83年の大噴火で約400棟を埋めて焼き尽くした「三宅島」。最終避難バスが出発した10分後には溶岩流が…その噴火の歴史をたどる

2024年3月14日(木)12時30分 婦人公論.jp


1983(昭和58)年の噴火写真。溶岩が阿古温泉郷へと流れ込んでいく(写真:三宅島観光協会)

インターネットなどを通じてあらゆる情報が整理された昨今、世界のどの場所でもクリック一つで見ることができるようになりつつあります。そのような中、「今なぜ異界の回復が必要か。生きることが過剰につまらないからです」(『ルポ日本異界地図』宮台真司インタビューより)と発信するのが編集プロダクション・風来堂です。今回、その風来堂が手掛けた『ルポ日本異界地図』から「三宅島」の記事を紹介します。

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大噴火で数年におよぶ全島民避難


三宅島[東京都三宅村]

学校も体育館も溶岩の下に……爪痕は当時のまま、いまも残る

冷えて固まった溶岩が一面に広がる黒い大地や、溶岩に埋もれた学校の校舎……。伊豆諸島のひとつ、三宅島の西部に位置する阿古(あこ)地区には、こんな衝撃的な光景が広がっている。

1983(昭和58)年10月3日15時23分、島の中央にそびえる雄山(おやま)の南西山腹・二男山(になんやま)付近の割れ目で溶岩噴泉[*]が起きた。さらに、上下に成長した割れ目火口から3方向に溶岩が流れ、そのうちのひとつの溶岩流が阿古地区を襲ったのだ。

噴火の開始から阿古地区に溶岩流が到達するまでは、たったの2時間ほどだった。阿古地区は島最大の集落だった。約1300人の住民が暮らしていたが、人々は家財道具などを置いたまま、避難バスに乗って島の東側の坪田(つぼた)地区方面へと逃れた。

溶岩流が集落に到達したのは、最終の避難バスが集落を出発したわずか10分後のことだった。溶岩流は約400棟の家々を埋め、焼き尽くした。このとき、消防団や警察、医者、教職員たちは最後まで集落に残っていたが、溶岩で道をふさがれたため、間一髪、漁船に飛び乗って逃げたという。幸いにも人的被害はなかった。

溶岩流は阿古小学校、中学校の校舎も襲った。この日は前日の運動会の振替休日で、幸いにも校舎に人は少なかったのだという。校舎は2階付近まで溶岩に埋まった。小学校と中学校の間に建っていた体育館も内部が溶岩で埋め尽くされ、屋根を支えていた鉄骨も曲がってしまった。また、黒い地面の下には、ほかにも公共施設やたくさんの家々など集落がまるごと埋まっている。

噴火の被害はこれだけにとどまらず、島の北東部にあった椎取(しいとり)神社も泥流[*]によって社殿が屋根部分まで、鳥居も笠木(かさぎ)だけを残して埋まってしまった。社殿の周囲の森も火山ガス[*]によって大半が立ち枯れた。現在では、新しい社殿と鳥居が建てられているが、かつての鳥居も地面に埋まったまま残されている。

このときの噴火活動は約15時間で終息したが、噴出物総量は約2000万tにおよび、居住区域だけでなく、山林や耕地も被害に遭い、溶岩流に飲み込まれた。

溶岩流は約1000℃もの高温。3カ月近くが経過しても、固まった溶岩流の上を歩けばゴム長靴の底が溶けてしまうほどで、200日が経っても内部は500℃もあったという。

*溶岩噴泉……溶岩の粘性が低く、噴水のように空中に噴き上げられる現象。
*泥流……火山泥流。火山噴出物と水が混じって地表を流れる現象。降雨によって火山噴出物が流動する火山泥流のことを土石流ともいう。
*火山ガス……地下のマグマに溶けている揮発性成分が発泡し、水蒸気となって地表に放出される高温のガス。死亡事故や健康被害などを起こす場合がある。

活発な火山活動の連続で自然の楽園はたびたび被災


三宅島は東京から南に約180kmの太平洋上に浮かぶ島だ。「東京から」といっても、この島もれっきとした東京都で、住民の住居表記は東京都三宅村となっている。

東西約7.5km、南北約8.6km、周囲約38.4kmの小さな島で、中央には標高約775mの雄山がそびえている。上空から見ると、山頂近くはぽっかり大きく落ちくぼんだカルデラ[*]となっている。


『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』(編著:風来堂、著:宮台真司・生駒明・橋本明・深笛義也・渡辺拓也/清談社Publico)

人家などは雄山の麓の海沿いに多く集まり、神着(かみつき)、伊豆(いず)、伊ヶ谷(いがや)、阿古、坪田の五つの集落を形成している。天然記念物のアカコッコなど多くの野鳥が生息する鳥の楽園でもある。

伊豆諸島の島々はいずれも火山島だが、なかでも三宅島は非常に活発に噴火活動を繰り返している。雄山は古くからたびたび噴火しており、その記録は平安時代から残っている。江戸時代にも5回、その後もおよそ20〜70年の間隔で大きな噴火の記録がある。

大きな被害をもたらした1983(昭和58)年の噴火の前にも、昭和になってから2度の噴火災害を記録。とくに1940(昭和15)年の噴火は死者11人、負傷者20人の被害を出し、その数は20世紀以降最悪といわれている。

島では噴火の前年末や当年5月に赤場暁(あかばきょう)や山腹から水蒸気が上がり、また、1週間ほど前から地熱が上昇したり、地鳴りや噴気が観測されたりするなど前兆現象が見られた。


三宅島MAP<『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』より>

7月12日に雄山北東の標高200m付近で噴火が始まると縦に割れ目が走り、火柱が並んだ。溶岩は当時の神着村、坪田村など島の北東側へと流れ下り、赤場暁湾に到達。この日の噴火で、ひょうたん山というスコリア丘(きゅう)[*]が形成された。

*カルデラ……火山活動によって形成された急な崖で囲まれた円形やそれに近い形の凹地(くぼち)。
*スコリア丘……スコリアと呼ばれる玄武岩(げんぶがん)質マグマの噴出によって生じる火山砕屑物(さいせつぶつ)が地面に降り注いでできた地形。噴石丘の一種。

千数百人が避難


さらに、翌日夜半には雄山山頂の大穴(おおあな)火口からも噴火し、北東の方向に火山灰を降らせた。24〜26日が噴火の最盛期で31日以降には弱まったが、8月に入り、再び活発化。降灰などもあったが、8日には終息した。

噴火は実に25日近くも続き、死傷者のほか、牛が35頭、全壊、焼失した家屋が24棟と大きな被害をもたらした。

そして、22年後の1962(昭和37)年に再び噴火災害が襲う。このときの噴火活動は30時間程度で終息している。

雄山山頂から赤場暁方向に割れ目状に噴火口が多数でき、活動最盛期には溶岩流は沖合まで流れ、島の北東部だけでなく、三宅島から北西に45kmの新島(にいじま)まで火山砂[*]や火山灰を降らせた。このときの噴出物の総量は1940(昭和15)年の災害に比べれば、およそ半分の約2000tと少なかった。

三七山(さんしちやま)という噴石丘ができ、家屋5棟や道路、山林、耕地にも被害があったが、死傷者はいなかった。しかし、噴火活動が落ち着いてからも激しい地震がたびたびあったため、9月1〜14日、小中学生や関係者など千数百人が島を出て千葉県館山(たてやま)市方面へと避難したのだった。

*火山砂……火口からの噴出した溶岩流を除いた噴出物である火山砕屑物のうち砂粒程度の大きさのもの。学術上の火山砕屑物の分類では使用されない名称。

過去に例のない噴火の連続ですべての島民の避難を決断


記憶に新しいのは2000(平成12)年の噴火だ。これにより、ほとんどの島民が島外に避難することになってしまった。


【写真】島の中央部の森は火山ガスにより枯れてしまった(写真提供:清談社Publico)

当初、島の南西部で火山性地震が観測され始め、島の南部から西部にかけての噴火の可能性が高いとされた。しかし、地震の震源は次第に西方の沖合に移動し、西方沖約1km付近で海底噴火が起きたと見られた。地震活動は徐々に収まり、6月26日から発令されていた避難勧告は29日には解除された。

しかし、安心したのもつかの間、7月4日には雄山山頂の直下を震源とする地震が観測され、地震活動が再び活発になった。さらに、8日には雄山山頂で小規模な噴火が起きた。このときにできた直径約700〜800mの陥没は8月中旬には直径約1.5km、深さ450mのカルデラへと拡大していた。

8月10日に大規模な噴火が発生して噴煙が約8000mの高さに達した。さらに、14日に山頂からの小規模噴火、18日には10時52分に震度4の地震が発生したうえ、17時2分には大きな噴火が起き、噴煙が1万4000mまで上がった。

当時、島にいた人は静かに火山灰が屋根に落ちるサーッという音を家のなかで聞いていたという。島民たちは過去に経験したことがないような噴火活動の連続に不安を募らせていた。

8月29日になると、山頂から北東側に約5km、南西側に約3kmの距離を低温ではあったが、火砕流[*]が流れた。31日には火山噴火予知連絡会が今後、高温の火砕流発生の可能性があることを発表。9月1日には全島避難が決定し、2〜4日の3日間ですべての島民の避難が完了した。

島民たちが去ったあとも噴火活動は続いた。噴火活動は火山ガスの放出活動へと変化していき、9〜10月では1日に2万〜5万tもの二酸化硫黄が放出された。

徐々に火山活動は収まっていったが、火山ガスの放出は続き、これにより、当初は短期間で終わると思われていた島外避難は実に4年半近くにもおよぶこととなってしまったのだった。

*火砕流……噴火によって放出された固体物質と火山ガスなどが混じった状態で、地表に沿って流れる現象。時速100km以上、温度数百℃に達することもある。

※本稿は、『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

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