YOASOBIは「2曲までで終わりの予定だった」幾田りら(24)が明かす、ソロ活動との両立《初めて紅白歌合戦に出たときの心境を楽曲に》
2025年5月6日(火)19時30分 文春オンライン
〈 「ネタに自信がない時は…」絵本作家・ヨシタケシンスケさんが明かす“エッセイ挿絵”の極意「上半分がフリ、下半分がオチ」 〉から続く
4月24日発売の 『週刊文春』 の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に、音楽ユニット・YOASOBIのボーカル・ikuraとしても活躍するシンガーソングライターの幾田りらが登場。ユニットに参加した経緯や、YOASOBIとして人前でパフォーマンスをした2020年の紅白歌合戦の裏側、そのプレッシャーの中で生まれた楽曲について語った。
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YOASOBIは2曲までの予定だったが…
阿川 私、わかっていなかったんですけど、「ikura」ちゃんというのはYOASOBIのときの呼び名なのね。
幾田 そうなんです。ソロでは本名の「幾田りら」で活動しています。
阿川 前回、4年前の2021年にYOASOBIとしてこの対談にご登場いただいたときは、Ayaseさんにばっかり質問しちゃって、ikuraちゃんにはあまりお話を聞けずに失礼なことをしたと反省していたんです。もっと聞きたいことがあったのに〜と思っていたから、今回は幾田さん単独でいっぱい伺いたいと思うんですが。
幾田 よろしくお願いします!
阿川 4年前の私はお二人のことを、YOASOBIという本体がまずあって、それぞれソロでも活動しているぐらいの理解だったんですね。でもそうじゃなくて、AyaseさんはボカロP(ボーカロイドプロデューサー)として、幾田さんはシンガーソングライターとしてその前からソロ活動はしていらしたと。
幾田 そうなんです。ソロの幾田りらとして活動していく中で、19歳のときに「小説を歌にするユニットを始めるから一緒にやってみない?」と今のマネージャーさんが言ってくださって。
阿川 新しい仕事が入りました、ぐらいの感覚だった?
幾田 はい。これだけYOASOBIで忙しくさせてもらうことになるとも思っていませんでした。もともとプロジェクト自体も2曲までで終わりの予定だったので。
阿川 それが、この人気となっちゃって、YOASOBIの活動だけで忙し過ぎて、一人での活動が手薄になるということはないんですか?
初の紅白は、終わった瞬間に崩れ落ちた
幾田 特に最初の2、3年間はどうしても、YOASOBIの活動で人生が変わっていったので、私もAyaseさんも振り落とされないように、目の前にある課題をこなしていくのに必死でした。だから、なかなかソロのほうに気持ちと時間を向けることが難しかったんですけど、だんだんとペースがつかめてきてからは並行してソロの楽曲の制作をしたり、2023年にはアルバムも……。
阿川 『Sketch』ですね。1曲目に収録された「Answer」という曲は、それこそYOASOBIが忙しかった時期につくった曲だとか。
幾田 そうなんです。初めて紅白歌合戦に出たときの心境を吐露した楽曲なので。YOASOBIとして人前でパフォーマンスすること自体、紅白が初めてのことだったんですね。

阿川 そうか。初めてのテレビ出演が紅白だったのか!?
幾田 パフォーマンスをしている姿を見せるのも初めてで、いろんな「初めて」が詰まった舞台でした。そのとき、何百人というスタッフの方が「夜に駆ける」の4分間のために動いてくださって……経験したことのない大きなプレッシャーがかかって、自分では抱えきれなくなる瞬間がありました。そういうときに書きためていた言葉を「Answer」では詞にしていったんです。それまでは一人でギターを持ってライブハウスで歌っていた人生だったので。
阿川 それだって度胸のいることだとは思うけど。
幾田 いやいや。関わっている全員の思いが自分の喉にかかっていると思ったら、筋肉も萎縮しちゃって。紅白のときはものすごくアガっていました。終わった瞬間に崩れ落ちて、Ayaseさんも私も号泣して。
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現在配信中の 『週刊文春 電子版』 および4月24日発売の『週刊文春』では、幾田りらが阿川佐和子に語った幼少期のエピソードや、デビューまでの苦労、透き通るような歌声の誕生秘話を読むことができる。
〈 幾田りら(24)が語る“初めて曲を書いたきっかけ”と、「曲で絆をつないでいた」両親からの影響《吉祥寺・路上ライブ時代の秘話も》 〉へ続く
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年5月1日・8日号)