「実の親ではない」真実告知を受けた5歳男の子が"赤ちゃんポストの生みの母"を訪ねて言った意外な一言

2025年5月5日(月)8時16分 プレジデント社

民泊「由来House」を運営する、元慈恵病院 看護部長の田尻由貴子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

赤ちゃんポストに預けられた子供は施設で育つ場合もあれば、里親に引き取られ、真実告知を受けるまでは、育ての親を生みの親と思い育つ子もいる。日本初の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を設立した田尻由貴子さんは「以前、里親に育てられて5歳になった男の子が訪ねてきてくれた。その子に言われた予想外の一言を私は生涯、忘れることはない」という——。

■「僕は、田尻さんから生まれたんだよ」


前編からつづく)


「僕は慈恵病院で、田尻さんから生まれたんだよ!」


慈恵病院の赤ちゃんポスト、「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんが5歳になり、田尻由貴子さん(75歳)を訪ねてきた時のことだった。


民泊「由来House」を運営する、元慈恵病院 看護部長の田尻由貴子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

田尻さんは「ゆりかご」の創設時から8年間、責任者として関わっていた。その男の子が特別養子縁組をした両親に連れられて、田尻さんの前にやってきたのだ。


「預けられた日にベッドから抱き上げたちっちゃな赤ちゃんが、体格もしっかりとした男の子に成長していて……。うれしくて興奮冷めやらぬ時に、こう言われて、涙が流れ出そうになりました。生涯、忘れることのできないほどの感動でした。だけど、違うよ、産んでくれたお母さんがいるんだよって……」


■生みの親の存在を知らせる「真実告知」


両親は「真実告知」で、きっとこう伝えたのだろう。「田尻さんがいたから、今のあなたがあるんだよ」と。


5歳ならではの無邪気な発想に、彼が惜しみない愛情の下で育まれていることを、田尻さんは十分に感じた。信頼関係が確かに築けているからこそ、両親は5歳の子に「私たちは、実の親ではない」ことを、きちんと伝えることができたのだ。


「ゆりかご」は、命を繋ぐシンボル——。男の子のキラキラ輝く瞳に、田尻さんは改めてそう思わずにいられなかった。


■日本の「女性への支援」がいかに遅れているか


2007年の創設から、今年で18年。日本では長い間、「赤ちゃんポスト」は慈恵病院のたった一つだけだった。もちろん、今でも赤ちゃん遺棄事件が絶えることはない。望まない妊娠を周囲にひた隠しにし、一人で出産しなければならない女性が、全国にどれほどいることか。しかし、ついに今年の3月31日に、全国で2つ目の赤ちゃんポストが、都内の母子に高度な医療を提供する周産期母子医療センター「賛育会病院」にて運営をスタート。18年経って、ようやくのことだ。


「こうのとりのゆりかご」がモデルにしたのはドイツの「ベビークラッペ(赤ちゃんポスト)」だが、ドイツに限らず、イタリア、オーストリア、アメリカなどに育てられない赤ちゃんを匿名で預けられる「赤ちゃんポスト」はあり、韓国にも2カ所の「ベビーボックス」が。そこには、年間200人以上が預けられているという。


そればかりか韓国では、一人で出産する母親が身を寄せることができるグループホームが各地にあり、生活が苦しい母親には医療費や家賃を支援する仕組みもある。


世界各国と比べて、日本の望まない妊娠への支援がいかに乏しいことか——。田尻さんは、無いに等しいとまで言う。


■3歳で預けられた命の今


「僕は、ゆりかごで繋がった命。ゆりかごがあったから、今の自分がある」


そのように「赤ちゃんポスト」が存在することの意義を、身をもって説く青年がいる。「ゆりかご」に預けられた最初の赤ちゃん、3歳でキョトンとベッドに座っていた宮津航一くん(20歳)だ。「航一」という名は、当時の熊本市長が名付け親となった。


「彼は3歳まで、親戚の元で育てられました。航一くんが3歳でゆりかごに来たとき、ちょうど男の子専門のファミリーホーム『宮津ファミリーホーム』を宮津さんが開設したタイミングで、航一くんはそこで育てられることになったんです」


航一くんはまさにわが子のように育てられ、高校2年の時に宮津夫妻と普通養子縁組をした。


「宮津さんは、養子になるかどうかは、本人が決めればいいと話してらして、航一くんは自分の意志で宮津さんの養子になったようです」


高校卒業を機に、航一くんは名前と顔を出して、「ゆりかご」のことを伝えていくことを決意。そのことを宮津夫妻も田尻さんも、すごく心配したという。


「実名で活動することで、どんな声や反応が航一くんにかけられるか分かりませんでした。いわれのない誹謗中傷を受けるかもしれない、と。でも、最終的には航一くんが決めました」


航一くんは高校3年の時から、子ども食堂の活動を精力的に行なっていた。「子どもたちのために何か、やりたい」という強い思いが学生時代からあったのだ。


そんな航一くんと田尻さんは、今では共に「子供の命を守る」啓発活動を行うパートナーになっているという。


■ドイツ発祥のプロジェクト「子ども大学」とは


23年10月、田尻さんと航一くんは「子ども大学くまもと」を共同で設立。田尻さんが学長、航一くんが理事長として、「ゆりかご」で出会った2人は、子どもの学びを豊かなものにする新たな活動を開始したのだ。


「子ども大学」はドイツ発祥のプロジェクトで、児童が、大学の教室で、さまざまな専門家から大学生レベルの授業を受けるというもの。日本では埼玉県川越市で初開校され、10年間で埼玉県内に57校、東京、福岡、北海道など、各地で立ち上がっているという。


「東京都で『子ども大学くにたち』を立ち上げた方から、『ゆりかごのある熊本で、子ども大学をしてくれないか』とお話があって、航一くんに話をしたら、ぜひやりたいということで、一緒に動き出しました」


撮影=プレジデントオンライン編集部

「彼と一緒に市長や教育委員会、県にも挨拶に行きました。そこで彼の立派なことったら、皆さん、驚かれます。市長も『僕が20歳の時は、何も考えていなかった』と感銘を受けられたようでした。近隣の首長や奉仕団体、企業からもあたたかい支援をいただきました」


■「親子の会話」がセーフティネットに


2024年3月16日に開校後、小学4〜6年生の親子100組が募集で集まった。


「親子で授業を受けることに、意味があると思っています。今の子たちって、家庭でなかなか会話をしていないんですよね。親子の会話が足りないのは、性教育でも感じること。普段から会話する、相談する関係性が成り立っていれば、彼氏・彼女ができたときにも、ちゃんと避妊をしようという会話があったり、子供が予期せぬ妊娠をした場合にも、子は親にきちんと話すことができます。熊本の『子ども大学』の特徴は、カリキュラムに『いのち学』があること。『いのち学』では、愛を育み、命を大切にする心を育てることを目指します」


■男性に「射精責任」の教育を


そんな田尻さんは、今、性教育にも力を入れているという。


22年から田尻さんが理事をつとめるNPO法人「せいしとらんし熊本」の資料。「せいしとらんし熊本」は、性犯罪予防のための教育と啓発活動を行う特定非営利活動法人。

「包括的性教育と言って、生殖の性だけでなく、生きること、自分の体を知ること、体を大切にすること、正しい性の知識を小さい時から教えていくことが大切だと思います。男の子も女の子もどっちも大事ですが、特に男性には、しっかり伝えていく必要がある。基本的に、女性を苦しめた男性は表に出ないじゃないですか。女性だけでは妊娠しないわけで、妊娠させた男はどこにいるんだって。性教育に力を入れて『射精責任』を持ってもらうことで、性加害者、性被害者を出さないことを目指しています。そのために性教育をできる人の養成を行っている今です。養成プログラムを作って、伝えられる人を育てないと、全国に広がらないので」


■「愛着障害」をもつ女性たちのシェアハウスを運営する理由


そんな田尻さんは今、自宅の半分を「由来ハウス」という、女性のためのシェアハウスを運営している。その精力的な活動ぶりには驚くばかりだ。田尻さんだからこそ、日本ではじめての赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」設立を形にできたのだろう、と、その穏やかな雰囲気と反する活動力に思わざるを得ない。


撮影=プレジデントオンライン編集部
母と子の安心処 民泊「由来House」の前で - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「熊本に『IPPO』という、児童養護施設出身者で、自立が難しい人たちのシェアハウスを運営しているNPOがあって、この活動に関わったことがきっかけでした。そこは、2年間だけ居られるんです。でも、2年間での自立って難しい。だから、そのシェアハウスから移って来られる場所を作ったんです。ここは期限を決めないで、いられるから」


やってきたなかには虐待により施設で育ち、自立が難しい女性や、精神的な不調のある女性もいる。虐待により「愛着」をもらえなかった不安定な女性たちも、田尻さんの大きな懐に包まれ、ここではゆったり羽を休めることができる。みんなの“お母さん”である田尻さんに甘えて、無理せず、時間をかけて一人暮らしができるようになればいい。社会の荒波とは無縁な、穏やかであたたかな場所なのだ。


■「愛着」の形成がすべてに起因している


「ここにはゆりかごに預けたお母さんや、慈恵病院で相談に関わった人など、さまざまな方がやって来ます。私がここにいると知ってもらうことで、会いにきたり、相談に来たりしてもらえたら。そうやって女性たちの心の拠り所になれたらいいなと思っているんです」


田尻さんは、慈恵病院を退職したからといって、終わってはいけないなという責任感があるという。だから「ここは私の命がある限り、つづけていきたい」と——。


「最近は、私が女性を、子供を守ることって使命じゃなくて、天命かと思ってます」(田尻さん)


田尻さん自身、3人の子どもを育て上げた。母の背中を見て育った長女は今、沖縄で助産師をしているという。


最後に、田尻さんが今、社会に最も伝えたいことを聞いた。


「やっぱり、何よりも大切なのは愛着ということ。それが、全てのことに起因しているから。だから、妊娠・出産・育児、この期間の女性を、社会全体が大事にしてほしいという思いがあります。そこが、赤ちゃんにとって愛着の始まりになるので。そのためには、周りの協力がないと難しいんですね。墨田区で内密出産を行う費用は、有料で女性の負担になるとのことですが、それでは困窮や孤立など、逆境に立たされた女性たちを救うことはできません。内密出産の費用は国が負担すべきこと。少子化対策に本気で取り組むなら、一番力を入れるべき取り組みがそこでしょう。核家族ですから、子育てを支える支援を社会が、国が行っていかなければ。そのことが伝わるまで、何度だって、言い続けていきます」


航一くんは3歳まで親戚が育て、「ゆりかご」以降は宮津夫妻によって愛情深く育てられた。家庭で愛情をきちんともらえたからこそ、彼は今、自分の考えで堂々と行動している。


親がいる子もいない子も家庭でたっぷりと愛情を受けられる、そんな支援の仕組みが国内で確立される日を願ってやまない。


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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待——その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)

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