だから「褒められて育つ子供」は折れやすい…「いい子でいたい長子、要領のいい末っ子」が出来上がる本当の理由
2025年5月1日(木)18時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TATSUSHI TAKADA
※本稿は、岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
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■「特別」を求めて競争する子ども時代
小学生の頃、私は背が低くスポーツも得意ではありませんでした。クラスでは少しも目立ちませんでした。背が低いから認められないのだと思い込んでいた私は、せめて勉強は誰にも負けないでおこうと思いました。クラスの人気者は必ずしも勉強ができるわけではありませんでしたが、私にできることは勉強しかありませんでした。
他の人に負けたくない、他の人に認められたいために勉強するのは、勉強することについての不純な動機であるといわざるを得ません。しかし、当時の私は「特別でなければならない」と強く思っていたのです。
誰もが初めから特別であろうと思うわけではありませんが、子どもの頃に、「自分は特別である」と思うような経験をしたために、その後の人生でも特別であると思うようになることはあります。正確にいえば、そのような経験がきっかけとなって、特別であろうと決心するのです。
■「性格」は自分で選び取るもの
そして、この特別であろうとする目標を達成するために、「性格」を選択します。この世界、他の人、自分自身をどう見るかが性格の一つの意味です。この世界は怖いところで、他の人は隙あらば自分を傷つけたり陥れようとしたりする怖い存在だと見ることも性格です。自分自身については能力がないと思う人がいれば、それもその人の性格です。これとは反対に、世界や他の人、自分自身について肯定的な見方をする人もいます。
また、何か問題に直面したときに、それにどう対処するかも性格です。問題への対処の仕方は大体いつも同じです。
アドラーは「ライフスタイル」という言葉を使います。「性格」というと先天的で変えられないと思われがちですが、アドラーは「自分でライフスタイルを決めた」と考えました。なぜ自分で決めたといえるのかといえば、同じ親から生まれ、ほぼ同じ家庭環境で生まれ育ったにもかかわらず、子どもの性格が違うのは、自分で選んだからとしか考えられないからです。
■10歳までに決まるライフスタイル
性格は自分で決めたとか選んだなどと言われても、そんな覚えはないと言いたくなるかもしれません。しかし、自分で決めたのであれば、大人になってからでも変えることができます。もしも性格が先天的で変えられないものであれば、教育も矯正もできないことになります。
ただし、たった一度の経験がきっかけで、あるとき、突然ライフスタイルを決めるわけではありません。幼い子どもは何度も選び直すのですが、十歳頃になると、「このライフスタイルで生きていこう」と決め、その後は大きく変えることはありません。
このライフスタイルは自分で選んだとはいえ、何もないところで自由に決めたわけではありません。ライフスタイルを決めるときに影響を与える要因があります。親の価値観や、子どもが生まれ育った文化からの影響もありますが、もっと大きな影響を与えるのが、きょうだい関係です。どんなきょうだい順位に、つまり、第一子、第二子、中間子、末子、また単独子として生まれ育ったかは、ライフスタイルの形成に大きな影響を与えます。
■弟や妹の誕生で「王座から転落」する長子
特別であろうとすることも、大人になってからというよりも、子どもの頃から始まるのですが、このように思うきっかけになるのが、「王座からの転落」(dethronement)です。
第一子は弟や妹が生まれる前は、親の注目、関心、愛情を独占することができました。ところが、弟や妹が生まれると、親は前と同じように子どもに接したいと思っても、新たに生まれてきた子どもに時間やエネルギーを割かなければなりません。親が子どもを特別甘やかして育てたというわけでなくても、初めての子どもを必要以上の注目をして育てた場合は、親の態度の変化は第一子には受け入れがたいものになります。
親は第一子の兄や姉に対して、状況が変わったことを理解するよう求めます。しかし、自分が置かれることになった新しい状況を理解できないと、それまで自分が独占していた親の注目、関心、愛情が後から生まれてきた弟や妹に奪われたと感じてしまいます。これが「王座からの転落」です。第一子にとって、弟や妹はライバルになるのです。第二子も、後から弟や妹が生まれると、第一子と同じ経験をすることがあります。
■親の注目を求めて「いい子」になる戦略
もっとも、同じような状況に置かれた子どもが皆、王座から転落したと思うわけではありません。石は手を離せば必ず落下しますが、きょうだい関係における転落は「心理的下降」(アドラー『子どもの教育』)なので、必ずしも誰にでも起きるわけではありません。実際に転落したのではなく、「下降」した、つまり王座から転落したと思い込む子どもがいるということですが、下降したと思わない子どももいて、彼らは弟や妹の誕生を喜び、親に協力しようとします。
しかし、弟や妹に奪われたと思い、王座から転落したと思った多くの第一子は、王座を取り戻そうとします。そのために、特別であることで親の注意を引こうと思うのです。
そこで、初めは「いい子」になろうとします。「今日からあなたはお兄さん、お姉さんよ」と、自分でできることは自分でするように親から言われた第一子は、以前は親と一緒でなければ寝られなかったのに、一人で寝たり、親の手伝いをしたりして親の期待に応えようとします。こうして、特別よくなろうとする——特別よくならなければ、親に注目されないと思うからです。
写真=iStock.com/kohei_hara
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■「問題児」に変身する心理的な揺れ
親から頼まれたことを首尾よくやり遂げると、親にほめられます。しかし、ほめられた子どもは、ほめられるためにいい子になって特別によくなろうとしますが、いつもほめられるわけではありません。それどころか、親に言われた用事をうまくできなかったり、家事に忙しい親に代わって弟や妹の面倒を見ようとして大泣きさせたりするようなことがあると、「余計なことをするからだ」と叱られます。
親に喜んでもらえると思ってしたことなのに、失敗して叱られる——これが続くと、一転して、いい子であることをやめ、親が困るようなことをし始めます。トイレに失敗したり、夜泣きしたり、おねしょをしたりするというようなことです。以前は自分で何でもできたのに、突然できなくなるのです。
さらに、問題行動を起こすこともあります。赤ちゃん返りと呼ばれることがありますが、そのような行動は、親の注意を引くためです。子どもは親に叱られたくありません。しかし、親に叱られてでも親が困ることを一番困るタイミングで仕掛けることで、親の注意を引こうとします。
親は前のように子どもを愛さなくなったのではなく、ただ弟や妹の世話に手がかかるだけなのですが、第一子はそのことを理解できず、親に叱られると、やはり自分は愛されていないのだと思うようになります。
■第二子は権威に挑む革命家
特別であろうとするのは第一子だけではありません。兄や姉の後に生まれる第二子も同じように特別であろうとすることがあります。第一子はいわばペースメーカーとして前を走っています。第一子のすぐ後を走っていれば、風を真正面から受けないですみます。
第一子にとっては、何もかも初めての経験です。小学校に入るときも、中学校に入るのも初めての経験で、親も試行錯誤します。しかし、第二子以下の子どもは第一子を見て育つので、要領がよく、あまり失敗もしません。弟や妹も第一子と絶え間なく競争し、勝とうとします。ペースメーカーの第一子が少しでも力を落としたのを見てとると、すかさず追い抜いてしまいます。
第二子は他のきょうだいがリーダーシップを取るのを甘んじて受け入れないことがあります。打ち倒せない権力はないと考え、権威に服従しようとしないのです。特に、自分は親の権威の代表者であると考えている第一子に対しては、決して負けてはいけないと考えます。
第二子の後に弟や妹が生まれると、第二子は「中間子」になり、弟や妹に圧迫される(squeeze)ような立場になります。中間子は、生まれたときすでに兄や姉がいるため、第一子のように親の注目、関心、愛情を一身に受けることができません。さらに、弟や妹が生まれると、親の関心はそちらに向かうので、第一子と同様、親の注目、関心を奪われたと感じます。実際にそうなるわけではなく、子どもがそう思い込むのです。
■早々に自立する中間子と甘えの末っ子
中間子はきょうだいの中で一番注目されにくいので、親に注目されるために問題行動を起こすことがありますが、他方、他のどのきょうだいよりも早く自立することもあります。親を当てにしてはいけないと早くから悟るからです。そこで、きょうだいの中で一番早く進学や就職のために家から出ていくことがあります。
末子は、王座から転落することはありません。一番甘やかされ、いわば「永遠の赤ちゃん」のような存在です。兄や姉がある年齢でできたことを末子がその年齢になってできなくても、親はそれほど気にしません。
そのため、末子は依存的になり、本来、自分でやり遂げなければならないことも親に頼ってしまうことがありますが、他のきょうだいから大いに刺激されるので、末子は他のきょうだいよりも早く成長し、兄や姉に優ることもあります。しかし、自分は優秀であると思うことに問題がないわけではありません。自分より力も経験もある兄や姉よりも劣っていることを認めたくないので、優秀であろう、つまり特別であろうと思うようになることがあるからです。
■注目されるために「特別」を追い求める
このように、どのきょうだい順位に生まれた子どもも、親の注目を得るために特別であろうとします。「特別でなければ注目されない」と考えるからですが、注目されなければならないと思うのは当然のことではありません。親に注目されようと思わない子どももいますし、大人になってからも仕事は頑張るけれども、それを他人に認められようと思わない人もいます。そのような人は、注目されることに価値を見出さず、むしろ、注目されなくても自分の行為そのものに価値があると考えるのです。
小学生の頃の私は勉強をして認められたわけではありませんでした。勉強ができるからといって注目されることにはなりませんでしたが、それでも、いい成績を取るようになると、勉強ができるというイメージに自分を合わせ、特別であろうと思うようになりました。
他の人の期待を満たそうとしたからですが、「誰も私が勉強ができることを期待していないのではないか」というようなことは考えていませんでした。
写真=iStock.com/xavierarnau
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■子どもの思い込みが作る「競争」の構図
親から注目されなくなったというのは、あくまで子どもがそう思ったということです。親はどの子どもにも同じように接しようとしているので、「前のように私にかまってくれなくなった」というようなことを子どもが言うと、親は驚きます。しかし、親も自分の子どもの頃のことを振り返ると、弟や妹が生まれたことで、親からあまり愛されなくなったと感じたことを思い出すかもしれません。
子どもたちは親からの注目、関心、愛情を得るために競争します。この競争に勝つためには、特別でなければならないと思います。たとえば、勉強であれば、いい成績を取らなければならないと思います。
しかし、競争はどこにでも見られるからといって、それが当然かといえばそうではありません。競争に勝っても、ずっと勝ち続けることは難しく、勝者もいつ負けるかと戦々恐々としています。ライフスタイルを決めるときに影響を与える要因として、生まれ育った文化を先にあげましたが、もしも競争することが当然とされない社会であれば、特別であろうと思わなかったかもしれません。
きょうだい順位によって、他のきょうだいと競争することがあることを見ましたが、親の子どもへの接し方も、子どもの競争を助長します。親が子どもを育てるときにほめたり叱ったりすることです。
■「ほめる」が引き起こす承認欲求の罠
親は子どもが問題行動をすれば叱りますが、問題行動をしない、親が気に入ることをする子どもはほめます。そうすると、ほめられる子どもとそうでない子ども、叱られてばかりいる子どもと叱られない子どもが出てきます。どの子どもも親にほめられたいと思うでしょうが、いつも親にほめられるような行動ばかりはできません。親からほめられなくなった子どもは、先にも見た通り叱られてでも注目されようとします。
たとえば、絵を描くことは楽しく、本来それだけで満足できるはずですが、ほめられたい子どもは描いた絵を親に見せに行きます。親は子どもが見せた絵に対して面と向かって「下手だ」とは言わないでしょうが、期待していたような評価を親から得られずがっかりした子どもが、時間をかけて描いた絵でも、くしゃくしゃと丸めて捨ててしまうことはあります。
そのような子どもは絵を描きたいから描いたのではなく、ほめられるために描いたので、ほめられなければ絵を描く意味はなくなるのです。
ほめることは子育てや教育で有用だと考える人は多いですが、ほめることの弊害を知っておかなければなりません。親に注目されるために勉強するのも、親を困らせるために勉強しなかったり、他の問題行動をとったりするのも、どちらも親に注目され特別であろうとしてすることです。
■自立心を奪う「承認」依存
アドラーはほめることについて、次のように言います。
「支持され、ほめられている間は、前に進むことができた。しかし、自分で努力する時がやってくると、勇気は衰え、退却する」(『人生の意味の心理学』)
岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)
アドラーは時にほめることが望ましいと読めるような書き方をすることがあるのですが、ここではほめることの弊害についてはっきりと書いています。子どもは「支持され、ほめられている間」は前に進むが、「自分で努力する時」になると、勇気を失い、退却することがあるのです。
他のきょうだいとの競争に勝ち、親に注目されるために特別でなければならないと思いながら育った子どもは、やがて他の人に認められるために勉強し、仕事をするようになります。
ほめて伸ばすという人もいますが、上司が部下をほめる場合も、同様の問題が生じます。ほめられたら意欲的に働くけれども、ほめられないときには、意欲的に仕事をしなくなるのです。
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岸見 一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の西洋古代哲学、特にプラトン哲学と並行して、アドラー心理学を研究。本書執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。ミリオンセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以上、古賀史健氏との共著)をはじめ、『困った時のアドラー心理学』『人生を変える勇気』『アドラーをじっくり読む』など著書多数。
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(哲学者 岸見 一郎)