未知の顧客ニーズをどう満たす? 世界最大の化学メーカー独BASFが、イノベーション実現のために考えた解決策とは
2025年4月16日(水)4時0分 JBpress
イノベーションとは、必ずしも壮大な目標や崇高な理念の下で生まれるものではなく、選ばれし一部の人間によって成し遂げられるものでもない。課題解決方法の改善と挑戦という身近な取り組みこそが、イノベーションの実現につながる。本稿では、世界的な経営大学院INSEADの元エグゼクティブ教育学部長であり、一橋大学で経営学を学んだ知日家としても知られるベン・M・ベンサウ氏の著書『血肉化するイノベーション——革新を実現する組織を創る』(ベン・M・ベンサウ著、軽部大、山田仁一郎訳/中央経済社)から内容の一部を抜粋・再編集。W.L.ゴア、サムスン、IBMなど世界的な大企業がどのように障害を乗り越え革新をもたらしたかについて、その実行プロセスからひもとく。
ここでは、ドイツに拠点を置く世界最大規模の化学企業BASFが、顧客のニーズに応えるために創出した新たなサービスモデルを事例として取り上げる。
イノベーションを生み出す習慣
1865年に創立し長い歴史を持つBASFのように、過去に数々の成功を収めてきた多くの企業では、閉鎖的な組織文化が育まれる傾向がある。例えば、自らの専門分野で世界的にその地位を確立した社内のマネージャーや従業員達は、組織外の人間が自分たちに教えてくれることはない、と考えるようになる。
競争が激しい業界に身を置くと、自分たちの大切な知的財産を守りたいという思いから、秘密主義に陥りがちで、会社の重要な利害関係者であったとしても、それらの外部の人との自由闊達な意見交換を敢えてしなくなる。
BASFも例外ではなかった。当時の関係者の言葉を借りれば、同社の成功は「内から外(from the inside out)」によって推進されたものだった。それは、「企業内部の研究の卓越性であり、研究に専念したラボを通じたイノベーションの推進、効率的な製造と製品ラインの最適化に焦点を当てたコア・プロセスの設計、完璧なロジスティクス、信頼できる配送などによって体現されたもの」であった。
こうした「内から外(inside-out)へ」の強みはいずれも、かけがえのない重要なものである。しかし、BASFは、同社や従業員自身が顧客から学び、外部環境の変化に適応できるような新しい「外から内(outside-in)へ」の能力を開発する必要があった。
変革を主導するBASFの幹部は、取締役会の構成員に至るまで、この問題を認識していた。彼らは顧客との対話や交流を促進するために、同社に既にあった「マーケティング・セールス・アカデミー」の中に1つのプログラムを開始した。このプロジェクトは「顧客のさらなる成功に貢献しよう(HCS:Help Customers to be more Successful)」と名付けられた。
それは、BASFの従業員が、結果に先入観を持たずに顧客から学び、BASF独自のソリューションやアプローチを即座に顧客に提案するのではなく、むしろいったん保留することを学ぶことを目指している。つまり、1つの型をすべての人や状況に適用する(one-size-fits-all)という考え方を顧客に押し付けるのではなく、顧客の多様性とそのニーズを大切にする方法を学ぶことを目標に据えているのだ。
HCSプロジェクトの当初の成果は、BASFにとって期待に添うものとなった。というのも、マーケティングや営業だけでなく、製品開発、製造、物流、経理、カスタマーサービスなど、より幅広い部門の従業員をプロジェクトに巻き込むことが、より大きな価値を実現できることを示唆していたからだ。結果的にこのHCSプロジェクトは「パースペクティブズ」と呼ばれる全社的な組織文化変革の取り組みに発展した。
この組織文化変革の全社的取り組みはその後、18億ドルの事業規模を誇るBASFポリウレタンの社長であるヤケス・デルモイティーズが主導し、彼の同僚であるアンドレス・ジャッフェに引き継がれた。その背景にある目標は、BASFの現在の顧客と、BASFにとっては未知の顧客の、満たされていない、あるいは顧客自身でさえ明言していないニーズを定義し、彼らのニーズを革新を通じて満たすことに狙いを定めた新たな取り組みを始めることにあった。
ジャッフェのチームには、世界各地の事業代表者や、特定機能で専門性を有する専門家が含まれている。BASFの各部署がこの取り組みに新たに参加する際には、彼らは社内コンサルタントの役割を果たすことが期待されている。
組織全体のイノベーションを集中支援する社内組織として、このパースペクティブズは、BASFが独自のイノベーション創出のための駆動力を社内に体系的に構築する最初の取り組みとなった。その全体目標は、BASFのイノベーション実現能力を企業全体にわたって高めることにあった。
パースペクティブズの取り組みはBASFの顧客との関係性を深く分析することから始まり、顧客のニーズや目標、彼らの要求する仕様に見合うように、どの事業部にも顧客と会って話し合う機能横断的なチームが作られた。
顧客との話し合いの結果を検討し、BASFに何千人といる顧客の共通点と相違点の両方を明らかにすることで、チームは6種類のタイプから成る分類スキームを使って顧客をマッピングした。それぞれの顧客タイプの違いに応じて、BASFは異なる顧客対応モデル(CIM:customer interaction model)を必要とする。
▶ タイプ1:標準仕様に見合った製品を要求し、通常価格が最も重要な意思決定要因となる顧客タイプ。このタイプの顧客に対し、BASFは一介の取引業者もしくは取引供給者としての役割を果たす。
▶ タイプ2:品質と信頼性が高く、時間通りの供給を求める顧客タイプ。この顧客タイプに対し、BASFは無駄のない、あるいは信頼できる定番供給業者としての役割を果たす。
▶ タイプ3:標準化された製品とサービスを自由に組み合わせて自分自身のパッケージを創作して購買したい顧客タイプ。彼らにとってBASFは標準パッケージ提供者としての役割を果たす。
▶ タイプ4:その分野における最新のイノベーションを反映した、より優れた製品機能を必要とする顧客タイプ。この顧客に対して、BASFは製品やプロセスのイノベーターとしての役割を果たす。
▶ タイプ5:特別な要求に仕様を合わせた解決策を求め、時にサプライヤーと共同で自らも開発に従事する顧客タイプ。こうした顧客に対し、BASFは顧客に応じた特定の解決策の提供者としての役割を果たす。
▶ タイプ6:既存の1つまたは複数の業務活動を受け持つサプライヤーと協力することで、既存の業務のコストと複雑さを軽減したいと考える顧客タイプ。これらの顧客に対してBASFは、既存の業務活動を見直す業務統括者として機能する。
このように、最も単純なものから最も複雑なものまで、6つの顧客タイプはそれぞれが非常に異なるニーズを持っている。BASFは、これらの6つのタイプの顧客すべてに対して、適切で唯一の顧客サービスモデルなどありえないことをすぐさま認識した。
また、これらの6つの顧客タイプを、同社に馴染みのある伝統的で内向き思考の産物による既存の製造ラインの組織体制の中に、整然かつ一貫性のある形で配置することはできなかった。
同社に必要とされる方法とは、これら6つの顧客タイプの違いに応じて、顧客と協力しながら個別の顧客ニーズに適応することであることは明白だった。これが、新たなパースペクティブズ・プログラムによってもたらされた最初の大きな啓示だった。
それは、さらなる大きな挑戦につながった。つまり、「巨大な老舗企業であるBASFが、顧客からの新しく多様なニーズによりよく応えるために、プロセスや構造、システムをどのように再設計するのか」という挑戦である。
BASFは、「パスファインダー」と名づけられた新しいプロセスで、それに応えた。このパスファインダー体制では、BASF社内の特定のビジネスユニットが職能横断的なチームを編成し、個別の顧客を深く理解するために注意深く設計・構造化された課題に取り組んだ。その課題とは、顧客自身のバリューチェーン、市場ニーズ、業界動向などについてであった。
編成されたチームは、これらの課題を解決するために、顧客担当者と面会し、顧客の新たなニーズを満たす顧客対応のあり方を検討した。その結果として、顧客とサービスチームの間のやり取りは、もはや製品ライン全体で統一された画一的なプロセスによって規定されるものではなくなった。
その代わりに、サービス対象となる特定の顧客タイプの特性に合わせて調整され、BASFが顧客の実際のニーズや好みによりよく応える結果となった。これこそが、組織イノベーションと呼ぶにふさわしい強固なプロセスであり、BASF社と顧客の双方にとって、製品イノベーションと同等の価値があることが明らかとなった。
<連載ラインアップ>
■第1回未知の顧客ニーズをどう満たす? 世界最大の化学メーカー独BASFが、イノベーション実現のために考えた解決策とは(本稿)
■第2回10%の時間を革新的なアイデアの発見に費やせ 米素材メーカーW.L.ゴアのベストセラーを生む「ダブル・タイム」とは(4月23日公開)
■第3回 1年で50件の特許を創出 イノベーターとして台頭したサムスンの創造性を支える「TRIZシステム」「VIPセンター」とは(4月30日公開)
■第4回 自由すぎて耐えられない? エラー防止よりイノベーションを重視したネットフリックスが、成功のために排除したもの(5月7日公開)
■第5回 2020年に特許件数でアップルらを圧倒 IBMがイノベーションを実現し続けるために行う独自の中間管理職の育成法とは?(5月12日公開)
■第6回 「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」イノベーションを刺激するリクルートの「Ring」「FORUM」とは?(5月14日公開)
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筆者:ベン・M・ベンサウ,軽部 大,山田 仁一郎