烏谷昌幸・昇亜美子訳、慶應義塾大学出版会、2024年。橘玲「トランプ氏を熱狂的に支持した『Qアノン』たちは、どのように誕生し、アメリカ社会にどんな影響を与えたのか?」2024年6月13日。
*2 前段で言及した「ピザゲート事件」とは、「ヒラリー・クリントンの選挙関係者がワシントンのピザ店の地下室で児童に対する性的虐待や人身売買を行っている」という話を事実と見なした男がライフル銃をもってピザ店に押し入り、店内の壁等を銃撃した事件である。
*3 1960年代後半からの「性の革命」の理論的な根拠は、フロイトにあった。ヴィルヘルム・ライヒ等を媒介にして、フロイトが解釈され、性の解放の推進者たちの行動が正当化されたのだ。だが、この際、フロイトの理論のひとつの要素だけが(ほとんど)無視された。無視されたのは、幼児性欲の理論である。フロイトは子どもにも性欲があり、中心的な性感帯が発達に応じて段階的に変化すると主張していた(口唇期、肛門期等)。性の解放がフロイトに依拠していたのに、どうして幼児性欲の理論だけ取り入れなかったのか。その答えは、本文に書いたことにある。性の解放にとっては、幼児に性欲があっては困るのだ。
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大澤 真幸(おおさわ・まさち)
社会学者
1958年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、講談社現代新書)など著作多数。
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(社会学者 大澤 真幸)