マスコミからの厳しい批判を鎮静化、「国産ロケットの父」糸川英夫氏が生んだ“突拍子もない発想”
2024年6月18日(火)5時50分 JBpress
2024年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が国産ロケット「H3」の打ち上げに成功した。成功までの軌跡をさかのぼると、「国産ロケットの父」糸川英夫氏のイノベーションにたどり着く。糸川氏はいかにして困難を乗り越え、世論やマスコミを味方につけて日本初となるロケット開発に成功したのか。前編に引き続き、2024年2月に著書『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』(日経BP)を出版した田中猪夫氏に、国産ロケット開発の舞台裏や、イノベーションを生み出す思考プロセスについて聞いた。(後編/全2回)
■【前編】国産ロケットH3に宿る「ロケットの父」糸川英夫氏の哲学、その原点となった「母の教え」とは
■【後編】マスコミからの厳しい批判を鎮静化、「国産ロケットの父」糸川英夫氏が生んだ“突拍子もない発想”(今回)
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糸川氏の「マーケター思考」によって日本中が巻き込まれた
──前編では、「国産ロケットの父」糸川氏がロケット開発の現場に及ぼした影響や、短期間でイノベーションを生む方法論について聞きました。糸川氏は今から約60年前、「太平洋を20分で横断するAVSA構想*1」を発表し、省庁やメディア、多くの人々から注目を集めました。一見、非現実的とも思える発想で多くの方の期待を集めることができた要因は何だったのでしょうか。
田中猪夫氏(以下敬称略) それは糸川氏が「マーケター思考」を持ち、日々行動していたことだと思います。
糸川氏がペンシルロケットを開発していたころ、ロケットの開発予算が全くありませんでした。そこで糸川氏は飛行機工場で余っていた金属棒と、朝鮮戦争の際に使われていたバズーカ砲の固形燃料、この二つの材料を組み合わせてロケットの原型(ペンシルロケット)を作り、実際に発射実験して見せたのです。
記者から取材を受けた際には、厚紙で作ったロケットのようなものの写真を撮らせて、新聞記事に掲載させました。予算ゼロで作った模型は「ロケット旅客機/20分で太平洋横断/八万メートルの超高空をゆく」という見出しと合わせて朝刊の社会面に載ることになります。
結果として、この記事が文部省のロケット開発予算の獲得を後押しし、日本中を巻き込んでいきました。
イノベーションを生み出すためには逆境が必要です。生物も逆境を糧に進化します。糸川氏は「ロケットを開発する予算がない」という逆境を逆手に取り、周囲を巻き込むことで成功へと導いたわけです。
ここで注目すべきは、糸川氏が一つも「ロケットの図面」を描いていないことです。ペンシルロケットの図面も、大学を卒業してすぐの人に描かせており、そのメンバーの成長機会となりました。
ペンシルロケットのプロジェクトには35名が参加していましたが、誰もが社会的使命感を持った糸川氏に巻き込まれる形で育ち、人工衛星を打ち上げる頃には皆その道の権威になっていました。
*1 AVSA:航空電子工学と超音速空気力学(Avionics and Supersonic Aerodynamics)を意味する言葉。
なぜ、糸川氏は世論やマスコミ、地域から支持されたのか
——多くのメディアに出演する中では、批判に晒されたり、信頼を失ったりするリーダーもいます。なぜ糸川氏は世論やマスコミ、さらにはロケットの発射場に選んだ内之浦*2の住民からも支持されたのでしょうか。
*2鹿児島県南東部の町。現在の町名は肝付町。JAXAのロケット打ち上げ施設である内之浦宇宙空間観測所が設置されている。
田中 糸川氏もマスコミや世論から批判されたことはあります。しかし、逆境になると創造性を発揮するのが糸川氏の特徴です。
例えば、まだ戦後10年という時に人工衛星の打ち上げ計画が発表されると「軍事目的になり得るのではないか」と批判が上がりました。確かに、液体燃料を使うロケットは誘導制御しやすいので、ミサイルなどの軍事目的にも転用できると考えられます。しかし、糸川氏は誘導制御が難しい固体燃料を使うことを決断しました。
固体燃料では誘導制御が難しいが故に、人工衛星を打ち上げて規定の軌道に誘導するには困難を伴います。そこで、糸川氏はニュートン力学に基づいて推進力と角度を割り出し、人工衛星を軌道に乗せる新たな方式「グラビティ・ターン(重力ターン)」を考案しました。この方式が軍事利用には向いていないことを説明することで、批判の声を収めることに成功したのです。
——新たなイノベーションを生み出し、それを専門家以外でも理解できる形で伝えることによって多くの人に支持されたのですね。
田中 目的にたどり着くまでには、さまざまな問題が発生します。そこで糸川氏は、その都度、当時の常識からすると突拍子もないアイデアを考案していました。その姿を見て、ロケットの発射場に住む地域の人も応援するようになっていったのです。
内之浦のロケット発射場にある宇宙科学資料館には、ペンシルロケットをはじめ、過去のロケットや人工衛星が並んでいるのですが、最後の出口の前に内之浦婦人会の方が折った「折り鶴の短冊」が飾られています。
ロケットの打ち上げには爆音が伴い、地域の漁業や農業への影響も懸念されるため、地元住民から反対されるケースも少なくありません。この折り紙からも、糸川氏のロケット開発は地元に受け入れられ、住民と一心同体になって進めていたことが分かります。
糸川氏が体系化した「イノベーションを生み出す思考プロセス」
——糸川氏が組織的にイノベーションを実行できた背景には何があるのでしょうか。
田中 システム合成・システム分析という思考フェーズがあります。組み合わせのパターンを全部洗い出して、そのパターンを一つひとつ評価する考え方です。ポイントは、パターンを洗い出す途中でダメ出しをせずに、全ての選択肢を評価する点です。このプロセスを踏むことで、多様な人材の組み合わせによって天才を超えるアウトプットを生むことができます。
例えば、ランチを例に考えてみましょう。ランチのメニューが「主食・主菜・副菜・汁物」の4つの構成要素でできているとします。
主食であれば「ご飯・パン・パスタ」、主菜は「チキン・ポーク・魚」といった形で構成要素の全ての選択肢(オルタナティブ)を洗い出し、その後に全てを組み合わせます。そして、どの組み合わせを使うのがベストかを多角的に評価します。これにより、天才の飛躍的な思考プロセスを誰でも一つひとつたどることができます。
ここにダイバーシティーが加わると、さらに多様な組み合わせが生まれやすくなります。例えば、海外では主食の考え方が異なりますから、海外の出身者がメンバーに入ることでユニークな組み合わせが出てきます。
「創造性組織工学」(糸川氏のシステム工学の名称)では「一人の天才より、多様な人材の組み合わせで、天才以上の能力を」をキャッチフレーズとしています。創造性に長けていないと思われる人が集まり、強制的に創造性をつくるのが創造性組織工学なのです。
異なるバックボーンを持った人が集まってたくさんの意見を出し合い、出来上がった組み合わせからどれを採用するかをトップが決めることで、各段に成功率が高まります。
医者の使命を「患者の命を救うこと」と捉えてはいけない
——イノベーションを志す人は、糸川氏から何を学べば良いのでしょうか。
田中 一言で言えば「ポータブルスキル」(業種や職種が変わっても持ち運びができるスキル)です。糸川氏は戦闘機、ロケット、バイオリン、脳波測定機などを開発してきましたが、どの仕事も10年ごとに変えています。10年ごとに仕事を変えるスキルが現代に一番必要なのかもしれません。個人でイノベーションを生み出したいのであれば、糸川氏のようにポータブルスキルを身につけることが必要です。
私も勤めていた会社が買収されたり、うまくいかなくなったりしても、次々に新しい仕事で成果を出し続けています。これはポータブルスキルの一つである「使命分析」を行っているからです。
私がグローバルリスクマネジメントの会社で営業職に就いていたときに、周りの人は朝から晩まで働き詰めでしたが、私は1日1時間で仕事を終わらせていました。しかも成績はトップクラスでした。この「使命分析」を身につければ明日からの仕事に役立ちますし、働き方改革も実現できると思います。
一例として、医者を題材に、使命分析をしてみましょう。「医者の使命」は何だと思いますか。
——「患者を救うこと」でしょうか。
田中 そのように思われがちですが、使命分析の視点から考えると「人々を病気の患者にさせないこと」、つまり「病気を予防すること」も重要な使命になります。人々に予防の知識を与えることに注力すれば患者が減りますから、医療現場の人手不足も解消に近づくはずです。さらに、将来の患者不足時代でも予防という医療サービスを提供できます。
この視点から考えると、営業の使命は「売り上げを上げること」ではありません。お客さまは商品・サービスを買うことが目的ではなく、使うために買っているのですから、営業の使命は「お客さまに商品・サービスを使ってもらうこと」になります。お客さまに商品やサービスの使い方を短時間で効率的に分かりやすく説明すると喜んでもらうことができ、成績も右肩上がりで伸びていきます。
使命が明確になると、そこに最短距離で到達するための手段が見つかります。そのため、使命が曖昧なまま仕事をしている人と比べて、圧倒的な成果が出せるわけです。糸川氏の考えたポータブルスキルを身に付けることができれば、どこに行っても成果を創出し、イノベーションを生み出すことも可能だと思います。
■【前編】国産ロケットH3に宿る「ロケットの父」糸川英夫氏の哲学、その原点となった「母の教え」とは
■【後編】マスコミからの厳しい批判を鎮静化、「国産ロケットの父」糸川英夫氏が生んだ“突拍子もない発想”(今回)
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筆者:三上 佳大