近くにいた愛子さまは何を思うのか…「天皇から360万円を盗んだ男の正体」を宮内庁がひた隠しにする理由
2025年5月21日(水)15時15分 プレジデント社
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年4月27日、皇居(代表撮影) - 写真=共同通信社
■宿直中に「数十万円の盗み」を繰り返し…
天皇一家のプライベートマネーが盗まれていた!
「“御手元金”とも呼称される内廷費の窃盗事件は、宮内庁発足以来、初めてのことです」(宮内庁担当記者)
宮内庁ができて以来どころではなく、神武天皇から続く長い天皇家の歴史の中でも“前代未聞”の不祥事に違いない。
写真=共同通信社
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年4月27日、皇居(代表撮影) - 写真=共同通信社
宮内庁は5月1日、天皇一家の生活費にあたる「内廷費」を窃盗していた、20代の侍従職を懲戒免職にしたと発表した。
内廷費は、天皇一家や上皇上皇后の衣服代など日常の費用に充てる(約3分の1は祭祀に関わる職員の人件費)お金で、25年度は3億2400万円。宮内庁の経理に属する公金ではなく「御手元金」で、余剰が発生しても返還は必要ないそうだ。
問題の職員は2023年11月から2025年3月にかけて、皇居内の事務室に現金で保管されていた内廷費を、宿直勤務中に繰り返し盗んでいたというのだ。
1回あたり、数万円から数十万円を盗んでいたとみられており、窃取額は総計で360万円になるという。内廷費を管理していた40代職員が帳簿と現金残高の不一致に気付いて確認作業を進めようとしていたところ、3月下旬になって20代職員が盗みを認めたそうだ。
■「お金に困っていて生活費などに使った」
盗まれた360万円はすでに弁済されていて、宮内庁との示談も済んでいるのに、宮内庁は皇宮警察本部に刑事告発したという。
しかし、事件が発覚したのは今年の1月下旬。それから2カ月後に職員は盗みを認めたという。そこから1カ月以上もたって公表したのだが、宮内庁は当該職員の氏名、年齢、性別、具体的な宮中での役職、盗んだ動機など一切明かさなかった。
WEB版のNHKニュース(5月1日 18時36分)は、こう報じている。
《懲戒免職の処分を受けたのは、天皇ご一家を支える「侍従職」に所属していた20代の職員です。
宮内庁によりますとことし1月、国庫から支出され天皇ご一家の生活費などにあてられる内廷費の一部を管理していた40代の職員が、帳簿と現金の額が一致しないことに気付きました。
宮内庁が調査していたところ、3月になってさらに3万円がなくなっていることが分かり、その日に宿直だった20代の職員が盗んだことを認めたということです。
調査の結果、職員はおととし11月からことし3月までの間に内廷費からあわせて360万円を盗んだ疑いがあるということです。
職員は「お金に困っていて生活費などに使った」と話しているということで、宮内庁は職員を窃盗の疑いで皇宮警察本部に告発するとともに1日、懲戒免職にしました。
職員はこれまでに全額を返済しているということです。》
■宮内庁の採用基準はどうなっているのか
《また宮内庁は内廷費を適切に管理する職務を怠ったなどとして40代の職員を減給1カ月の懲戒処分としました。
宮内庁の西村泰彦長官は「全体の奉仕者である国家公務員として、皇室のご活動をお支えする宮内庁職員としてあるまじき行為であり、誠に遺憾です。また、天皇皇后両陛下をはじめ皇室の皆様方に対して大変申し訳なく思っております」とコメントしています。》
他の新聞もほぼ同じ内容を報じている。
しかし、内廷費を盗めたというのは、天皇一家に近いところにいたということではないのか?
宮内庁には「オモテ」と「オク」と呼ばれる独特の線引きがある。「オモテ」は政府との調整や報道対応などにあたり、「オク」は皇室の方々に仕える。天皇皇后と内親王殿下たちを支える「侍従職」や上皇上皇后を支える「上皇職」などである。
宮内庁の発表通りなら、この人間は「オク」にいたに違いない。「オク」の職員は、天皇一家とも直接会えるため、採用する際は、身元が確かな縁故採用が多いようである。
盗みを働くような人間を採用したとすれば、どのような経緯だったのか説明する義務が宮内庁にはあるはずだ。
本当に被害は360万円だけなのだろうか? 余罪はないのか? 記者なら誰でも持つ疑問を追いかけた社はなかったのか? 記者なら誰でも持つ疑問を追いかけた社はなかったのか?
■『週刊新潮』が「犯人と育ての祖母」を直撃
『週刊新潮』(5月15日号)で宮内庁記者が「GWの谷間という発表のタイミングといい、宮内庁側の何とか問題を矮小化したいという意図が透けて見えます」といっている。宮内庁の隠蔽体質に怒り、犯人の基本的な情報すら開示しないことに疑問を抱いた記者はいたのだろう。だが、それを追いかけても宮内庁に慮る社が許さない。また、そんなことをすれば宮内記者会が除名処分にするかもしれない。そのためだろう、私が知る限り、続報を打った大メディアはないようだ。
だが、新潮は新聞、テレビにできないことをやってくれた。
持ち前の取材力を活かしてその人間の名前を突き止め、育ての祖母に話を聞いている。週刊誌ならではのスクープである。
新潮は、「宮内庁は問題職員の性別すら明らかにしていないが、ことは国民の血税に関わり、隠蔽など許されるはずもなかろう。本誌は今回、問題職員の特定に至った。その人物は25歳の男性の侍従職である。宮中では『内舎人(うどねり)』という役職にあった。本稿では以下、山崎永太(仮名)と呼称する」と報じている。
山崎が2歳になる頃、母親が白血病に罹り入院したため(8年間の闘病の末に亡くなったという)、まだ幼かった次男と三男の永太を祖父母である彼女と夫が引き取り、親代わりになって育てたそうだ。
その祖母が沈鬱な表情でこう語ったという。以下は、デイリー新潮(5月14日)からの引用。
■「“なんか言いたいことがあるのかな”とは感じました」
《「永太は私の孫です。優しい子で、息子のように育てた自慢の孫でした。テレビで事件を報じていますよね。本当に私は悪い夢でも見ているような感じで。まだ、私自身、受け止められないというか……」
そう声を振り絞るのは、東京郊外の一軒家に一人で暮らす山崎の祖母である。
写真=iStock.com/Yasuko Inoue
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yasuko Inoue
「4月18日、突然、永太から電話がかかってきて、“おばあちゃん、休みが取れたから行くね”と。翌19日の昼ごろかな。永太が、一人でリュックサックを背負って家に来たんです。
ほどなくして、祖母は孫の様子がおかしいことに気が付く。
「私が家の中を動き回ると、私にべったりくっ付いて歩いて回るんですね。子供の時から一緒だから、“なんか言いたいことがあるのかな”とは感じました。でも、なかなか言わなかった」
しかし、山崎は帰り際に突然、かしこまって座り直し、
「“僕、宮内庁から出向になる”と言うんです。“出向先で働きたくないから、仕事を変える”と。“IT系の仕事を探している”とも言っていました。私は、“せっかく周りからもよくしてもらっているのだから、出向と言われたのなら、そこでしっかり働きなさい”と伝えたんです」
彼がその場で真実を伝えることはなかった。代わりに、祖母には次のように説明していたのだという。
■350万円もの借金を抱えていた
「永太は“350万円の借金がある”と言っていました。だからこそ“仕事を変えて返す”とも。しまいには“借金を返すためにバイトしたい”なんて言ったり。“バイトで返せる金額じゃない”と諭したのですが、“おばあちゃんには関係ないよ。大丈夫だから、心配しないでね”と。350万円なんて借金、どうやって作ったのだろうと思ったのですが……」》
彼女を振り返りもせずに帰っていった山崎のことが心配になり、彼の携帯を何度も鳴らしたが電話に出ることはなかったという。
そこで彼女は4月25日、山崎の叔母にあたる娘に電話をかけたところ、彼が役所のカネを使い込んでいたと聞かされたそうだ。
その際、娘から「4月28日までに永太が使い込んだ金を返せば示談になる」とも聞いたという。
祖母は彼女のタンス預金をそれに使ってくれと連絡したが、すでに、母方のおばあちゃんが金を工面してくれていたそうだ。
使い込んだ金は清算され、宮内庁側とも示談が成立したはずだったのに、宮内庁は山崎を皇宮警察本部に刑事告発したのである。
たまたま見たNHKニュースで事件を知り、ショックのあまり祖母は倒れてしまったという。
■縁故採用ではない人間がなぜ「内舎人」に?
孫の永太の人生について祖母はこう語っている。小中学校は地元の学校に通ったそうだ。
「勉強はまあまあ。普通にやっていましたかね。成績は良い方でした。(中略)中学校の時は、合唱コンクールで立派に指揮者を務めたこともありました」
高校も地元の学校に通い、それと同時に彼女のところを離れて、父親と暮らすようになったという。
「高校卒業後、大学に進学させる経済的な余裕はありませんでした。別に知り合いが宮内庁にいたというわけではありませんが、色んな公務員の試験を受けたら、たまたま宮内庁の試験に受かった」
しかし、宮内庁担当記者によれば、
「宮内庁職員の採用ルートは二つあります。ひとつは、国家公務員試験の合格者が、宮内庁の面接を受けて採用となるもの。もうひとつは、いわゆる縁故採用です。約1000人の宮内庁職員のうち、大多数は公務員試験を経た人間ですが、一部に縁故採用もいます」
特に「オク」の人間は、天皇皇后や内親王、上皇上皇后に仕えるのだから、成績だけで採るわけにはいかないのだろう。
しかし、山崎は高卒で、祖母は「宮内庁に知り合いはいない」といっている。高卒の同期はもう一人いるようだが、なぜ入れたのだろう?
写真=iStock.com/golaizola
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■「愛子さまと花火をしている写真も」
しかも山崎は「内舎人」という、天皇のお召し物を整えたり、身の回りを世話したりする係である。
よほど山崎は、人当たりもよく仕事もできたのであろう。
祖母は山崎の仕事ぶりと天皇一家との関わりについてこう振り返っている。
「永太は天皇陛下の間近でお仕えして、本当にかわいがってもらっていました。これは何年か前の新嘗祭(にいなめさい)の時の写真です。儀式のために天皇陛下が会場に入って来られる前に、こんな格好をして、灯明をつける役目を任されたんです。天皇ご一家が那須御用邸で静養された際も随行していたという話で、愛子さまと花火をしている写真も携帯で見せてくれたことがあります」
さらに、全国から集まる特産品などを天皇から「内舎人のみんなで食べてください」と貰ったり、お正月休みには、陛下から貰った特別な紅白のみじん粉(和菓子)や、愛子さんのお印が入ったお菓子を沢山抱えて、やってきたという。
さらに、天皇が使うシャンプーやリンスなどの補充も彼の仕事だったというのである。
祖母は、「お金を管理する係の人は、もっと立場が上の人。永太が、簡単にお金に触れられたはずがない」と嘆息しながらいうのである。
優しい子は、なぜ道を踏み外したのだろうか。新潮は本人に電話で質した。だが、「すいません、報道の通りでございます。お話しできることはございません」と、繰り返すのみだったという。
■事件が残した「2つの不可解な点」
山崎が盗んだ金の使途も気になるが、この点について祖母は、
「恋人の話なんて聞いたことがないし、趣味といえば、アイドルの“追っかけ”と言うのかしら、イベントがあると、休みを取って行っていたみたい。乃木坂とか何とかっていう。コップやのれんなど、たくさんグッズも買っていたようです。ただ、最近は『忙しくてそんな(追っかけする)余裕ないよ』と言っていましたし、さすがに、アイドルに使うために役所の金に手を付けたはずはないと思うのですが……」
彼女の年代では、アイドルの追っかけが、どれほど金のかかるものなのか理解はできまい。これが動機であっても不思議ではない。
しかし、この事件には2つの不可解な点がある。一つは、3月に宮内庁は皇宮警察本部に刑事告発しているが、発表がなぜこんなに遅れたのか?
今一つは、職員は360万円をすでに返済し、宮内庁側との示談も成立しているのに、なぜ、刑事告発したのか?
■巨額の内廷費に注目が集まるのを避けるためか
私は、そうした謎を解明する何の情報も持ち合わせてはいないが、推測するに、360万円も盗まれていたのに気付かなかったというのは、当然、宮内庁の管理体制の甘さが問題になるはずだった。
それを恐れたため、庁内から情報が漏れないよう緘口令を敷くのに時間がかかったのではないか。
具体的な情報を出さなくても発表さえすれば、宮内記者会から多少の不満の声は上がるだろうが「抑え込める」と、宮内庁は判断したのではないか。
宮内庁にとって一番の問題は、山崎永太をどうするかだったのだろう。彼が金を弁済して宮内庁を離れてしまえば、何を喋られるかわからない。その口封じのために皇宮警察に刑事告発したのではないのか? この問題を国民が忘れた頃、告訴を取り下げるのではないのだろうか。
それとも、お金だけではない、さらに表沙汰にしたくない重大な「不祥事」を宮内庁は隠しているのではないか?
それに、この問題が長引き、天皇家の巨額な内定費について国民が関心をもつことを、宮内庁は危惧し、何としてでも避けたかったはずだ。
私のようなゲスな人間は、そう邪推してしまうのだが……。
宮内庁の発足以来、初めてといわれる「窃盗事件」の謎は深まるばかりである。
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)