「強制収容所のシーンは、もうほとんどモノクロに…」報道写真家リー・ミラーの生涯を描いた映画で監督が細部にこだわった理由

2025年5月10日(土)7時10分 文春オンライン

『愛を読むひと』(2008年)で第81回アカデミー賞主演女優賞を獲得するなど、数々の映画賞に輝くケイト・ウィンスレットが主演・製作総指揮を務めた『 リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 』が公開となった。


『VOGUE』誌などでトップモデルとして活躍していたリー・ミラーは、マン・レイのアシスタントとして写真家に転身。マン・レイの“ミューズ”として、パブロ・ピカソやジャン・コクトー、サルバトール・ダリらと親交を深める。しかし、やがて戦争が勃発。従軍記者として戦場へ赴くようになったリーは、次第に報道写真家となっていく。


 本作は、リー・ミラーが報道写真家に転身したあとの10年を、膨大なリサーチを重ね、映画化。本作が長編映画監督デビューとなるエレン・クラス監督が、作品への思いを語った。





──ケイト・ウィンスレットから監督を任された経緯を教えてください。


エレン・クラス監督(以下、クラス) ケイトとは、私が撮影監督を務めた『エターナル・サンシャイン』(04年)で一緒に仕事をして以来、親交がありました。そのケイトが、何年も前からリー・ミラーについての映画をつくりたいと言っていて、ある日私にこう言ったんです。


「あなたが長年、テレビドラマで数多くの監督を手がけ、マーティン・スコセッシのような一流の監督のもとでセカンド・ユニットの仕事をしていることは知っているわ。でも、私と一緒に仕事をすることに興味はある?」


 それを聞いて、私は「もちろん」と答えました。私たちはとても親しい友人で、ずっと一緒に仕事をしたいと思っていたのですから。ケイトも、この映画が私の初めての長編映画になることを熱望してくれました。


 私がケイトから脚本を受け取ったのは2018年です。そこから私たちは、5年をかけて映画を完成させました。


──なぜケイトはリーの映画を作りたいと思ったのでしょうか。


クラス 発端となったのは、おそらくケイトが2013年にオークションでリー・ミラーの夫であるローランド・ペンローズの妹が使っていた8人掛けのアンティークテーブルを手に入れたことだと思います。テーブルのバックストーリーを聞いたケイトは、ますますリーに興味を持ったと言っていました。


 ケイトは、それまでどうしてリー・ミラーのことを誰も映画にしなかったのか不思議に思っていたようです。


「歴史的にも重要で、女性としても非常に興味深い人物なのに、どうして誰も映画にしないの?」


 と、よく話していました。でも、ケイトから具体的に映画の話をされたのは、ケイトがテーブルを手に入れてから5年後のことでした。


──監督ご自身は、ケイトに聞く前からリー・ミラーについてご存じでしたか?


クラス ええ、よく知っていました。私は大学で写真の勉強をしていましたし、デザインを学んでいたこともありますから。


 リーは世界的なトップモデルであり、ポール・エリュアールや、マン・レイ、ピカソといったシュルレアリストたちのグループの一員でした。私はもともと、シュルレアリスムの写真家としての彼女の作品に興味があったんです。


 でも、彼女が数多くの戦争写真を撮っていたことについては、ずっと後になってから知りました。


 リーがパリやロンドンに住んでいたことがあるという事実も知っていました。彼女が私と同じニューヨーカーだということもね。だから、ケイトの話を聞いて、トップモデルとして世界的に有名な写真家たちのカメラの前に立っていた彼女が、どのようにしてカメラの後ろに回る写真家になったのか、とても興味をもったんです。


 リーはモデルとして何年も客観視されてきたし、実生活でも幼い頃から父親に写真を撮られていた。つまり彼女は、幼い頃からずっと対象化されてきた。だから、「女優」として対象化されてきたケイトと一緒に映画の視点を考えることができたのは、本作にとって非常に重要だったと思います。


──映画化にあたり、どのような苦労がありましたか?


クラス 最初のチャレンジは、リーの人生のどこを切り取るかを決めることでした。私たちは、彼女の生涯をただ追いかけるような映画は作りたくないと思っていました。彼女の人生はあまりにも波瀾万丈すぎるし、私たちはこの映画をもっとテーマ性のある構成に絞りたかった。


 だから、いわゆる伝記映画のような構成にはしないでおこうと決めたんです。その代わり、映画全体を貫く芯のようなものを入れた構成にこだわりました。


 そこで難しかったのが、「じゃあ、彼女の人生のどの部分を選ぶのか?」ということでした。


 ケイトと私の意見は共通していました。


 まず、マン・レイのミューズ時代のリーにはフォーカスしたくない、ということ。それから、リーが中年になって従軍記者として戦争に行く時代はしっかり描きたい、ということ。


 だから、物語を第二次世界大戦直前の1930年代後半からスタートさせたのです。


──1930年代後半から物語を始めた理由は?


クラス 30年代後半は、今と非常に似た時代だからです。


 政治的な大変動が起ころうとしている時代から映画をスタートさせることで、ヨーロッパとアメリカにおけるファシズムの台頭という、いま世界に起きはじめていることをイメージさせ、歴史の中で起きている類似性を目の当たりにさせたいという思いがありました。


──変わりゆく時代の空気は、映画のなかでは色や明暗でも見事に表現されていましたね。


クラス 私は撮影監督としての長いキャリアがありますが、いつもストーリーと映像は密接な関係になければいけないと思って作品を作っています。つまり、映像はストーリーを表しているビジュアルでなければいけないということです。


 だから映画では、30年代後半の南仏時代は本当にカラフルで、すごくハッピーな映像で表現しています。誰ももうすぐ戦争が始まるということを知らずに人生を楽しんでいる。それを時代のトーンとして色と明度で表現しました。


 戦争の時代になっていくと、だんだんと色が抜けて、モノクロに近くなっていきます。ダッハウ強制収容所のシーンは、もうほとんどモノクロになっていて真冬そのものです。登場人物の中からも、生命力みたいなものが、だんだん吸い取られていくようなビジュアルに仕上げました。


──小物や衣装などの細部にもかなりこだわっていますよね。


クラス ええ、もちろん。この映画のあらゆるデザインは、ビジュアルからサウンド、美術セットに至るまですべて慎重に考えて作っています。


 たとえばリーが晩年、若いジャーナリストからインタビューを受けるシーンがあります。あれは70年代という設定なので、セットからデザイン、登場人物の着ている衣装、照明に至るまで70年代を表現するため、ほかのシーンとはすべてやり方を変えました。


──なぜそこまで細部にこだわる必要があったのですか?


クラス リアリティを出すためです。先ほども話した通り、私たちはこの映画を、リーの人生をただなぞるような映画にはしたくなかったんです。彼女と一緒にいて、彼女の鼓動が聞こえ、彼女が経験していることを肩越しに見守るような映画を作りたかった。そのためには、徹底した「リアリティ」が重要でした。


 だから本作では、衣装デザイナーのマイケル・オコナーも、美術デザイナーのジェマ・ジャクソンも、すべてのスタッフがスクリーンに何をどう映し出すかを徹底してリサーチしていました。


 リー・ミラーがどこにいて、どうやって撮影に行ったのか、正確にはわからない部分もあったけれど、それでも私たちは真実を求める手を休めませんでした。


──リサーチはどのように進めたのですか?


クラス 私たちは何年もかけて、彼女の人生について、そして入手可能なあらゆる資料や強制収容所のフィルムについて調査しました。


 ドキュメンタリーはもちろん、当時の写真や映像、当時の衣服など、彼女が生きた時代とそれが彼女に与えた影響に関係するものなら何でも調べました。


 でもいちばん幸運だったのは、ケイトと私が、リー・ミラーの息子、アントニー・ペンローズ氏とその娘を通じて、リー・ミラー・アーカイブに完全にアクセスできたこと。アントニーが、私たちにアーカイブの完全なアクセス権を与えてくれたおかげで、彼女の手紙や写真を全部見られたことは、映画製作に非常に重要でした。


 とくに素晴らしかったのは、コンタクトシートを発見したこと。これによって、リーがどんな写真を撮ったのか、何をセレクトして印をつけたのかがわかったのです。これらの膨大な資料によって、リーがどういう人だったかを十分に理解し、自分たちがつくっていく映画の素材を蓄えていきました。


──十分なリサーチと、それを活かした構成によって、どのようなリー・ミラー像が描けたと思いますか?


クラス 本作では、戦争カメラマンとしてのリーの人生を描いただけでなく、古い慣習に縛られ、男性優位の社会の中で「女として貢献しろ」という風潮に立ち向かい、男性社会に飛び込んでいったリーの姿も描けたと思っています。そして、彼女が生きた時代、その時代に起こったこと、つまりファシズムの台頭を経験し、その結果を目の当たりにしたことにも触れることができました。


 ドイツから逃げてきた経験をお持ちの私の友人のお父さんは、この映画そのものにものすごく感動したとおっしゃっていました。でも、もしかしたら若い女性は、リー・ミラーの「自立して生きる姿」に感動するかもしれません。


 この映画にはたくさんの側面があるので、リー・ミラーが人々に与える影響というのは、観客一人ひとりに委ねられていると思います。


 彼女に起こったことに心を動かされる人もいれば、彼女がどんな人であったかに心を動かされる人もいるでしょう。さまざまなレベルで共感できるということが、この映画の強みでもあると思っています。


──最後に、リー・ミラーを演じたケイト・ウィンスレットについての感想をお聞かせください。


クラス 彼女は、とても複雑な人物を表現することができる、信じられないような、素晴らしい、美しい仕事をしたと思います。ケイトの演技はいい意味で渋くて、いろんな意味でとてもエモーショナル。映画の中のケイトは、まさにリーそのものでした。


 そして彼女は、リーが持っていた感情を複雑にとらえることができただけでなく、自分自身のものにしていました。ケイトがカメラを使うとき、ケイトはリーと同じようにカメラを使い、フィルムを装填し、カメラのことを何でも知っているようにふるまっていたけれど、それはまるで、カメラがケイトの手の一部になったかのように見えました。


 ケイトの演技は本当に素晴らしい。リー・ミラー役のケイトを日本のみなさんにもぜひ観てほしいと思います。



『 リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 』(原題:LEE)


TOHOシネマズシャンテほかで公開中



STORY


女性や犯罪の声なき被害者たちへの深い理解と共感を持っていたリー・ミラー。彼女が写し出す写真には、人間が持つ脆さと残酷さが刻み込まれている。


映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』は、現代における偉大な戦争報道写真家のひとりとしてその名を歴史に刻んだリー・ミラーの人生の10年間に焦点をあてた物語だ。


世界的トップモデルから報道写真家に転身したリー・ミラーは、第二次世界大戦の激化を最前線で取材。ノルマンディー上陸作戦やブーヘンヴァルとダッハウの強制収容所の残虐行為を生々しくカメラでとらえ、世界に衝撃を与えた。さらに、ヒトラーが自死した1945年4⽉30日当日は、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室に突入。裸でバスタブに入る自身のポートレイトを撮り、戦争の終わりを伝えた。


しかし、戦争を撮るという経験は次第に彼女の心を蝕んでいく。


終戦から30年後、若いジャーナリストに彼女が語った真実とは──。



STAFF&CAST


監督:エレン・クラス/製作:ケイト・ウィンスレット、ケイト・ソロモン/出演:ケイト・ウィンスレット、アンディ・サムバーグ、アレクサンダー・スカルスガルド、マリオン・コティヤール、ジョシュ・オコナー、アンドレア・ライズボロー、ノエミ・メルラン/イギリス/2023/116 分/配給:カルチュア・パブリッシャーズ/© BROUHAHA LEE LIMITED 2023



(相澤 洋美/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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