「認知症の人をだましていいのか」と賛否両論だが一定の効果アリ…ドイツの高齢者施設にあるフェイクの仕掛け
2025年4月23日(水)7時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BalkansCat
※本稿はサンドラ・ヘフェリン『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』(講談社)の一部を再編集したものです。
■ドイツの介護問題も、日本同様に「お金次第」
ケア労働についてドイツと日本を比較すれば、「社会や家族からのプレッシャー」については、ドイツは日本ほど強くはありません。特に親の介護に関しては、比較的ドライな考え方をする人が目立ちます。
30代のドイツ人女性は、「『自分では介護できない』と割り切るドイツ人は多いと思う。体力的にも時間的にも不可能と考え、その考えを親も子もシェアしているように感じる」と語ります。親を介護施設に入れるのではなく、介護士に定期的に自宅に来てもらうケースも少なくありません。
日本では「福祉国家であるドイツでは介護に関しても国のケアが行き届いている」と思われがちですが、そうとは言い切れません。ハナから夢のない話で恐縮ですが、お金次第です。高額な保険にしっかり入っていたり、裕福な家庭であったりすれば介護生活も幾分楽になりますが、ドイツは日本と同様に「中間層」が多い国ですから、事態は深刻です。
■ドイツの高齢者施設に設置される「バスの来ないバス停」
「どんな介護を望んでいるのか」「老後は施設か自宅か」を、事前に家族で話し合っていたとしても、いざとなると費用や施設の空き状況、子どもの生活その他があり、予定通りにはいきません。また、本人が「介護施設は絶対に嫌!」と言っても、子どもがケアを担えない場合、施設に入れるしかないケースが増えています。
さらに認知症になってしまうと、「本人の希望」を確認することすら難しくなってしまいます。現実としてかなりの数の人が「認知機能が衰えた状態で、介護施設に入る」ことになります。そこで、ドイツの「介護付き高齢者施設の面白い取り組み」についてご紹介します。
認知症の人は「今この瞬間」のことがわからなくなる一方で、何十年も前の記憶が鮮明なこともあります。「今から家に帰る」と言っては、子ども時代や若い時に住んでいた場所に帰ろうとするのも万国共通です。
介護付き施設に入っている認知症の人たちもまた、「今から帰る」と出て行こうとするので、彼らを毎回追いかけるのでは職員が疲弊してしまいます。これはドイツアルツハイマー協会のシルビア・ケルン(Sylvia Kern)氏など、多くの専門家が認めるところです。
「どこに帰ろうとしているのですか? 今のあなたの住まいはここです!」
怒鳴りつけたり説得を試みたりするとトラブルになることが多く、職員と入所者の関係が悪くなるだけです。そんななか、ドイツの介護施設などの前に次々と作られているのが「バス停留所」です。その名もずばり「認知症の人のためのバス停留所」。
写真=iStock.com/BalkansCat
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■外に出たがる認知症患者のため「ニセのバス停」を作る
入所者が「私は用事があるから家に帰る!」と言うや、職員が「では、バスが来るまで待っていてくださいね」と優しく言い、バス停の前まで誘導することもあります。もちろん、いくら待っても実際にバスが来ることはありません。
フォークス誌(Focus)のオンライン記事では、バス停で「2分」待っただけで、自分が何をしようとしていたか忘れてしまう認知症患者が紹介されています。さらに不思議なことに、彼らはバス停で待った後でホームに戻ると、「お出かけしてきた」気分で満足しているのだといいます。バス停留所が入所者の心の安定のために大きな役割を果たしていることがわかります。
「バスが来ないバス停留所」は認知症でない私たちからするとジョークのようですが、認知症の人にとっては心の拠り所です。バスを待っている間、「幸せ」を感じる時間はあっても、「悲しい気持ち」になることはありません。
認知症の人に少しでも「したいことをさせてあげる」ために、「認知症の人のためのバス停留所」がドイツで初めて作られたのは2006年。レムシャイトにある介護付き高齢者施設の職員が出したアイディアでした。バス停に並ぶ認知症の高齢者は明らかに幸せそうなうえ、入所者の家族にも好評だったため、徐々にドイツ全土に広まっていきました。
写真=iStock.com/justhavealook
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■認知症のおじいちゃんおばあちゃんをだましていいのか?
今や全国の高齢者施設の前にこの「バスが来ないバス停留所」があります。たとえばハンブルグのアイデルシュテットにある施設では、中庭にバス停を設置していますが、入所者は喜々として並んでいるそうです。日刊紙ディ・ヴェルト(Die Welt)のオンライン記事には、毎日、暗くなると「もう家に帰らなくては」とバスを待つ80代半ばの認知症の女性のことが紹介されています。
日本でも認知症の高齢者が徘徊(はいかい)して事故に遭うなどの事件が起きていますが、ドイツでも行方不明になった認知症の人を警察が探すことが珍しくありません。寒い冬に一人で歩いていた認知症の人が迷子になり、低体温症で死亡してしまうケースもありました。
ドイツの多くの施設が、入所者が飛び出さないように、ドアを工夫しています。たとえば、ぱっと見はドアに見えず壁紙と溶け込んだような色や模様になっていたり、暗証番号を入れないと開かないドアも増えています。
■介護する方、される方の双方がいいならOKとする
「バスが来ないバス停留所」のように、認知症の人を「だます」ことについて批判がないわけではありません。認知症の人の数が増えるなか、よく議論されているのが「どこまでが認知症の人を『守る』ことになるのか、どこからが『干渉』なのか」という点です。
しかし近年は、認知症の人との会話の中で「双方にとって心地よいことなら嘘(うそ)も容認する」という考え方が広まっています。「フェイクのバス停を設置するなど嘘はいけない」を徹底してしまうと、「認知症の患者をベッドに縛り付けるような事態になってしまう……」というのはドイツ人の誰もが恐れていることです。
サンドラ・ヘフェリン『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』(講談社)
ある施設では高齢の女性が毎日のように「私の車はどこ? 家に帰りたいんだけど」と職員に聞きますが、職員は毎日のように「いま管理人さんがタイヤの点検をしているのよ」と答えます。それを聞いた女性は毎回「あら、そうなの。仕方ないわね」と納得するのだそうです。
また、かつて産婦人科医だった認知症の男性は、毎日のように「これから出産があるから出かけなければ」と言うとのこと。その際は彼の注意が他のことに向かうよう、職員同士で「上手な嘘」を工夫しているようです。
ただし、何でもフェイクを入れればよいというものではなく、時には施設の職員、入所者の家族、そして場合によっては認知症患者本人も交えて、「こういう場合はどういうふうに答えるか」と話し合うことで、「行き過ぎの防止」をすることが理想だとされています。
■約200万人もの認知症患者、今後もどんどん増える
ドイツアルツハイマー協会によると、2023年末、ドイツには180万人近い認知症の人がいました。2023年だけで65歳以上の人が新たに約44万人認知症になりました。協会によると、今後予防薬や新たなセラピー・メソッドができない限り、2050年にはドイツで65歳以上の人の270万人ほどが認知症になっている可能性が高いとのことです。
写真=iStock.com/FredFroese
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FredFroese
私自身は「バスが来ないバス停留所」を遊び心のある素晴らしいアイディアだと考えています。いろんな意見はあるものの、やはり「認知症の当事者である本人」および「ケアする職員」の両方が「ハッピー」であることが大事だと思うからです。「自分が高齢になったらどうなるのか」「病気を発症するのか」「もしそうである場合、それはどういう病気なのか」——それは誰にもわからないことです。自分ももしかしたら何十年か後にはどこかの停留所でバスを待っているのかもしれません。
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サンドラ・ヘフェリン(さんどら・へふぇりん)
著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。著書に『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)、『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)など。新刊に『ドイツの女性はヒールを履かない〜無理しない、ストレスから自由になる生き方』(自由国民社)がある。
ホームページ「ハーフを考えよう!」
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(著述家・コラムニスト サンドラ・ヘフェリン)