どんなに「毒母」でも恨んだことは一度もない…NHK朝ドラのモデル・やなせたかしが母親に抱いていた本当の想い

2025年4月29日(火)7時15分 プレジデント社

カルティエが日本に最初のブティックを開いてから50年を記念して開催した「カルティエと日本 半世紀のあゆみ『結 MUSUBI』展 美と芸術をめぐる対話」を訪れた松嶋菜々子さん(=2024年6月10日、東京都台東区の東京国立博物館) - 写真=時事通信フォト

NHKの朝ドラ「あんぱん」で、やなせたかし氏の母・登美子を演じる松嶋菜々子さんの演技に注目が集まっている。『アンパンマンと日本人』(新潮新書)を書いた東京科学大学の柳瀬博一教授は「おなかが空いた人に自分の顔を食べさせるアンパンマンの源流は、その母親との関係にある」という——。(第1回)(インタビュー、構成=ライター市岡ひかり)
写真=時事通信フォト
カルティエが日本に最初のブティックを開いてから50年を記念して開催した「カルティエと日本 半世紀のあゆみ『結 MUSUBI』展 美と芸術をめぐる対話」を訪れた松嶋菜々子さん(=2024年6月10日、東京都台東区の東京国立博物館) - 写真=時事通信フォト

■「あんぱん」にあるフィクションとノンフィクション


4月からスタートした連続テレビ小説(以下、朝ドラ)「あんぱん」(NHK総合)。「アンパンマン」の作者であるやなせたかしとその妻・暢(のぶ)がモデルのドラマです。


私は「やなせたかしとアンパンマン」を語る上で、ドラマでは一見ヒール役のように描かれている母との関係性こそが重要なカギになっていると考えています。


X(旧Twitter)では松嶋菜々子さん演じる嵩の母・登美子に対し「一度捨てた子供に堂々と会いに来るの、面の皮が厚すぎ」「言うこといちいち腹が立つ」などと、その「毒母」ぶりが話題になっています。


実際はどうだったのでしょうか。まずはドラマの内容を見ていきましょう。脚本を担当するのは、やなせたかしと手紙のやりとりをしていた中園ミホさんです。少女時代、やなせたかしが編集長を務めていた文芸誌『詩とメルヘン』(サンリオ)の熱心な読者で、小学生の時に彼に手紙を書き、そこからしばらく文通を続けていたそうです。


撮影=プレジデントオンライン編集部

やなせたかしをよく知る中園さんだからこそ、でしょう。彼女は「あんぱん」を徹底してフィクションとして描く部分と、ノンフィクションとしてリアルに描く部分とを明確にしています。


わかりやすくフィクションなのは、やなせたかしと妻・小松暢の関係性です。ドラマでは、やなせたかしがモデルの「柳井嵩」と、暢がモデルの「浅田のぶ」は幼馴染という関係ですが、史実では戦後、高知新聞の編集部で初めて出会います。


そして架空の人物であるジャムおじさんをイメージした「ヤムおんちゃん」、一緒にパンをつくるバタコさんをイメージした「ハタコさん」などといったベタな描写も。わかりやすさや記号性が求められる、実に朝ドラらしい表現です。


■なぜ「毒母」にこんなにも優しいのか


一方、ノンフィクションで描かれているのは、やなせたかしの母にまつわる部分です。史実でも、夫と死に別れたやなせたかしの母は、彼が7歳の時に、再婚して家を出ていきます。「あんぱん」第3話でこの場面が描かれました。登美子は嵩と弟・千尋を残し、日傘をくるくる回しながら遠ざかっていきます。


実はこれと全く同じシーンが、やなせたかしの詩集『やなせたかしおとうとものがたり』(フレーベル館)内に登場します。


「母のパラソルは蝶のように麦畑の中を遠ざかっていった。母は何度かふりかえった。ぼくらはそのたびに手をふった」


傘を回すのも、松嶋奈々子さんのアドリブではないのです。


ドラマでは、登美子は新しい夫と離縁し、再び嵩たちと一緒に暮らすことになりました。千尋は、お世話になっている叔父や叔母に引け目を感じ、母に冷たく接します。一方の嵩は、母に恨み言一つ言わず「ずっといたらいい」と優しく受け入れます。


自分を捨てた母を許せなくてもおかしくないのに、嵩は許す。X上では嵩の行動を「マザコンでは」と揶揄する声もありましたが、フィクションにも見える嵩のこの感情こそ、ノンフィクションの部分なのです。


■資料から読み解く母との本当の関係


史実では、母は新しい夫と離縁した後、やなせたかしと同居せず、離れたところに暮らしていたそうです。しかし、中学時代のやなせたかしは、度々母に会いに行っていました。私はこの母との関係性に、彼の一番の本質があると思っています。


撮影=プレジデントオンライン編集部
アンパンマンのモデルはやなせたかし自身ではないか、と柳瀬さんは考える。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

やなせたかしは人に嫉妬もするし、コンプレックスもある。けれど、決して人を恨まない方でした。私はやなせたかしに関連する本を数十冊読みましたが、「自分を捨てた母への恨み」の言葉は一言も出て来ませんでした。


それは、彼の元々の性格であり、無条件の母への愛があったのでしょう。そしてなにより「母のことは恨まないでいよう」と決めていたのでしょう。この母への無上の愛こそが「アンパンマン」の源流だと私は考えています。


それは、マザーコンプレックスといった単純な話では語れません。母への圧倒的な愛を、最後までやなせたかしは崩さなかった。もちろん、親を恨んではいけない、ということではありません。彼はあえて恨まない道を選んだ。そこから、アンパンマンは生まれていると私は思います。そしてこれは、アンパンマンが子供やその母親から愛されているゆえんでもあると考えています。


今回のドラマの見どころのひとつは、そんなやなせたかしと母との関係性、そしてそこからアンパンマンが生まれる過程をどう描くか、にあります。


■アンパンマンの本質


アンパンマンは、お腹をすかせた他者に自分の顔を食べさせるという、利他の精神が描かれています。アンパンマンのその精神は、親が子へ与える無償の愛を想起させますが、本質はそこではないと私は考えています。


つまり「お母さん大好き!」という、子供から母への無条件の愛こそが、アンパンマンの本質であり、やなせたかしそのものなんです。たとえ母が離れていっても。結果として「お母さん大好き」は、利他的な心にもつながります。ドラマでは、その点が忠実に描かれているので、実に見ごたえがあります。


アンパンマン博物館にて(写真=克年 三沢/CC BY 2.0/Wikimedia Commons

今後、ドラマではどんなストーリーが展開されるのか考えてみましょう。


中園さんは今のところ登美子を、一見すると嵩を振り回すだけの毒母に見えるように描いており、登美子の心の内の多くを説明していません。ただ、第10話で再婚先に会いに来た嵩に「ここに来てはいけない」と抱きしめる姿は、単に、愛情のない母親には見えません。


第15話で、のぶに「なぜ一度捨てた嵩の元に戻ってきたのか」と問い詰められるシーンでも「それでも会いたかった。ずっとこの人に会いたかった」と嵩が登美子をかばうと、登美子はわずかに瞳を潤ませているようにも見えます。


■「毒親」で終わるはずがない



柳瀬博一『アンパンマンと日本人』(新潮新書)

その後、伯父の家に我が子たちと居候していた母は、嵩が高校受験に失敗したあと、再び家を出て、別れてしまいます。以上はフィクションですが、やなせたかしは母とその後も東京で会っていたそうです。上京後のやなせたかしとの再会が必ずあるはずです。


また、嵩の父・清を演じているのは二宮和也さんですが、ドラマでは一瞬ちらっと登場しただけ。二宮さんほどの人気俳優をキャスティングしておいて、あれだけで終わるはずがありません。


高知に引っ越す以前の、カッコいい父と優しい母と共に東京で暮らしていたエピソードが語られるはずでしょう。そうしたシーンなどを通じて、これから母の「毒親」だけでは語れない母の本当の思いが描かれるのではないでしょうか。


■たびたび描かれる帽子の意味


今回のドラマは、やなせ作品の様々なオマージュを考察する、メタ的な視点でも楽しむことができます。私が目を引かれたのは、帽子の使い方です。


第4話で、のぶの父・結太郎が海外出張へと旅立つ前、のぶに自身の帽子を託します。その出張で結太郎は帰らぬ人となりますが、帽子は家族を見守るように部屋に飾られていました。


第13話でのぶが「学校の先生になりたい」と家族に打ち明けたシーンでは、釜じいが「嫁にいきそびれる」と反対するのに対し、母や妹たちものぶのを援護。最後は妹・メイコが釜じいに帽子をかぶせ、釜じいが渋々折れます。


このシーンには、第4話で結太郎がのぶに語った「女子も遠慮せんと、大志を抱きや」というメッセージが帽子に託されているのです。


実は、帽子というモチーフは、やなせ作品に頻繁に登場します。1968年にやなせたかしは「週刊朝日」の漫画大賞を受賞していますが、彼がそのときに作ったのも、帽子を目深にかぶったキャラクター「ボオ氏」でした。


ドラマでは今後もやなせ作品に関連するさまざまなモチーフが使われる可能性があり、その点も考察のしがいがあると思います。


写真=iStock.com/gldburger
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gldburger

■当時では珍しいフェミニストだった


帽子に託されたメッセージにも通じますが、彼は1919年生まれとしては数少ないフェミニストだったと私は見ています。妻の暢もいろいろある母も大好きで、尊敬している。彼が編集長を務めた『詩とメルヘン』を支持したのは、多感な少女たちでした。まだまだ男女が決して平等ではなかった70年代80年代を中心に熱狂的なファンがおり、評価されていたことからもその一端が伺えます。


『詩とメルヘン』からは多くの才能が生まれました。やなせたかしの魂を受け継いだ1人が中園ミホさんであり、ノンフィクション作家の梯久美子さんでした。梯さんは元々詩人・やなせたかしのファンで、『詩とメルヘン』に熱心に詩を投稿しており、後に同誌の編集者として活躍します。彼女の『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋)は、ドラマを見る上で多角的な視点を与えてくれます。


やなせたかしを語る上でもうひとつ重要なのは、彼の生まれ育った家の文化資本の高さです。この点も、「あんぱん」ではリアリティをもって描かれています。


■アンパンとはやなせたかしである


彼が預けられた伯父さん(柳瀬寛、演:竹之内豊)はとにかくいい人で、インテリだったそうです。また、講談社と朝日新聞に勤めていた亡くなった父の蔵書も、伯父の家にはありました。やなせたかしは古今東西の雑誌や小説など様々な本に囲まれていたのです。伯父は西洋嗜好のハイカラで、サイドカーに乗っていたそうです。どれも当時の高知県では非常に珍しいものでした。ここで小説、挿絵、漫画を浴びるように読んだのがやなせたかしの血肉になります。


また、「あんぱん」で登場するかもしれませんが、やなせたかしの旧制中学の友人の姉が、風刺漫画で有名な漫画家の横山隆一と結婚します。やなせたかしはそこで漫画家の世界を垣間見ることになり、強く憧れるようになります。


こういった実家の高い文化資本がやなせたかしの背景にある。そして、一筋縄ではいかない母、献身的に愛情を注いでくれた優しい伯父や伯母、大好きだけど自分より器量がよく頭も良い弟へのコンプレックス……。そうした複雑な家族関係も彼の人格系形成に大きな影響を与えたでしょう。


なにより、母との関係から生まれた献身的な愛が、すべてアンパンマンにつながってきます。その意味でアンパンマンという存在は、やなせたかしそのものだと言えます。


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柳瀬 博一(やなせ・ひろいち)
東京科学大学リベラルアーツ研究教育院 教授
1964年、静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本編集、「日経ビジネスオンライン」プロデューサーを務める。2018年より東京工業大学(現・東京科学大学)リベラルアーツ研究教育院教授。『国道16号線——「日本」を創った道』(新潮社)で手島精一記念研究賞を受賞。他の著書に『親父の納棺』(幻冬舎)、『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人共著、晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二共著、ちくまプリマ—新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂共著、日経BP社)がある。
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(東京科学大学リベラルアーツ研究教育院 教授 柳瀬 博一 インタビュー、構成=ライター市岡ひかり)

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